『リリーのすべて』自己同一性障害の映画でもあった(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)
個人的お気に入り度:8/10
一言感想:“完全”になりたかったんだな……
あらすじ
1926年のデンマーク。
風景画家のアイナー・ヴェイナー(エディ・レッドメイン)は、同じく画家の妻ゲルダ(アリシア・ヴィキャンデル)に女性モデルの代役を依頼され、自身の内面にある“女性”の存在を感じ取った。
アイナーはやがてドレスを着て、「リリー」と名乗り女性らしく振舞おうとする。
心と体の不一致に悩むアイナーは、ヘンリクという男(ベン・ウィショー)に迫られるが……。
『英国王のスピーチ』『レ・ミゼラブル』のトム・フーパー監督最新作です。
本作の原作は、世界初の性別適合手術をした実在の女性リリー・エルベを“モチーフとした”小説です。
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モチーフにしたということは、原作の時点でフィクションの側面が大きいということ。
手術後の経緯や、妻のゲルダとの顛末は史実と異なっているのです
実際の出来事との乖離があることを、否定的に思う方もいるかもしれません。
しかし、自分は映画という媒体では、伝えたいテーマがより明確になり、よりおもしろくなるのであれば、たっぷり脚色してもよいと考えているほうなので、本作の“創作”は大いに気に入りました。
自分がこの映画でもっとも好きだったのは、性同一性障害だけでなく、自己同一性障害も描いていたことでした。
主人公のアイナーは、自分の性に違和感を感じているトランスジェンダーで、自分の中にいる女性の“リリー”を、自分とは別の人間である、と考えています。
とはいえ、『ジキル博士とハイド氏』のような、創作物によくあるハッキリとした解離性同一性障害(多重人格)とは違います。
リリーはどこか不確かであいまいな存在であり、ただアイナーがリリーという女性を演じているだけのようにもみえるのです。
(広く解釈すればアイナーは境界性人格障害でもあります。ただ、こうした症例は広汎なものであり、どれがどれであると決めつけるのはあまり好ましいとは言えません)
このリリーという存在が“もやもやとした不完全なもの”であることは、アイナーにとっては大きな問題です。
そして、彼(彼女)が、性適合手術を経て“完全な女性”となれるのか?ということが、物語の大きなみどころとなっているのです。
『博士と彼女のセオリー』の受賞に引き続き、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされたエディ・レッドメインの演技は神がかっています。
エディは実際にたくさんの世代の異なるトランスジェンダーの女性と話をしていたとのことですが、ここまで見た目だけでなく体つき、機微な動作でさえも“女性の性に目覚めた男性”にしか見えないとは……。

とくに自分が感動したのは、男性(ベン・ウィショー)としゃべるときに、“のどぼとけをなんとか抑えて、なるべく高い声で話そうとする”演技でした。
このツバの飲み込み方、話し始めるまでのとまどい、それはもう演技という枠を超えて、本物としか思えないほどです。
このほかにも作中には何度も、エディ・レッドメインが全身で“女性を自覚する”シーンがあります。
編集や撮影も洗練されおり、そこにはある種の美しさがありました。
助演女優賞を受賞したアリシア・ヴィキャンデルも、確かな存在感を放っています。
エディとキスをするときの表情の変化には、複雑な感情がみえるでしょう。
役者の演技だけでも、本作は劇場で鑑賞する価値があるはずです。

なお、原題は『The Danish Girl』でその意味は「デンマークの女の子」となっています。
このタイトルは、リリーが自分の存在が不確かであることと相対するものなのではないでしょうか。
「デンマークの女の子」は確かにその女性が存在しているような“ほめ言葉”であるのに、自分の中にいるリリーは不完全な存在である、というように……。
(そういえば、映画の冒頭では、アイナーは画家としてほめられていましたね)
これは、リリーが完全な“The Danish Girl”になりたいと願う物語なのかもしれません。
また(原作からではありますが)邦題の『リリーのすべて』も、とても内容にマッチしていますね。
これは妻のゲルダが、大好きな夫(リリー)の「すべて」を知っていく物語でもあるのですから。
余談ですが、本作でトランスジェンダーのことをもっと知りたくなった方には、『トランスアメリカ』をおすすめします。
性別適合手術を一週間後に控えた“父親”とその息子が旅をするロードムービーで、フェリシティ・ハフマンは“女優”ながらトランスジェンダーを見事に演じきっています。
日本のマンガであれば、『ヒメゴト〜十九歳の制服〜』もぜひ読んでみてほしいですね。
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女装をする男、男らしい女性、援助交際をする女の子、という3人の主人公が織りなす物語であり、『リリーのすべて』と同じくアイデンティティー(自己同一性)がテーマのひとつとなっています。
※ブログを始めてすぐにこんな記事も書いていました↓
<女装もの&同性愛ものな映画をまとめてみた>
こうしたトランスジェンダーやLGBTの作品が多く生まれ、多くの著名人がカミングアウトし、理解がどんどん深まっていくのはうれしいですね。
若干15歳のジャズ・ジェニングさんは世界中から注目され、
ウォシャウスキー姉弟は“姉妹”になり、
生田斗真がトランスジェンダーの女性役を演じる映画も公開予定
と、その認知と理解は、近年でさらに一般的になってきたのですから。
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どうでもいい自分語りをすると、自分も女の子に生まれたかったと願うプチ(?)トランスジェンダーです。
中学生のときに女装したり、大学生になったときにはゴシックロリータの格好をしたりしていました。
創作物の男の娘ネタが大好きですし、いまでもレディースものの服をふっつーに着ていたりもしていますし、このブログで一人称が“自分”になっているのは“僕”や“俺”という男性の一人称を使いたくなかったからだったりします。
そんな自分であるから、本作『リリーのすべて』の主人公の姿は「まるで自分」であるために観ていてすごく辛かったです。
その辛さが、たとえトランスジェンダーでなくても、普遍的に多くの方がわかるようになっているというのが、本作の優れていたところです。
あまり劇的な展開が起こらない作品であるので、退屈に思う方もいるかもしれません。
しかし、セリフの端々に今後の伏線がいくつも込められているので、注意して会話を聞くことでよりスリリングに感じられるでしょう。
R15+納得の性描写がありますが、それは作品に間違いなく必要なものです。
多くの方におすすめします。
以下、結末も含めてネタバレです 鑑賞後にご覧ください↓
〜隠し事はきらい〜
ヘンリク(ベン・ウィショー)が言っていた「僕は隠し事はきらいなんだ」はよくよく考えると怖いですね。
なぜなら、彼はリリーがアイナーという男性であると知りながら迫っていたのですから……。
そして、自らがゲイであることを隠しながらも「隠し事がきらい」とも言っていた、ということでもあります。
また、ヘンリクは1度目の手術を終えたリリーを見て「本当の女性なの?」と驚いていました。
その後にリリーは「あの人(ヘンリク)はただのゲイだったわ」と言い捨てています。
ヘンリクが愛していたのは、あくまで異性装をしていた男性のアイナーだったんでしょう。
ゲイであることをはっきりと主張せずにただアイナーを求めるヘンリクは、女性として生きたいと願うアイナーにとっては理解できない存在だったのかもしれません。
(アイナーがヘンリクに「私はゲイじゃない!」と叫ぶシーンもありました。よく誤解されやすいのですが、トランスジェンダー=ゲイやレズビアンということはなく、性自認が女性であっても女性が好きな人や、その逆も、両方の性が好きな方もいます)
この出来事は、ますますアイナーの「アイナーを消したい」「リリーになりたい」想いを強くしたのでしょう。
〜愛されるに値しない〜
切なくてしかたがなかったのは、序盤にアイナーはゲルダに「私の妻、私の命(My Wife, My Life)」と愛の言葉を告げていたのに、いざリリーになるための手術を始めると、「私は自分の人生を生きる。あなたはあなたの人生(You're Life)を生きて」と言い放ってしまうこと。
アイナーは、リリーになればなるほど、愛していたはずのゲルダはだんだん“他人”になることを自覚していました。
彼はひとり病室で泣いてしまい、あまつさえ「これほどの愛に私は値しないわ」と自己を卑下する言葉までも口にしています。
〜友人はわずか〜
アイナーにとって救いとなるのは、ゲルダには、親友であるハンス(マティアス・スーナールツ)という新たな恋人ができていたこと。
そして、ハンスが「僕には友人はわずかだ。このふたりだよ」と言って、ハグをしてくれたことでした。
このときのアイナーは、リリーではなく男性(アイナー)の姿をしています。
アイナーの存在を消そうとしている、ともすればアイナーを嫌っている彼にとって、アイナーそのものを「友人」と呼んでくれる(愛してくれる)このハンスの言葉は福音となったでしょう。
〜赤ちゃん〜
アイナーはリリーになるための手術を始め、赤ちゃんを身ごもっている女性と話をしていました。
「あなたは(赤ちゃんは)どうなの?」と聞かれ、アイナーは「さあどうかしらね」と答えています。
後で、アイナーは医者と「子どもができるようになるまでがんばろう」とも話をしていました。
だけど、アイナーは手術が成功しても子どもは産めないこと、または自分が途中で死んでしまうことを悟っていたかのようにも思えるのです。
なぜなら、彼が死の直前に見たのが、「赤ちゃんが生まれて、母親にやさしく抱かれる」という幻影だったから。
その語りかたは、手術が成功したアイナーが赤ちゃんを産むというよりは、アイナー自身が赤ちゃんとして生まれた、というもののようにも思えました。
アイナーは、自分が生まれたときから女の子であることを何よりも願っていたのではないでしょうか。
手術を経て女性になったとしても、リリーは完全にはなれない。
女の子の赤ちゃんとして生まれ、そして女の子して愛されて生き続ければよかった、とーー。
それは、ずっとアイデンティティーに悩んでいたアイナーの悩みを解消する、“たったひとつの答え”だったのでしょう。
もちろん、その願いは叶うはずはないのですが……。
切ない結末ではありますが、最後に“リリー”が赤ちゃんとなった生まれる姿を見れた彼女は、幸せだったのかもしれません。
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ゲルダが飛んでゆくスカーフ(恐らく序盤でゲルダがアイナーにふざけて巻いた奴と同じ)を飛ばせてあげて、と見上げるシーンでリリーの魂は肉体の檻から解き放たれたのだと本当に安心しました。
初恋の男性は幼稚園の年上の男の子で、初恋の女の子は高校の同級生でした。どっちかが好きな人もどっちも好きな人も、どっちも好きじゃない人も皆皆自分らしく生きられる社会がいいな、と思ってます
私はリリーとアイナーのふたり、だと考えました。今のままのアイナーもそしてリリーのことも友人だと伝えたことがリリーにとってすべてを友人として受け入れてくれたこととしてとても嬉しかったことなのでは、と感じました(^ ^)