ブドリが望んだもの 劇場アニメ版「グスコーブドリの伝記」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:4/10
一言感想:子どもには難解、原作好きにも厳しいけど・・・
あらすじ
ブドリはイーハトーブの森で家族と楽しく暮らしていた。
しかしある年の大飢饉により、父と母は家を出て行ってしまう。
残されたブドリと、その妹のネリのところに突如謎の男コトリが現れる。
「飢饉を助けに来た」と言うコトリは、ブドリの目の前でネリを連れ去り、ブドリはそれを追いかけるのだが・・
「銀河鉄道の夜」の杉井ギサブローの最新作です。
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「銀河鉄道の夜」の原作者は、言わずもがな宮沢賢治です。
1985年に制作されたこのアニメ版の特徴的なところは、登場人物が猫であること。
もちろんそれは原作にないオリジナルのものなのですが、決して原作の雰囲気を壊すことなく、丁寧に、そして繊細に映像化されていました。
展開は淡々として、ちょっと怖い。
その雰囲気は、かつての子どもに強烈な印象を残したことでしょう。
原案は、「アタゴオルは猫の森」で知られる漫画家のますむらひろしです。
その魅力は漫画版でも十二分にあらわれていました。
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漫画版も原作好きにおすすめできる、素敵な作品です。
この独特のキャラクター造形が気に入った方は、是非読んでいただきたいです。
さて、今回の「グスコーブドリの伝記」も、「銀河鉄道の夜」の流れを組んでいる作品です。
スタッフはほぼ引き継がれていますし、原作が宮沢賢治であること、登場人物が猫であること、ちょっと怖い雰囲気も同じ。演出も似たものを感じます。
しかし・・・この「グスコーブドリの伝記」では、「銀河鉄道の夜」で良い方向に働いていたものが、上手く機能していないように思えるのです。
そのひとつが、幻想的な「現実ではない(夢の)」シーンです。
「夢」のシーンは、原作のエピソードが組み込まれているところもあれば、映画のオリジナルの展開もあり、その風景の美しさや不気味さは一見の価値があります。
*一部、「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」がアイディアの元となっている箇所もあります。
しかしそれは抽象的すぎて、スッキリできるものではありません。
もともと夢のようなシーンが多い「銀河鉄道の夜」では、始終その幻想的な風景に見とれることができましたが、今作では「現実」と「夢」が交錯するので、どうにも入り込みにくいところがあります。
「グスコーブドリの伝記」は、現実的な自然の厳しさを描いている作品です。
それとファンタジーらしい描写は、そもそも親和性が低いのです。
だから映画では、「夢」と「現実」がそれぞれ描かれるようになったと思うのですが・・・ただわかりにくく、観る人を選ばせているような気がするのです。
タイトルが「伝記」なのに、作品が「夢物語」のようになっているので、そもそもの作品のテーマもぼやけているように思えます。
わかりやすいナレーションが入るのに、夢の描写は抽象的でわかりにくいというのも、本末転倒のように思えます。
その抽象的な描き方よりも問題なのは、ストーリーです。
基本的に原作に忠実なのですが、本作では「妹を連れ去る男」に大胆なアレンジが加えられています。
このキャラクターの登場により話が大きく膨らんでいるのですが、それは決して万人に受け入れられるものではありませんでした。
そしてもっとも残念なのが、原作で(個人的には)最も重要であるシーンが、アニメ版ではないことです。
原作を読んでいた人には、納得がいかないでしょう。
以上にあげたことは原作にはないことですが、そもそもの原作のストーリーも、拒絶反応を起こす人が多いと思います。
主人公のブドリは妹を連れ去れられますが、「すぐに追いかけて大冒険をする」ということはありません。
序盤は「家族」の描写が続きますが、いつしか「自然と人間の共存」の描写に転換されます。
胸が踊るような冒険譚を期待する人は間違いなく裏切られます。
それどころか、序盤の鬱シーンのコンボは観たことを後悔する方もいるでしょう(もちろんそれは必要な描写です)。
ラストの展開もしかり、です。
まとめると
①原作を読んでいる→原作の重要なシーンの端折りと、あまりにファンタジーよりなのが納得いかない
②原作を読んでいない→あまりに楽しくないストーリーと、ラストが納得いかない
と、誰におすすめしていいか皆目見当がつかない印象です。
ともかく、全国公開の作品であることが信じれないほど、抽象的で万人向けではない映画です。
展開はゆったりしているし、そもそものストーリーも全くわくわくしない・・・
この印象は「ツリーオブライフ」のときと似ています。
それでもこの映画にはよいところもあります。
それは言わずもがな、映像の美しさ。
原作にあった「てぐす」の表現には非凡さも覚えますし、青年期以降の街の様子もファンタジー好きにはたまらない造形でした。
声をあてているのは本業が役者の方が多いですが、これも文句がありません。
特に忽那汐里さんの演じる主人公の妹は可愛いし、柄本明さんのナレーションも板についていました。
物語は難解でも、根底にあるテーマは普遍的なものなので、そこだけは受けいられやすいと思います。
世間一般の悪評も納得だし、これからも賛否両論が飛び交うでしょう。
それでも、はっきりしない作風を好む方、映画の内容について語りあいたい方、「銀河鉄道の夜」が大好きだった方にはオススメします。
子どもには難解でしょうが、その独特の雰囲気は昨今の派手なアニメ作品にはないものなので、忘れられない作品になるかもしれません。
*ちなみに1994年にも一度映画化されています。
こちらは難解な作風ではなさそう
*原作は著作権が切れているのでこちらでも読めます→宮沢賢治 グスコーブドリの伝記
*作中の夢のシーンの元ネタ→宮沢賢治 ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記
以下、ネタバレです 展開と結末に触れているので鑑賞後にご覧ください 原作の展開もネタバレしています↓
~今作の最も大きな不満点~
それはブドリ(兄)がネリ(妹)と再会しなかったことです。
幼い頃に別れたきょうだいが再会、妹は結婚して子どももいて、兄と楽しく暮らす・・・
原作にあったこのシーンは、当然描かれると思っていました。
しかし、映画では後半にネリの姿はこれっぽちも出てきません。
せいぜい夢の中で、「座一大術祭」と書かれた怪しいお店で、看板として見れたくらいです。
何故ブドリとネリの再会を描かなかったのか・・・考えられることは以下です
①作中で時間の経過が表現しづらかった
②作品のテーマを強調したかった
この映画の主人公は可愛らしい猫。
作中では何年のも時間が経過しますが、特にブドリの見た目は変わっていません。
声も変わっていないので、実際は青年の年でも、少年のように見えます。
だから、ネリが「母」として登場することを避けたのではないでしょうか。
兄を「あんちゃん」と呼び、声も幼いまま、見た目もそのままであるなら、子どもを連れたネリは確かに違和感があるのかもしれません。
作中の根底のテーマは「自然と共存する人間(猫)」です。
だから必要以上に「家族」を描くことを避けたとも考えられます。
しかし、それでも納得いきません。
最後のブドリの行動は、守るべき家族がいてこそ説得力があるものだと思うのです。
せめて、「赤ひげ」のところへ手紙をやってほしかったです(原作では赤ひげとも再会しています)。
~「コトリ」の存在と、ブドリの望んだもの~
佐々木蔵之介演じるこのキャラクターは、ほぼ映画オリジナルと言ってよいでしょう。
(コトリは「子盗り」と漢字をあてるそうです)
コトリが何者か、詳しくは映画の中で語られていません。
わかっているのは
「飢饉を救いにきたこと」
「ブドリの夢の中で登場すること」
「『裁判長』であること」
「ブドリが『境界をまたぐこと』に憤りを覚えている」(コトリはブドリのいる世界の住人ではないのでしょう)
そして、「願いを聞いて現れる」ということです。
映画の最後、「僕はたくさんの人に生かされれてきた、助けるためにはどうなってもかまわない、なんでもする」と言うブドリの前にコトリは姿を現します。
コトリが言ったのは「男の子、お前に呼ばれてきた」ということでした。
そうであるならば、序盤にネリが連れ去られたことも、実はブドリ自身が望んたことだったのではないでしょうか。
2人(匹)では食べるものもないですし、ブドリがネリを幸せにできるあてもない、だから、どこかに連れて行って欲しい・・・それがブドリの願いだったのかもしれません。
ブドリは素直で従順でしたが、それ以上に他者の幸せを願う人物でした。
その内面にある「望み」を描くため、コトリというキャラクターは存在していたと思います。
でも彼は夢の中で「ネリを返せ」とも叫んでいます。
ネリのためには一緒にいれない、だけど一緒にいたい・・・そんな矛盾した想いを抱えていたのかもしれません。
~気になったこといろいろ~
・飢饉の描写
これは本当に精神的にくるものがあります。
学校や街に人がいなくなり、父は根っこを掘りかえすが、煮ても食べれない・・・
食と環境に恵まれている現代の人々が、いかに恵まれているかがわかります。
・独特の文字表記
作中にあらわれる奇妙な文字の数々は、アルファベットをそのまま置き換えたもののようです。
こちらで解読もできます→※感想+文字について|覆面調査員A子の一日
イーハトーブという地名も、宮沢賢治らしいことば選びのようです。
・学校で朗読するのは「雨ニモマケズ」
これはブドリの人間性、目指すものをあらわしているように思えます。
ブドリが火山に行く前に回想されたのも、この詩でした。
・父は「森に行って遊んでくる」と言って、出て行ってしまう
何故「遊びに」なのか?これは原作そのままですが、底知れない不気味さを感じます。
・「夢」の中。ブドリは「網掛け」をして、「イーハトーブてぐす工場に訪れる」
網掛けの描写がこんなにもファンタジックになるなんて!
緑に光る樹、淡く光るてぐすのボール、羽化をする蚕・・その全てが幻想的でした。
「工場長」の「急げ!」と急かすけど、結局失敗してしまう姿も、何かの風刺のようにも思えます。
金色のはしごは、前述の「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」からのものですね。
・ブドリは家の中に戻り、「ぬいぐるみ」を見る
ブドリが火山に行く前にも、このぬいぐるみがありました。
ブドリは仕事をしつつも、ぬいぐるみをネリの分身だと思い、大事にしていたのかもしれません。
・「赤ひげ」と出会う
この重い物語の中では、清涼剤とも思える明るい性格のキャラクターでした。近所迷惑だけど。
赤ひげが畑に石油を入れて台無しにするけど、ブドリが勉強して「病気」を克服する描写が好きです。
彼の言う「山師」には悪い意味もあるのですね。
「オリザ」は稲の学名です。
・「夢」の中。「停車場」へ
ここから目が覚めるまでの描写は原作にありません。
アナウンスでは「銀河ステーション」であると言っていました。これは「銀河鉄道の夜」に登場する駅の名前です。
女の子の声で「ギルちゃん青くて透き通っているようだったよ」と聞こえてくるのは、「春と修羅」からのものですね。
・中国風の街並み、そして螺旋階段へ
ちょっと「千と千尋の神隠し」を思い出させます。
塔の中の螺旋階段からは、何故か実写で描かれた三つ目の鬼(?)が見えます。
ブドリの母と父がエレベーターで登っていましたが、上に着くと誰もいません。
ネリは怪しげなお店で働かせられているようでしたが、詳細は不明です。
あまりに理解できない光景に頭がクラクラしっぱなしでしたが、主人公・ブドリの内面を映像化したものなのでしょう。
*塔のモデルは凌雲閣のようです。
・イーハトーブの街へ
その街並み、風力で動くモノレール、気球の造形が素敵でした。
ブドリは「クーボー博士」に出会い、火山局につとめることになります。
クーボー博士のアクロバティックな黒板書きは、普通ノートにとれないと思います。
・火山局にナマズがいる
世界観的にちょっとびっくりしました
参考→ナマズと地震との関係
・「夢」の中。「境界侵入罪」として、裁判にかけられているブドリ
異形の怪物たちがわめき、ブドリは何回も「ネリを返せ」とコトリに訴えます。
この「同じような台詞」を繰り返すのもこの作品の特徴なのですが・・・見ていて辛かったです。
*コメントで教えていただきましたが、このシーンは「どんぐりと山猫」からのものです。
・再び寒気に襲われるイーハトーブ。ブドリは火山を噴火させ、温度をあげることを提案する
火山が噴火すれば炭酸ガス(二酸化炭素)が増えて温度が上昇することも事実ですが、実際は火山が噴火すると塵が上空を覆い、むしろ飢饉に襲われてしまいます。
原作が描かれたのが昭和初期だったので、致し方のないところもあるのでしょうが・・・子どもにあらぬ誤解を抱かせてしまいそうです。
参考↓
天明の大飢饉 - Wikipedia
二酸化炭素が地球の気温を調節する
~ラスト~
ブドリは火山に趣き、噴火をさせます。
唐突に思える展開ですが、これは原作でもあったものです。
原作ではブドリは、一人、火山に残り、ほかの皆を返しました。
映画では、「コトリの力=内面での願い」により、一人、ブドリは身を投じています。
火山を上空から見た画、そして音楽が唐突に断たれ、光がイーハトーブを覆います。
小田和正による主題歌「生まれ来る子供達の為に」が流れ、
「このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、楽しく暮らすことができた」とナレーションで語り、
大きな地球を映し出し、
映画は幕を閉じます。
ブドリは天災により、両親と妹を失った不幸な少年でした。
彼はたくさんの人々に出会い、多くのことを経験し、人々を幸福にするために努力を積み重ねました。
物語の最後で描かれるのは、人々が自然により不幸になることを防ぐための、ブドリの自己犠牲の行動でした。
「雨ニモマケズ」の詩にあるように、「褒められもせず」ブドリはその行動をやってのけたのです。
「生まれ来る子供達の為に」「(ブドリや、昔の人が)やってきたこと」がこの映画には詰まっています。
オススメレビュー→yahoo!映画
こちらではどのような評を書かれているのか興味があり、再びお邪魔しに参りました。
仰る通り、賛否のわかれる作品であるのは間違いありません。
『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』だけではなく『銀河鉄道の夜』や『春と修羅』にも通じていないと納得できない部分も多いと思われます。
自称・宮澤賢治ファンの自分としては、裁判シーンで「そこで『どんぐりと山猫』が出てくるか!」と驚愕しましたが。
> 「工場長」の「急げ!」と急かす
これは何だろう…。『オツベルと象』のラストか、ねずみシリーズか…。
どこかでこんなセンテンスも賢治作品で読んだ気がするのですが、思い出せませんでした。
> 世界観的にちょっとびっくり
むしろすごい電線の様子に「これは『月夜のでんしんばしら』の電柱じゃあない!」とびっくりした自分です。
> 「雨ニモマケズ」の詩にあるように、「褒められもせず」ブドリはその行動をやってのけたのです。
なるほど、その解釈ならば「くにもされず」である故に暴行を描かなかったと捉えることも出来ますね。
>ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』だけではなく『銀河鉄道の夜』や『春と修羅』にも通じていないと納得できない部分も多いと思われます。
ファンにとってはブドリとネリの再会を描いていないことも納得できないのも・・・
> 自称・宮澤賢治ファンの自分としては、裁判シーンで「そこで『どんぐりと山猫』が出てくるか!」と驚愕しましたが。
宮沢賢治をよく知らない自分にはそれはわかりませんでした!参考になったので追記しておきます。
> > 「工場長」の「急げ!」と急かす
> これは何だろう…。『オツベルと象』のラストか、ねずみシリーズか…。
> どこかでこんなセンテンスも賢治作品で読んだ気がするのですが、思い出せませんでした。
原作では火山の噴火があったシーンですが、映画のこれはオリジナルのものですよね。
> > 世界観的にちょっとびっくり
> むしろすごい電線の様子に「これは『月夜のでんしんばしら』の電柱じゃあない!」とびっくりした自分です
知らない宮沢賢治の作品がまたも・・・(すみません)、これを気に読んでみたくなりました。
>
> > 「雨ニモマケズ」の詩にあるように、「褒められもせず」ブドリはその行動をやってのけたのです。
>
> なるほど、その解釈ならば「くにもされず」である故に暴行を描かなかったと捉えることも出来ますね。
なるほど、とこちらが思い知らされました!
だから原作のブドリがボコられるエピソード、ならびにネリとの再会がなかった・・・
でも、取捨選択だとしても失ったもののほうが大きい気がします。
シオンソルトさんの感想も拝見させていただきました。
やっぱりネリは死んだ(霊界に行った)と解釈するべきなのでしょうか・・だとすると悲しすぎる気もします(ネリのモデルが宮沢賢治自身の妹であることを含めて)。
FF7を思い出すのも、納得です。
(ブドリの見た夢は、まるで『千と千尋の神隠し』をまねたものだろうか。疑問の多い内容である。)
本当ネリの再会が描かれていないのは納得できません・・・さらりと描いたのが「褒められもせず」のためのものだったとしても。
ブドリの見た夢は、明治期の日本の風景でもあるようです。