幸福な『終活』「エンディングノート」ネタバレなし紹介+ネタバレレビュー

個人的お気に入り度:7/10
一言感想:あまりに幸せそうすぎて・・・
あらすじ
サラリーマンの砂田知昭は、ある日ガン告知を受ける。
死ぬにまでに綴るのは「エンディングノート」。
エンディングノートとは、遺書よりもフランクで、法的効力を持たない覚え書きのようなもの。
彼にとって、それは人生最期の一大プロジェクトだった。
娘の砂田麻美は、その姿をカメラに収め続ける。
素晴らしい映画です。
監督は是枝裕和さんに師事した方で、この作品がデビュー作。それなのに、隙のない構成力で魅せてくれます。
映画のジャンルはドキュメンタリーですが、ほかの作品とは一線を画しています。
それは「どこにでもある男性の最期を看取る」というその題材。
ドキュメンタリーといえば「プロジェクトX」のような革新的な題材や、社会問題を取り扱ったものを想像するのですが、今作はそういった壮大さは皆無です。
主人公の砂田知昭さんは、(失礼ではありますがあえて)平凡な男性。
エンディングノートをつくることを「一大プロジェクト」と銘打ってはいますが、すごーく個人的で、小さな世界(家族)の中で行われているものなのです。
そんな映画なのに面白いんです。
それは一人の男性の人生がギュッとこの短い上映時間の中に詰まっているから。
たとえ平凡でも、他人の人生をのぞき見て、その幸福な最期を見ることに多幸感を感じるのです。
この映画の長所でもあり、また短所であるのが、この映画に登場する家族があまりに幸せすぎることです。
主人公の砂田知昭さんは家族だけでなく多くの人に愛され、子どもは社会的に成功し、孫にも囲まれています。
最も悲しい場面ですら、(個人的には)大したことではありませんでした。
この映画には「苦悩」「挫折」が欠落していると言っても過言ではありません。
人によっては感情移入しにくいでしょうし、自分のようなひねくれものにはちょっと「スパイス」が欲しいと思ってしまうのです。
でもこの映画はこれでよかったのだと思います。
監督が撮りたかったのは、幸せな父親の姿だったんだな、と映画を観終わって思うことができたからです。
最後の「一言」も心地よい余韻。
ハナレグミによる音楽も素晴らしい。
そして家族の想いに感動できます。
あらゆる年代の方におすすめです。
以下は作中のセリフと展開がネタバレしているので、映画をご覧になった方だけお読みください↓
彼がエンディングノートに書いた「to doリスト」に沿って簡単に感想を書きます。
ちなみに「父に変わってベラベラしゃべっている」のは娘であり監督でもある砂田麻美さんです。
・to do1 神父を訪ねる
洗礼名を考える砂田さん。恥ずかしながら、これを死ぬ前につけることを初めて知りました。
娘のことを「30にもなっても結婚をせず、何が楽しいのかカメラばかりを回しています」と言う、絶妙な距離感。大好きです。
会社の商品が8mmビデオカメラの規格に採用されませんでした。
会社は大丈夫だったのか、ちょっと気になります。
・to do2 気合を入れて孫と遊ぶ
(孫と遊んでいて)「このアゴで使われる感じがたまらないのでございます」は名言。わかる気がする。
・to do3 自民党以外に投票してみる
頼みたいことは「ガン患者に優しく」。この人素直だなあ。
作中にこれみよがしに民主党のポスターがあったのも皮肉っぽく見えます。
・to do4 葬式をシュミレーション
教会葬の利点とは①距離が近い②会場が好印象③リーズナブルということ。
②は人によって違うだろとも思いますが、まあ気にしないことにしましょう。
・to do5 あわび、母
なんだこのタイトル。本当に母と家族とであわび食べに行くだけでした。
「接待ゴルフの目的がゴルフでないように、この旅にもいろいろあるのでございます」という例えが上手い。
・to do6 式場の下見
「いくら段取りをしても本番では何かがおこるものでございます」という台詞は「段取り好き」のこの人ならでは。
・to do7 孫に会う
質問を聞かずにヒデキ感激という古臭いギャグをかます砂田さん。
あんた名前ヒデキちゃうやんとツッコんでたら、直後にトモアキ感激とかほざきました。でも憎めない。
妻を選んだ理由に顔と答えたり、「今まで不幸と思っていない」とすごく素直なんですよね。
そういうところも愛される理由なのでしょう。
・to do8 孫と遊ぶ、母と話す、親友と会う、息子に引き継ぎ
「近親者のみで式を行う」と言っていたのですが、この近親者は家族だけでなく、ごく親しい人も含めるのですね。
・to do9 洗礼をうける
「カメラで追い回していた次女(監督)は、最後まで段取り不足でございました」とさらに悪態をつきます。
でもこのセリフにも愛情が滲み出ている気がします。
「人はなぜ死ぬのかな」という疑問に孫の台詞が秀逸でした。
「1から100まで生きているから、体が本みたいに古くなって死んじゃう、花みたいに枯れちゃう」
死は必ず訪れるもの、ということは幼い子どもにもわかることです。
こういった形で「死」を知ることも、幸福なのかもしれません。
・to do10 妻に初めて愛していると言う
妻の「あなたがこんなにいい人だったなんて」には、ただ涙。
「そろそろ失礼しなくては、営業マンは引き際が肝心です」と最期までサラリーマンなのもたまらない。
・to do11 エンディングノート
最後まで娘についてぶっきらぼうに言う砂田さん。
そして「今どこにいるの?」と質問されたあとの、最後のあの一言。
素晴らしい余韻を残してくれました。
「死のための準備ができる」という点では、「ガンも悪くない」とも思えました。
担当医の方は「何故あそこまで元気でいられるのかわからない」と言っていましたし、もちろんガンの苦しみもあったのでしょう。
*以下のご意見もいただきました
癌による闘病はとても辛いです。混濁しない意識の中、癌の進行や転移によって弱っていく患者を診るのは家族にっとってこの上ない苦しみです。私なら愛してれば、愛するほど一瞬で亡くなる事を願ってしまいます。映画の家族に愛がないとは決して思ってません。この家族はとても素晴らしいです。
ただ、患者自身も闘病での入院費、介護などで家族に迷惑をかけて罪悪感も感じてしまうものです・・・
末期であれば、モルヒネの自由もありますが、癌による出血は止められません。血が流れ続ける家族を見るのはとても涙が止まらなくなります。
なので、どうしても癌を肯定的に考えられなくて書かせて頂きました。話を脱線させて申し訳ないです。医療従事または癌患者の家族の一意見としてお願いします。
しかし、主人公はガン告知を受け、余命がわかったからでこそエンディングノートを作れました
愛する家族と最期の時間を過ごすことができました。
何より、この映画を通して、多くの人にその幸せな姿を見せることができたのですから。
実は、私も腎臓癌で、片方の腎臓を摘出しています。
「癌の死」は、本人にとっても、家族にとっても、通俗的な言い方になりますが「繋がりを見つめなおす」、本当に良い機会なのです。
「癌が治癒すれば、最高なのですが」、最悪のケースになっても本人・家族にとっては、覚悟の事態なのです。
私の弟は、ある日、心筋梗塞で「面白く、見ていたテレビドラマが、最後になる前に、まるでコンセントを引き抜かれたように、一瞬で終わりました」
彼の最後の言葉・思いは、家族肉親に何も伝わっておらず、「彼への未練、彼の未練」とか、思い出せば、出すほど、辛さが増します。
このような事態にならないだけ、「癌での死は幸せ」なのです。
映画のスタートは、日頃ホームビデオが大好きな次女の退職の時から始まっていた様に思います。
定年を迎えて、新しいことに出かけようとして、なくなった父親への良い思いでになったと思います。
色んなことに、思いが行き、涙が出て、たまらない映画でした。
>妻の「あなたがこんなにいい人だったなんて」には、ただ涙
私はこの台詞には若干、微苦笑。
もう少し、余裕のあるときに、伝えていれば・・・・
最後の心の準備の時には、辛かったんじゃないかな?
私は、この場面のことを女房に云ってあります。
「意識の混濁のない時に、理由を述べながら、はっきり云ってくれ」
「どういう風に?例えば、結婚と同時に一戸建てに住んで、親の面倒を見ないですむ次男坊で、葬式も簡単な浄土真宗だから、ありがたいとか?」
「他にないのか?やっぱり、何も云わずに送ってくれ」
> 実は、私も腎臓癌で、片方の腎臓を摘出しています。
> 「癌の死」は、本人にとっても、家族にとっても、通俗的な言い方になりますが「繋がりを見つめなおす」、本当に良い機会なのです。
> 「癌が治癒すれば、最高なのですが」、最悪のケースになっても本人・家族にとっては、覚悟の事態なのです。
「覚悟」ができるからこそ、わかることもありますよね。
医療関係に努める友達も「ガンの死が一番いいよ」と言っていました。
> 私の弟は、ある日、心筋梗塞で「面白く、見ていたテレビドラマが、最後になる前に、まるでコンセントを引き抜かれたように、一瞬で終わりました」
> 彼の最後の言葉・思いは、家族肉親に何も伝わっておらず、「彼への未練、彼の未練」とか、思い出せば、出すほど、辛さが増します。
> このような事態にならないだけ、「癌での死は幸せ」なのです。
心中ご察しします。
自分の母がたの祖父も急逝で、父がたの祖父は1年以上も延命処置をうけていました。
その間くらいがちょうどよいな、と映画を観て思いました。
> 映画のスタートは、日頃ホームビデオが大好きな次女の退職の時から始まっていた様に思います。
> 定年を迎えて、新しいことに出かけようとして、なくなった父親への良い思いでになったと思います。
> 色んなことに、思いが行き、涙が出て、たまらない映画でした。
その「タイミング」は次女(監督)にとっても重要なものだったのでしょうね・
> >妻の「あなたがこんなにいい人だったなんて」には、ただ涙
> 私はこの台詞には若干、微苦笑。
> もう少し、余裕のあるときに、伝えていれば・・・・
> 最後の心の準備の時には、辛かったんじゃないかな?
最期に気づけたのでその意味では幸せだったのでしょうが、「もっと早く」という想いもあったのだと思います。
> 私は、この場面のことを女房に云ってあります。
> 「意識の混濁のない時に、理由を述べながら、はっきり云ってくれ」
> 「どういう風に?例えば、結婚と同時に一戸建てに住んで、親の面倒を見ないですむ次男坊で、葬式も簡単な浄土真宗だから、ありがたいとか?」
> 「他にないのか?やっぱり、何も云わずに送ってくれ」
この映画の主人公は素直でしたが、普通は照れくさくて、感謝の気持ちであったりとか、そういうことはなかなか言えないですよね。
でもそれでも、早めに言っておいたほうがいいんじゃないか、とこの映画を観て思いました。
「死」は誰にでも訪れるもので、その「準備」のためにできることはきっとあると思います。
映画の中の、アメリカンジョークは判らないことばかりですが、楽しそうな二人に変化してゆく経過が、面白い映画でした。
こう云う覚悟の生活、命を楽しむ人生をしたいものだと考えます。
癌による闘病はとても辛いです。混濁しない意識の中、癌の進行や転移によって弱っていく患者を診るのは家族にっとってこの上ない苦しみです。私なら愛してれば、愛するほど一瞬で亡くなる事を願ってしまいます。映画の家族に愛がないとは決して思ってません。この家族はとても素晴らしいです。
ただ、患者自身も闘病での入院費、介護などで家族に迷惑をかけて罪悪感も感じてしまうものです・・・
末期であれば、モルヒネの自由もありますが、癌による出血は止められません。血が流れ続ける家族を見るのはとても涙が止まらなくなります。
なので、どうしても癌を肯定的に考えられなくて書かせて頂きました。話を脱線させて申し訳ないです。医療従事または癌患者の家族の一意見としてお願いします。
実際はおっしゃられたような苦しみのほうが大きいと思います。
自分はこの映画ではガンによる死=幸せなものと描かれているように思えたのです。
そのため「ガンの死はいい」と短絡的に考えて書いたのですが、不適切でした。訂正させていただきます。
この映画のようにほとんど「いいこと」だけを見せるのも尊いことだと思いますが、「苦しみ」の部分が欠落していると、誤解もあるかもしれない、と思いました。