それでも生きていて・・・映画「アシュラ」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー

一言感想:本当に、観てよかった
あらすじ
応仁の乱が勃発した1400年代半ば。世は飢饉に見舞われていた。
そのときアシュラは生まれるが、飢え苦しむ母親に殺されかけてしまう。
荒野と化した地でケダモノのように生きてきたアシュラは、心優しい少女・若狭に出会うのだが・・・
ジョージ秋山による漫画「アシュラ」のアニメ映画化作品です。
![]() | ジョージ秋山 680円 powered by yasuikamo |
残酷描写と人肉食のシーンがあったために、有害図書指定を受けたことでも有名です。
自分はこの原作は未読でしたが、映画は発禁処分を受けたとは思えないほど、道徳的な作品に仕上がっていると思います。
飢饉に見舞われた世の中で、10歳にも満たない子どものアシュラは生きるために人を殺し、その肉を喰らいます。
それは食べるものがなく、生きていかなければならないためなのです。
そして描かれるのは、アシュラが人喰いから「人間」へと成長していく物語であり、この上のないほどの悲劇でもあります。
アシュラの想いが痛いほどわかるので、涙を流してしまうシーンが多くありました。
声優を務めた野沢雅子さんが、(原作を)発禁にするなんてとんでもない、世界中の人に観て欲しいと宣ったことに完全に同意します。
流血シーンが多いのであまり小さい子には薦めませんが、子どもにも是非観て欲しい作品です(直接的な表現は少ないので、レーティングは全年齢指定です)。
今の飽食の時代では、こうして飢え、苦しむことのない幸せを忘れています。
この映画で描かれる飢饉、そして主人公が人を喰らうシーンは本当に気が滅入るものですが、作品には必要なものです。
そのことを、決して「綺麗事」ですまさずに教えてくれる本作は、確かな説得力を持っているのです。
アクションシーンは少ないながらも見ごたえがありますし、キャラクターの魅力や、作品のテーマもしっかり描ききっています。
主人公のアシュラが可愛く見えるシーンもありますし、嫌悪感なく観ることができるでしょう。
本作の上映時間は短く、わずか75分です。
しかし下手に長い映画よりも、はるかに価値があると思わせる素晴らしさがあります。
あまり一般的には注目されていない作品ですし、上映劇場も少ないので恐らく興行的は苦戦するのでしょう。
しかし、本当に多くの人に観てもらいたい作品です。
アニメが好きな人だけでなく、映画からメッセージを感じたい方、心に残る映画を観たい人に是非おすすめします。
また、「南無阿弥陀仏」の意味を知っておくと、より映画を深く理解できると思います。
エンドロール後にも1シーンあるので、お見逃しなく。
以下、結末も含めてネタバレです。本当に素晴らしい映画なので、未見の方は絶対に読まないようにお願いします↓
~アシュラの生い立ち~
アシュラは生まれてしばらくしたあと、飢えた母親に火に投げ込まれ、殺されかけます。
母が子を、しかも食べるために殺そうとする悲劇。
その子もまた、生きるために人を殺し、食べなければならないという悲劇・・・
「食べるものがない」ことによる悲劇は、この作品の中で幾度も描かれるのです。
8歳になったアシュラは、「法師」と橋の上で出会い、名を授かります。
法師は「お前の心が見たい」「お前にとって命あるもの全てが敵か」「戦わずにはおれん哀れな獣だ」と言います。
法師はアシュラに食べ物を与え、「南無阿弥陀仏」という念仏を教えます。
その後は地頭の子どもである「小太郎」を殺してしまい、追われる身となるアシュラ。
そして、「若狭」という少女に助けられることになります。
~若狭~
若狭はアシュラにとってかけがえのない人物です。
アシュラをかくまい、ことばを教え、食べ物をあたえてあげる若狭。
夕日の見える場所を、若狭に教えてあげるアシュラ。
水浴びをしようとするけど危うく水に落ちそうになったり、柱にこそこそ隠れたままお椀を差し出すアシュラに萌えました。
若狭は、鎌を持つアシュラに「もう人殺しをしてはいけない」と教えます。
この関係を、壊して欲しくないと願いたくなります。
しかし若狭は、「都」に想い人と共に行くことを夢見ており、次第にアシュラと距離をとるようになります。
自分の家に近づいてきたアシュラを追い返し、後にはアシュラと触れ合わず食べ物だけを置いていく若狭。
若狭は「散所」の生まれである「七郎」と逢瀬をして、それをアシュラに見られてしまいます。
アシュラは若狭を取られないようにと、七郎を殺しにかかってしまいます。
そしてアシュラは若狭に「人でなし!」と言われてしまいます。
「もう人殺しをしてはいけない」と言われていたのに、若狭の大事な人を傷つけてしまったアシュラ。
双方の気持ちがわかるので、より悲しく思えます。
~生まれてこなければ・・・~
洪水のあと、アシュラは子どもに食べ物を与えている猿を見て、嫉妬し、殺しにかかります。
そして「こんな苦しいところに生まれてこなければよかった!」と口にし、それを再び出会った法師に聞かれるのです。
法師に「俺は人でなしだ!」「皆おなじケダモノだ!」と言うアシュラ。
法師は「獣の道を歩けば歩くほど苦しい、それは人の証拠だ」と返します。
そして法師は自分の腕を切り落とし、それをアシュラに捧げようとします。
アシュラはそれを食べようとはしませんでした。
そして法師はこう宣います。
「人を憎むな、おのれの中のケダモノを憎め」と。
人肉を喰らうことなど誰も望んでいません。
ここで喰べることをしなかったアシュラは、「自分の中のケダモノ」と戦えたのだと思います。
~それは馬の肉だ!~
再び飢饉に見舞われた村では、若狭もまた飢えに苦しんでいました。
若狭の父が、「やっぱりあのとき人買いに(娘を)売りに出せばよかった」と言ってしまうのが切なかったです。
そしてアシュラは「地頭」の馬を殺し、その肉を盗み、それを若狭に食べさせるために届けます。
しかし、若狭は頬が痩せこけるほど飢えているのにもかかわらず、それを食べようとはしません。
アシュラが人肉を食べていたことを知っていたので、それが馬の肉だとは信じられなかったのです。
「おっ父は言っていたでしょ、人肉を食べるやつは犬畜生にも劣るって!」「(これは馬の肉だということに対して)だまそうったって無駄よ」と言う若狭・・・
それは以前にアシュラが若狭のことばを裏切り、七郎を傷つけてしまったがためなのでしょう。
なんとしてでも若狭に肉を食べさせようとするアシュラ。
「もうこれ以上苦しみたくないの」と言う若狭に、アシュラはついに、こう言います。
「どうして言うことがわからないんだ!今でもずっと苦しいのに!」と。
若狭を想うアシュラのことばに、涙が止まりませんでした。
このシーンは原作とは違う映画独自のものですが、自分は映画のほうが好きです。
参考→<「ユーザーレビュー - Yahoo!映画>(原作のネタバレ注意)
~ラスト~
「アシュラを殺せば米一年分を取らせる」という報酬に乗り、アシュラを狩ろうとする村人たち。
アシュラは(食べるためでなく)生きのびるために、村人たちと地頭を殺します。
ここでもまた、若狭の「人を殺してはいけない」という約束を守れなかったアシュラ。
なんとか生きながらえたアシュラは、散所の少年と七郎が運んでいる「若狭」の死体とすれ違います。
彼女は、結局アシュラのくれた馬の肉を食べることはなく、餓死してしまったのでしょう。
雪の結晶が瞬き、アシュラは涙を流します。
法師は映画の最後にこう言います。
「お前(アシュラ)とは六道輪廻の中で出会っただけにすぎんのかもしれん。
しかし私も、お前に教えられた。
それは人は命を奪い、生きていかなければならないという悲しさだ。
命があるがゆえにあがく。
だからでこそ、この世は美しい」と。
生きるためには、生きるものの命を奪い、(人肉でなくとも)それを食べなければいけない。
これは仏教の「業」にも通ずる考え方なのです。
エンドロール後に見えたのは、若狭が憧れていた「都」の風景でした。
それは今私たちが生きている、飽食の時代の象徴なのかもしれません。
この映画は、飢える人々の苦しみと、人間の業を、これ以上ない描写で教えてくれました。
オススメ↓
命を喰らい、命を繋ぐ。映画「アシュラ」紹介、他 忍之閻魔帳
いつもレビューを参考にさせてもらってます。
いつも行ってるシネコンではやってなかったので、
このレビューがなかったら観に行ってなかったと思います。
近くの劇場では早くも1日に1回上映になっていました・・・本当に多くの人に観て欲しいです。
上映館数が少ないこともあり映画化したことさえヒナタカさんのレビューを拝見するまで知りませんでした。
劇場で鑑賞できて本当に良かったと思いましたのでコメントさせてもらいました。
この場をお借りしてお礼申し上ます。
本当に素晴らしい映画でしたね。
しかし余り話題になってないのが勿体無いですねー。
このブログやってて本当によかったですよ・・・ありがとうございます。
本当いろんなところに宣伝したくなる映画ですね。