評論に勝る表現 映画『ビッグ・アイズ』ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:8/10
一言感想:醜いウソが、ここにある
あらすじ
男性が女性よりも優位に立つ時代であった1950~60年代、マーガレット(エイミー・アダムス)は、自分の絵画に理解のない夫を捨てて、娘とともにサンフランシスコに引っ越してくる。
そこ出会った絵描きのウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツ)は、マーガレットの『大きな目」の絵画を見て、その魅力を訴える。
ウォルターはマーガレットの絵を展示しようと試みるのだが……
ティム・バートン監督はマイノリティに属する人や、変わり者を愛する監督です。
この題材をティム監督が描いたというのは、まさに必然と言えるものなのではないでしょうか。
本作で描かれている主人公はマイノリティもマイノリティ、実在するゴースト・ペインターなのですから。
物語は、夫・ウォルターが、妻・マーガレットの描いた「大きな目(ビッグ・アイズ)」の絵画を自分のものだと偽り、富と名声を得まくるというものです。
この時点でムカつく話だなあと思われたかもしれませんが、大丈夫、映画本編はその100倍くらいは胸くその悪くなる物語に仕上がっています。
佐村河内守の事件がどうでもよくなるくらいに、こっちほうがより最低ですから(もちろん脚色されている部分もあるとは思うのですが)。
何より、ウォルターを演じたクリストフ・ヴァルツが最高すぎます。
『イングロリアス・バスターズ』や『ジャンゴ 繋がれざる者』でもその存在感は群を抜いていましたが、本作では軽く殺したくなるくらいのゲス野郎を演じてくれました。
ヴァルツの怪演だけも、本作をスクリーンで観る価値は十分でしょう。
本作は「ウソ」をめぐる寓話としてもおもしろく仕上がっています。
ウォルターは「利益」を得るためにウソをつき、妻を利用している最低野郎なのですが、どこか単純に「悪」と表現できない、含みのあるキャラクターになっています。
ウォルターは妻のことをどう思っていたのか? 「大きな目」の絵画は彼にとって単なる商売道具にすぎなかったのか?
そういった疑問をいろいろと考えてみると、より作品に深みを感じられるでしょう。
興味深いのは、ティム監督の傑作『ビッグ・フィッシュ』と同じく「ウソ」がテーマでありながら、その価値観は正反対であることです。
![]() | ジェシカ・ラング 1400円 powered by yasuikamo |
『ビッグ・フィッシュ』のウソは人を幸福にさせましたが、『ビッグ・アイズ』のウソは人(マーガレット)をとことん不幸にさせます。
単純にウソそのものが悪というわけではなく、重要なのは「ウソの使いどころ」なのでしょう。
そうした教訓も、このふたつの作品は教えてくれました。
また、物語では「気の弱い世間知らずの女性が、口のうまい男の言いなりになってしまう」という男性優位の構造も描かれています。
本作ではその描きかたがとてもうまく、夫の言われるがままに閉じこもって絵を描き続ける(ふつうに考えれば理解できない)マーガレットの心理を余すことなく伝えてくれます。
フェミニストが観ればきっとこの映画の物語に怒り、そして物語の決着にカタルシスを感じられることでしょう。
この映画が真にすばらしいのは、芸術に対して真摯な姿勢であることです。
ティム・バートン監督は、自身が「ビッグアイズ」の絵画の大ファンであったこともあり、一連のスキャンダルにより純粋に絵画を観ることができなくなっていた状況を嘆いていたそうです。
映画ではそのスキャンダルを描きながらも、絵画の作者・マーガレットの絵画への想いがしっかりと描かれています。
絵画にとどまらず、クリエイターの方たちにとっても、とても励みになる作品なのではないでしょうか。
また、本作で描かれている大きい目の絵画は、日本の萌えアニメや少女漫画のようでもあり、いかにも現代的です。

これが1960年代に描かれていたというのも驚きですが、ブライス人形や『パワーパフガールズ』に影響を与えるなど、現代のアートにもその魅力が引き継がれているのです。


さらには、ティム・バートン監督のアニメーション作品にも、その「大きい目」のキャラクターが多くいたりします。


今日(こんにち)のアートの源流と呼べる作品「ビッグ・アイズ」が、ゴースト・ペインターによるものだという事実は、隠していいものではありません。
日本ではなじみのなかった、マーガレット・キーンというアーティストの作品が知られる機会になったことを、うれしく思います(自分もまったく知りませんでした)。
※マーガレット・キーンの公式サイトはこちら(英語)↓
<About Margaret | KEANE EYES GALLERY>
言い忘れていましたが、ティム・バートンらしいファンタジーや、ほんわかするコメディーはあまり期待しないほうがいいでしょう。
クリストフ・ヴァルツのクズ野郎の演技が怖すぎるせいもあり、本作は終盤にしたがってホラー映画の様相も呈してくるのですから。
笑えるシーンもあるにはあるのですが、それは「やっていることがゲスすぎて笑う」という、ブラックすぎるものなんだよなあ……個人的にはこういうのは大好きなのですが、ただただ嫌悪感を持つだけの人も少なくないでしょう。
難点は、マーガレットが虐げらるシーンが多めでわりと観ていて落ち込んでしまうこと(これは褒め言葉でもあります)と、実話がベースなこともありやや盛り上がりに欠けること。
それでも登場人物の心の移り変わりはドラマティックに描かれていますので、1時間40分あまりの上映時間があっという間に感じられるほどのおもしろさがありました。
ティム・バートン監督のファンはもちろん、さまざまなクリエイターの方、絵画ファンの方、濃密な人間ドラマを求める方にも大プッシュでおすすめします。
↓以下、結末も含めてネタバレです。観賞後にご覧ください。
初めに作中の小ネタから書きます。
~作中に登場するアーティストや番組の名前~
・アンディ・ウォーホル
ポップアートの第一人者。冒頭のテロップで「キーンの作品が素晴らしいのは、万人に愛される魅力があったことだ」という彼の言葉が示されていました。
・ペリー・メイスン
アメリカの法廷ドラマ。ウォルターは裁判でひとり芝居をしまくっていましたが、法廷に関する知識はこのドラマ以外にはなかったようです。
・ジョージア・オキーフ
女性画家。マーガレットは「女性の画家は売れない」というウォルターの言葉を聞いて、彼女はどうなの?と疑問に思います。
・アメデオ・モディリアーニ
マーガレットが、「ビッグ・アイズ」とは違う「自分の絵画」を描いたとき、「モディリアーニのラインが好き」と答えていました。確かに画風が似ていますね。
・タブ・ハンター
・ジョーン・クロフォード
・ザ・ビーチ・ボーイズ
「ビッグ・アイズ」の展覧会に訪れていたそうです。
・蒋介石夫人
「ビッグアイズ」のファンだったそうです。ウォルターは権力者も味方につけようとしていたのかも……
~信頼は、やがて恐怖に~
この物語で皮肉的なのは、最初にマーガレットの絵の価値に気付いたのがほかならぬウォルターだったことと、ウォルターの話術や商売方法が巧みであったことです。
マーガレットは「エスプレッソ」の意味もわからない世間知らずで、いままで働いたことすらもありませんでした。
彼女は露店の似顔絵を2ドルで売るばかりか、1ドルでやってくれという客の要望にすぐに従ってしまいます。
そして……外国人に「この絵の作者は誰だね?」と聞かれても、すぐに声をあげることができませんでした。
ウォルターが精力的にビッグアイズの絵を売っているそばで、自身のペンネームの由来という、大多数の人にとっては興味のないことを話しだしたりもします。
マーガレットは引っ込み思案な女性です。
彼女がウォルターの「誰とでも寝る」という悪い噂を聞いても、それを容認してたのは、彼の人を引き付ける力を信じ、自分を助けてくれると思っていたからなのでしょう。
「マーガレットの絵が売れたのは、ウォルターの天才的なプロデュース力のおかげ」ということも否定はできません。
そのマーガレットがウォルターに感じていた「信頼」は、やがて「恐怖による抑圧」へと変わっていきます。
ウォルターはマーガレットを部屋に閉じ込め、娘とも気軽に会えないようにして、さらには「バラせば殺す」とまで言うのですから……
ウォルターが、マーガレットと娘にマッチの火を投げ、部屋に追い詰めるシーンは下手なホラー映画よりもはるかに恐ろしいものでした。
~評論家としてのウォルター~
中盤には、ウォルターが持っていた風景画すら、ゴースト・ペインターの手によるものだったことが明らかとなります。
ウォルターは自分で絵を描いたことすらない詐欺師であり、ただの「評論家」と言ってもよいでしょう。
ウォルターが「大傑作」と呼んだ「ビッグ・アイズ」の巨大な絵画は、ライフ誌の評論家に「下品で低俗だ」と酷評されてしまいます。
ウォルターは評論家に激高し、さらにはマーガレットに「諸悪の根源はお前だ、あんな低俗な作品を描いて俺をハメようとした!」とほざきます。
ここでウォルターは、自身も作品を酷評している評論家になっているという事実に気づいていません。
ウォルターはマーガレットの絵の才能に気づきました。
絵画の展示場所がトイレ近くの廊下しかなかったことに「ク○と絵がいっしょか?」と怒ったこともありました。
ウォルターは絵描きではありませんでしたが、絵画への敬意、「見る目」はあったはずなのに……
しかし、ウォルターは女性の「この目は孤独を表しているのよ」という言葉を、作品の感想であることにしばらく気づかなかったこともありました。
ウォルターに作品のテーマを読み解く能力はなかったとも言えるので、やはり評論家としても失格かもしれません。
そういえば、作品を酷評した評論家も、「教育的な場所でこの絵をさらすわけにはいかない」という真っ当なことも言っていました。
それに対して、ウォルターのやっていることは「絵を売って有名になって、人々から尊敬されて、ウハウハな暮らしを続ける」ということだけですよね。やっぱり最低だこいつ。
でも、ウォルターは本当に画家になりたかったのかもしれないなあ……
誰にでもできる不動産の仕事をしていたのは、自分が画家になれないことをわかっていた(そもそも描いてもないけど)からなんでしょうね。
~エホバの証人~
おもしろかったのは、メソジストであったマーガレットがエホバの証人の「真実を告げること」の教えを聞いて宗派を変えてしまうこと。
このことにウォルターは「彼女は新興宗教にハマった」と卑下し、「クリスマスもなし、娘はプロムも禁止だ」と批判します。
当のマーガレットの娘も、友だちとサーフィンをしに行くときに「ママってめんどくさい」と思ったり、いざ裁判をするときに「エホバの証人って訴訟はOKなの?」と聞いたりで、宗教を心のよりどころにしている弱弱しい母親を疎ましく思っていたところもあるんだろうなあ……。
マーガレットは誠実な女性でしたが、いいところばかりでもありません。
~決着~
裁判で、ウォルターが延々と「こんな有名人にあったんだぞ!」自慢し、「すみません、アーティストなので感情が爆発しました」とほざくことには笑ってしまいました。厚顔無恥もここまで来ると尊敬します。
マーガレットはウォルターのことを、「あなたは人を引き付ける力を持っている、宣伝については天才的だわ」と褒めることもありましたが、一方でジキルとハイド(二重人格者)である(自分を抑圧していた)と非難もします。
マーガレットはウォルターにとことん支配されていましたが、彼の尊敬するべきところはしっかりと見ていたのです。
裁判の決着は単純、「絵をその場で描いて見せてそれを証拠とする」だけでした。
この間にもウォルターはあきらめることはなく、「インスピレーションが出るのを待っている」「腕を痛めて描けない」とまでほざきます。こんな人間が実在するのかよ……
どれだけウソをついても、真実にはかないません。
どれだけ話術や宣伝が巧みであっても、その作品が持つ価値にはかないません。
マーガレットは、最終的に娘と、絵画の両方を取り戻すことができました。
これは、作品を表現する者の勝利の瞬間でもあります。
~ビッグ・アイズ~
マーガレットは、ウォルターのウソに気づくことができませんでした。
ウォルターも、マーガレットの絵が「売れる」ことに気づいても、その絵画が「孤独」を表していることなどには気づきませんでした。
ふたりとも、「盲目的」という欠点を持っています。
しかし、「ビッグ・アイズ」の絵画の少女は、大きな目で見つめています。
マーガレットは大きな目を描く理由について、「人はなんでも目を通して見る、目は心の窓よ」とも答えていました。
大きな目を持つ絵画がマーガレットを最終的に幸せへと導いたのは、その目が真実を見ていたからなのかもしれません。
↓おすすめ
町山智浩 ティム・バートン監督映画 ビッグ・アイズを語る
唐突に揚げ足取りのようなコメントで申し訳ありません。
> 唐突に揚げ足取りのようなコメントで申し訳ありません。
いえ、貴重なご意見をありがとうございました。
修正させていただきます。
ミスです。すみません。
なんてこった!萌の国日本のオタク族でありながら今までマーガレット・キーンさんを知りませんでした!絵は高くて買えないけど画集欲しいです!(ウォルターの言った通りの客ですみません・・・)
それにしても脳より眼球の方が大きそうな顔の造形は決して日本の御家芸ではなかったのですね。恐れ入りましたと同時に日本の萌やKAWAII!が欧米でも受けるのが不思議ではないと思えました。
>この物語で皮肉的なのは、最初にマーガレットの絵の価値に気付いたのが
>ほかならぬウォルターだったことと、ウォルターの話術や商売方法が巧みであったことです。
ウォルターは確かにクズなのですが、不相応な夢も欲も諦め、自分の本当の才能に気付き活かし、妻と寄り添えば幸せになれたのに・・・と思うと彼を哀れに思ってしまいます・・・。
>~エホバの証人~
宗教嫌いの私ですが、まさか新興宗教が人生を前向きに導くとは・・・と良い意味で驚かされました!
(エホバの商人は他の新興宗教に比べて不祥事をあまり聞かないので、それ程嫌ってはいないのですが、家に何度か来てくれましたけど子連れお母さんとお婆ちゃんを寄越すのはヤメテください!)
あとウォルターよりもゴシップ記者こそが本作完全無欠のクズだと思います。