『レッドタートル ある島の物語』亀は“孤独”の象徴か(映画ネタバレなし感想+ネタバレ解釈&レビュー)
個人的お気に入り度:6/10
一言感想:この作風こそが大切だった
あらすじ
無人島にたどり着いた男は脱出を試みるが、なぜかいかだを壊され島に引き戻されてしまう。
絶望的な状況に置かれた男の前に、ひとりの女が現れて……。
フランス発、あのスタジオジブリが共同製作を務めたアニメ作品です。
本作の監督であるマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット(←言い難い)は、シナリオ、絵コンテから効果音・音楽に至るまでスタジオジブリと何度も打ち合わせを重ね、なんとオファーから10年の歳月をかけて完成させたのだとか。
この『レッドタートル』のもっとも大きな特徴は、全編にセリフがないということでしょう。
吹き替えや字幕もいらない、そのままグローバルに展開できる映画なのです。
そういえば、今年は『父を探して』という同じくセリフなしのアニメ映画が公開されていましたね。
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『レッドタートル』と『父を探して』で思ったことは、アニメと「セリフなし」という作風は相性がいいということでした。
実写ではできないイマジネーション溢れる画は、言葉をかぶせなくても「それ」だけで訴えられるものがあります。
そこには、画からいろいろな想像を膨らませるという、小説などでは決して感じられるないおもしろさが存在しています。
音楽も落ち着いており、そこには「癒し」の効果もあるよう。ゆったりとした映画を観たい方にはうってつけと言えるでしょう。
ドゥ・ヴィット監督はこの作品を通じて、「人間性を含めた自然への深い敬意、そして平和を思う感性と生命の無限さへの畏敬の念を伝えたい」と語っています。
そのことを感じるのはもちろんですが、個人的にこの作品で描かれていることは「孤独」だと思いました。
もちろん人によってさまざまな解釈があるでしょう。
ぜひ、ご自身の感性で、作品を読み解いてみることをおすすめします。

また、スタジオジブリが海外の監督をプロデュースしたのは初めてとのことですが、過去には他社が制作した映画のビデオを販売するレーベル「ジブリCINEMAライブラリー」も展開していたりします。
その1作品、『キリクと魔女』はマイナーだからと言って切り捨てるのはあまりに惜しい傑作だったので、ぜひ多くの人に観て欲しいです。
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なお、『キリクと魔女』も含めいままでのジブリ作品は子どもから大人まで楽しめる作品だったのですが、『レッドタートル』は子どもにはおすすめしません。
落ち着いた島や海の画ばかりでバリエーションは少なく、あまり劇的な展開もないので、「ジブリだから」と言って小さい子を連れて行くとグズってしまう可能性が高いでしょう。
小学校高学年以上推奨、という感じですね。
大人にとっても、到底万人向けとは言えない内容です。
「解釈をぶん投げ」スタイルは観る人を選びまくることは間違い無し。
怒涛の展開と力強い言葉で攻めてきた『君の名は。』の後に観ると、余計に面食らうのではないでしょうか。
ドゥ・ヴィット監督の短編作『岸辺のふたり』を観ても、そのことはよくわかるでしょう。
でも、どちらがいい、悪いというわけでなく、それは「作風」を突き詰めた結果にあらわれたものです。
『レッドタートル』は、映画(アニメ)という芸術の多様性を知らしめてくれるでしょう。
個人的には『ファインディング・ドリー』で同時上映された短編『ひな鳥の冒険』(傑作!)が好きだった人にオススメしたいですね。
波打ち際の画、訴えられていること、ちょっとかわいい生き物がでてくることにはかなり似たものを感じました。
そのほかで似ていると思ったのは、やはりサバイバルものであり、「孤独」との戦いが描かれた『キャスト・アウェイ』ですね。
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積極的なオススメができるかと言えば否、ですが一風変わったアニメ、ジブリ作品の新機軸を観たい方はぜひ劇場へ。
上映時間が81分と短く、空いた時間に気軽に観られるのも長所ですよ。
※お子さんにはこちらもオススメです↓
<『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』が必見である5つの理由 | シネマズ by 松竹>
※『レッドタートル』はカンヌ国際映画祭の「ある視点」特別賞というややマニアックな賞を受賞している時点で、玄人向けだったことがわかりますね。「ある視点」ある才能賞を受賞したこんな映画も同じ日(9月17日)に公開されています↓
<『トレジャー オトナタチの贈り物。』が“奇妙”で“おもしろい”5つの理由 | シネマズ by 松竹>
以下、結末も含めてネタバレです 鑑賞後にご覧ください↓
〜自然の脅威〜
序盤に男が水たまりを飲むと、すぐに土砂降りの雨が降ってくる、というシーンがあります。
同じ「水」という「自然」であるのに、人間にとってよい影響も悪い影響も与える、ということが示されています。
そして、終盤に水は「津波」という形で男たちを襲ってきましたね。
本作は『君の名は。』や『シン・ゴジラ』のように、災害(または3.11)以降の人の姿を描いているとも取れます。
アシカが腐って死んでいるのは、後にとても長い長い時間が経つことへの伏線になっているようにも思えます。
時間は残酷だけど、その時間があってこそ、得られるものがあるはずですから。
〜孤独〜
レッドタートルは、無人島で孤独を抱えていたのでしょう。
ほかの亀とは違ってその体は赤く、集団で泳ぐ姿はありません。
いかだの下にいた、魚にも逃げられていた描写もありました。
レッドタートルがなぜ男のいかだを何度も壊し、島に引き寄せたかと言えば、自分と寄り添ってくれるのではないか、孤独な自分を救ってくれるのではないか、という希望を抱いたからなのでしょう。
そのレッドタートルの想いは、人間の女になり、愛し合い、そして子どもをつくるという奇跡を起こしました。
男は、女から貝を分け合ったとき、レッドタートルであったころの彼女の頭を叩いたことを思い出していました。
このときに男は限れた場所で(心で)分かち合う大切さを知り、その贖罪のため、「一生」彼女と寄り添うことを決めたのでしょう。
〜出発、そして奇跡の終わり〜
男は島に訪れてすぐ、岸壁の間にある狭いところに落ちて、水の中の狭い道をひっかかりながら、その場を脱出していました。
しかし、同じくそこに落ちた子どもは、体が小さいため簡単にそこを抜け出していました。
これは、子が父を超えていくことを暗示していたのでしょう。
子どもは、漂流してきた「文明の証」であるビンを見つけます。
男は、砂の上に絵を描いて「たくさんの人がいる世界」を教えていました。
一方で、女は砂に亀の絵を描いて(しかも1度描き直す)「自分の姿」を教えることしかできませんでした。
子どもは旅に出ることを決意します。
女はうなづき、男も納得したようでしたが……ふたりは子どもといっしょに旅立つことはありませんでした。
その理由は……男が、女を二度と孤独にしたくない、と思ったからなのでしょう。
男は潜在的に、この島でないと、女の「奇跡」がなくなり、レッドタートルに戻ってしまうと思っていたのかもしれません。
最終的に、年老いた男は死んでしまいます。
もとの姿に戻ったレッドタートルは、海へと戻りました。
亀は「亀は万年」と言われるほどの長生きな生き物であり、実際に200年近く生きることもあります。
これからも、レッドタートルは孤独に生きる、生きなければならないでしょう。
レッドタートルが男を引き止めたのは、勝手なことかもしれません。
しかし、男と過ごした何十年かの時間は、きっとレッドタートルにとって、とても幸せな奇跡であったに違いありません。
その時間は、男にとっても、かけがえのないものだったでしょう。
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>>男は女から貝を分け合ったとき、レッドタートルであったころの彼女の頭を叩いたことを思い出 していました。 このときに男は憎しみを忘れ、限れた場所で(心で)分かち合う大切さを知ったのでしょう。
>私は憎しみを忘れたというよりは、なんとなくですが「過去(海亀の頃)に彼女に暴力をふるった」ことへの後ろめたさ、罪悪感を強調するシーンにも見えました。
自分も所日初回なのに10人くらいでした・・・
>
> >>男は女から貝を分け合ったとき、レッドタートルであったころの彼女の頭を叩いたことを思い出 していました。 このときに男は憎しみを忘れ、限れた場所で(心で)分かち合う大切さを知ったのでしょう。
> >私は憎しみを忘れたというよりは、なんとなくですが「過去(海亀の頃)に彼女に暴力をふるった」ことへの後ろめたさ、罪悪感を強調するシーンにも見えました。
言葉間違っていました!おっしゃる通り罪悪感のシーンですね。訂正します。
>レッドタートルがなぜ男のいかだを何度も壊し、島に引き寄せたかと言えば、自分と寄り添ってくれるのではないか、孤独な自分を救ってくれるのではないか、という希望を抱いたからなのでしょう。
なるほど!彼女も孤独を抱えた存在だったのですね!納得がいきました!
自分はレッドタートルがイカダを壊した明確な描写が無かったので、実は男は島で一生を送ることを神か何かに運命づけられていて、その孤独を憐れんだレッドタートルが男に寄り添ったと思っていましたw
でも亀の方も同じ孤独を抱えていた、っていう方がいいですね!
>個人的にこの作品で描かれていることは「孤独」だと思いました。
「おみおくりの作法」のような「孤独」という考え自体が少しポジティブにとらえられるところが良かったですね。
ただ自分が見に行った日は台風が近づいていまして、劇場は自分一人でしたw
孤独な映画を更に孤独に味わえたのは良かったですが、もうちょっとヒットしてほしいですねw
そういやレッドタートルがイカダを壊した明確な描写が無かったですね。そちらの解釈もなるほどです。
>自分が見に行った日は台風が近づいていまして、劇場は自分一人でしたw
続々と聞こえる「ガラガラだった」情報……いい映画なんだけどなあ。
ラストシーンで感じたのは、やはり『孤独』です。
レッドタートルは他のウミガメたちのように仲間もおらず、きっとただ一種の生物なのでしょう。そして長寿なのです。
中盤までは「男の孤独」を描いているだけだと思っていましたが、最終的に「レッドタートルの孤独」が描かれていたことに気づき、衝撃的でした(そして不覚にも涙を……)。
ガラパゴスに生息していたロンサム・ジョージや、『ヒワとゾウガメ』という絵本を思い出しました。亀という長寿の生き物は、それだけで哀愁を感じてしまいますね。
万人向けの映画では決してありませんが、観終わったあとに色々と解釈を巡らせることができる、味わい深い作品でした。もっと多くの人に観てもらいたいです(オススメしにくいけど)。
あと、ちょいちょいカニが可愛いです(笑)。
おっしゃるとおり、サイレント映画という言い方は誤りですね。
ご指摘感謝です。修正します。
観客が少ない々々々というのに、ようやく時間が取れて観てきたら、8~9割方は客席が埋まっていた件。
よく見たらなんか親子連れとかもいるし、一家4人で『レッドタートル』か、興行的におめでてぇな。(吉野家コピペ
> 今年は『父を探して』という同じくセリフなしのアニメ映画が公開
『父を探して』を始めとした昨今の無声作品との決定的な違いは、身振り手振り的な表現、大袈裟な演技、具体的描写が無いという点。
例えば『父を探して』ならば、主人公の少年が終盤で直面するこの世界の諸問題は実写を以て具体的に描かれる。
『レッドタートル』と同じくフランスの作品である『ミニスキュル』も表現は漫画的で、観りゃわかる、という描き方をしている。
無声とは少々違いますが『ミニオンズ』ならば、彼らの演技は大袈裟ですらある。
これらに対して本作は、抽象的な演出は多いものの、登場人物の動作は到って自然であり、わざとらしさは感じられない。(逆に言うと、自然体の動作である故に、より抽象性が増しているとも)
ここまで自然な動作をして、言葉を要さないグローバルな演出のできることに、まずは驚きがありました。
> もちろん人によってさまざまな解釈があるでしょう
主人公の男が“女性”と結ばれる流れは、男のエゴイズムと読むこともできるし、レッドタートルに対する懺悔と読むこともできる。
> レッドタートルが男のいかだを何度も壊し
これ自体も解釈が分かれそうです。
何故ならば、レッドタートルがいかだを壊す直接的な場面は一切なく、じつは男もそれを直接見ている訳ではないのですから。
私はむしろ、これを“なにものかはわからない”というマクガフィンを使った「島から出ることができない」という比喩であると考えました。
後に彼は“明らかに人工物である”桟橋や弦楽四重奏団の幻覚を見て発狂していきます。これらも含めて、「どんなにしてもこの島から出ることができない」ということを歪曲的に表現(フランス映画ではよくあること)したものではと思いました。
> 「文明の証」であるビン
映画ファンならば『コイサンマン』(1981年、ジャミー・ユイス監督)を髣髴する筈!
> ふたりは子どもといっしょに旅立つことはありませんでした
構造的には、もとの状態(子どものいない状態)に戻った訳であり、私はこれこそ「この話は本当は……」という暗示だと受け取りました。
> ちょっとかわいい生き物がでてくること
これ、カニがすんごく可愛いんですよね。
ただ、このカニ。竹の小枝を持って追いかけっこをして遊んで(?)いるカニが、ずーっといるんですよ。
解釈によっては、「じつはそんなに時間が経過していない」=「すべては男の幻影」という読み方もできる気がするのですよね。
スクリプタのミスなのかもしれませんが、津波が起きて粗方木々が薙ぎ倒された筈なのに、無傷な場面もあったりするのを見ると、そういう気がしてきてなりませんでした。
全編を観て思ったのは、『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』と対を成す作品だな、ということ。
『ソング・オブ・ザ・シー』はその名の通り「うた」が一つの主題となっており、会話もあること。
対して『レッドタートル』は台詞のまったく存在しない劇だということ。弦楽団の音楽はあっても、そこに「うた」は無い。
『ソング・オブ・ザ・シー』は男のところから妻が去り、子どもが残る構造であること。
対して『レッドタートル』は男のところに女が現れ、子どもが去っていく構造であること。
どちらも海に関わる物語であり、島が舞台であること。
どちらも古代伝承をモティーフにしている、若しくはモティーフにしていると思われること。
(『ソング・オブ・ザ・シー』は北欧のセルキー伝承に由来し、『レッドタートル』は日本の浦島太郎伝説を彷彿させる。特に後者は、長い年月が経過するという点も含めて、浦島伝説の要素が感じられる)
まぁ、こじつけと言われればそれまでですが。