彼女の世界にある救い 映画「KOTOKO」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:7/10
一言感想:苦手・・・だけど見届けたい
あらすじ
KOTOKO(Cocco)は幼い息子を一人で育てていた。
しかしその強迫観念から、しだいに精神的な異常をきたし、奇行を重ね、ついには幼児虐待の疑いをかけられてしまう。
彼女の歌に惚れ、追いかけてきたという男・田中(塚本晋也)は彼女を心配するのだが・・・
「鉄男」「双生児~GEMINI~」の塚本晋也監督最新作にして、シンガーソングライターのCoccoの初主演作です。
同名の歌手がいらっしゃいますが、映画とは無関係です(でも公式ページにコメントを寄せています)。
「KOTOKO」とは主人公の名前です。演じているCocoと同じくアルファベット表記にしているのですね。
さて映画の感想なのですが・・・これは好き嫌いがはっきりわかれる作品だと思います。
一番の理由が主人公のキャラクターの描き方です。
KOTOKOは一貫して情緒不安定な女性として描かれています。
とにかくわめき、怒鳴り散らし、外界の人間を避けていきます。
さらにはリストカットを行い、周りの人間を精神的にも物理的にも痛めつけるのです。
このキャラクターは演じているCoccoそのものの投影でしょう。
実際にCoccoは自傷行為の常習者で、拒食症にもかかっていたそうですし、何らかの発達障害を抱えていたのだと思います。
こういった方の全てを受け入れる度量は自分にはありませんが、拒絶することもしたくはありません。
彼女の苦しみ、抱える問題を、とにかく辛かったけれども最後まで見続けようと思いました。
しかし映画を観終わってみると、どうしても納得できない「しこり」のようなものが残ってしまいました。
なぜなら、この映画はあくまでKOTOKOの主観で、KOTOKOの価値観だけで語られているようにしか思えなかったからです。
周りにKOTOKOを否定する人間は一人もいません。
KOTOKOは敵意をむき出しにするのに、周りの人間は何があっても優しいのです。
これではKOTOKOが周りから何もされていないのに、勝手に苦しんでいるようにしか見えないのです(実際そんな内容になっています)
全くこの主人公に共感することができない、できそうもないのは明らかにこの映画の欠点だと思います。
ただし、この描写にも肯定すべき点があります。
それはこの作品が統合失調症を描いているものであることです。
統合失調症の精神症状として、誇大妄想や幻覚などがあります。
序盤からKOTOKOに見えているものも、その症状を表しているのです。
統合失調症のことをよく知っている、または経験がある方には、この映画も違った見方ができるものと思います。
また、統合失調症は原因も不明であることが多いようです。
KOTOKOのバックボーンや、何故子どもに愛憎の念を抱いたかが語られないのも、そのためのものでしょう。
ストーリーそのものも気になります。
この映画は「妄想」「現実」が入り乱れており、「ブラック・スワン」のようにどれが本当で、どれが偽物であるかの判別が難しくなっています。
それは効果的に働いてはいるのですが、展開のダイナミズムは乏しいと言わざるを得ません。
不快に感じる「轟音」も響きわたります。
それは彼女の心情を如実に表しているものなのですが、辟易してしまう人が多いでしょう。
そして暴力。
リストカットの場面は思わず目を背けてしましたが、それ以外にもPG-12指定では甘いと思われる暴力的なシーンがたくさんあります。
精神的に成熟していない方が観るにはおすすめできません。
ここまで難点ばかりをあげましたが、それでも素晴らしいと思えることがこの映画にはたくさんあります。
ひとつは言わずものがな、主演のCoccoです。
演技ももちろんなのですが、その「歌」を聞くと圧倒されることは間違いありません。
もうひとつはラストです。
何気ない、ほんのちょっぴりのシーンに、この上ない感動を覚えました。
前述の感情移入を拒絶するかのようなKOTOKOのキャラクターも、このためのものだったのかもしれません。
Coccoや塚本晋也監督のファンは是が非でも観るべきですが、その他の人には絶対におすすめしません。
でもこの切り裂くような映像表現、ほかの映画では成し得ない独特の空気は映画館で観るべきものです。
正直好きじゃない、だけど、忘れることができない。
そう思える作品になりました。
以下は結末も含めてネタバレです、映画をご覧になった方だけお読みください↓
~現実と虚構~
「大二郎(赤ちゃん)をアパートの屋上から落とす」
「KOTOKOは田中に拉致され、首を落とされる」
「車に轢かれる大二郎」
「TVの中の銃を持った特殊部隊(背中にはPRESSとある)に大二郎を殺される」
はその後のシーンでKOTOKO、または大二郎が生きていることから虚構だとわかります。
ダンボールで作られた部屋(ペットボトルでできた風車や、星の飾り、千羽鶴もある)も虚構です。
ずっと牙を剥きつづけた彼女の、安らぎとも言えるシーンに思えました。
その後の「2つの人形を抱き寄せる」のは、彼女が人とつながりたいという願望のようでした。
さらに自分には、途中で登場する小説家「田中」もKOTOKOが想像で作り上げたものに思えました。
気になるのは以下2点です
①田中はKOTOKOの家族と一切話をしていないし、他の人とも話す場面はない
②KOTOKOが「宇宙人がいないと思っている人の話」をしたあと、急にいなくなる
確かに存在しているのは、KOTOKOがテレビで見た彼のインタビューでしょう。
KOTOKOはその後、田中の小説「月を磨く男」を買いましたが、それ以上はその本は登場しません。
それまで「2つに見えた」ものは、田中の出現によりいなくなります。
「田中が2人いないかと探す」ことをしても、それはいませんでした。
彼女が「2つ見えた理由」は、「優しい人」と「彼女に敵意をむく人」の2種類の人間が彼女の中に存在していたからでしょう。
事実、赤ちゃんを可愛いと言う女性、子どもをあやす男性は、その「2つ」の中の1つの無害な存在として描かれています。
*また、統合失調症の症状として、同一対象に対して同時に相反する感情を持つ両側性(アンビバレンツ)というものがあります。
大二郎に対する愛情があり、それに反するように大二郎を自ら落とすような幻覚をみるのも、それによるものでしょう。
田中が1つに見えたのは、もとより存在しておらず、彼女が望む「優しい人」だけを作り上げたから、と思えて仕方がないのです。
でも映画には、田中だけが画面に存在するシーンや、転んだり、彼女を心配する田中の姿も映し出されます。
田中が本当に存在していたかどうかは、観客に判断が委ねられていると思います。
~田中が消えた理由~
では何故、田中はいなくなったのでしょうか。
「あなたを愛することが仕事だったらいいのに」とつぶやいた後の行動としては唐突です。
自分には「大二郎が戻ってきた」ことが一番のファクターだったと思います。
彼女自身がもう田中を必要としなくなったと「思った」のではないでしょうか。
彼女のことを愛し、婚約指輪まで送り、フォークを刺され、顔が痛ましく変形するほどの暴力を振るわれても一切文句を言わず、ただただ「大丈夫」と言い続けた田中は、彼女の全てを肯定する存在です。
その肯定する彼がいなくなっても、大二郎が戻ってきたから、もう本当に「大丈夫」。
そう思ったので、彼はKOTOKOの前から姿を消したように思えました。
~結末~
でも、大丈夫なんかじゃありませんでした。
今度は大二郎が「2つ」に見え始め、あまつさえKOTOKOは大二郎の首に手をかけ、殺そうとします。
段ボールの部屋から、「真っ白な世界」を隔てた後、彼女がいた世界は精神病院でした。
彼女は雨の中で踊ります。
そして、「息子が面会に来た」という旨の知らせ。
「生きていたの?」「いったい今はいつなの?」と彼女は思います。
現れたのは成長した息子・大二郎でした。
「この前サッカーが中止でさ」などと、たわいもない話をする大二郎。
最後に、そっと千羽鶴を折り、KOTOKOに渡します。
「また来るね、母さん」と言いながら。
KOTOKOが窓の外を観ると、大二郎が帰っていく姿が見えます。
大二郎は、いなくなったと思いきや、最後に戻ってきて、手だけを見せて、振ります。
これはKOTOKOが、大二郎のいる姉の家で、さりぎわに大二郎にした行動と一緒です。
周りを傷つけてばかり、過剰な行動ばかりをしていたKOTOKO。
優しくされていたとしても、田中(しかも彼も虚構かもしれないのです)以外に理解されなかったKOTOKO。
でも、彼女の行動が残したものがあったのです。
「ただ手を振るだけ」のシーンに、涙を流すことになるとは思いもしませんでした。
虚構だらけのこの映画で「手を振る大二郎」は、確かに存在していたと思います。
~劇中の歌~
どの歌でも、彼女の歌声に圧倒されました。
特筆すべきは、中盤の長回しのワンカットで、田中に聞かせたあのシーンでしょう。
このときの歌「のの様」の素晴らしさは、ことばでは言えません。
「あなたにもふりつむ」
というフレーズは、特に印象に残ります。
KOTOKOの観た世界を、この映画では、映像で、歌で、とことん見せつけます。
それこそがこの映画の魅力です。
ドキュメンタリー作品→<大丈夫であるように-Cocco 終らない旅->(amazon)
まさかあのような内容とは知らず。
なぜ田中さんが姿を消したのかと、病気だったKOTOKOが大次郎の生むきっかけになったのかだけが全くわからなかったのですが謎が解けました。
映画を見た方がどの位この映画を理解してたのかはわかりませんがとにかく考えれば考えるほど奥深い映画な気がします。
ただ、衝撃的過ぎますが。。
わかりやすい解説をありがとうございました。♪( ´▽`)
田中が消えた理由はまだまだ含みがあるような気がします。
自分のは「一説」と思って、他の方の意見も参考にしてみて下さい。
DVD鑑賞でしたがそれでも衝撃的で
ラストにはあったかいものがあった作品でした・・・。
過去に終わらない旅も見ました。
その時のエンドロールもたしか
拒食症で入院したことや、ドキュメンタリーの撮影中
たしか黒砂糖くらいしか口にしなかったとありました。
小説「ポロメリア」も読んだんですが
本も、そしてこの映画も彼女本人にしか見えませんでした。
演技ではなくて。
ここまでひどくないにしても
もしかしたら彼女は自分の内側にある
痛みも悲しみも怒りも憎しみも
そして弱さも強さも全部全部この作品にたたきつけることで
本来人に見せたくないもの見られたくないものを
昇華したんじゃないかって・・・そんなふうに感じました・・・。
「終わらない旅」「ポロメリア」のどちらも自分は未見なのですが、どれもCocco自身を投影したものなのでしょうね。
「KOTOKO」はフィクションでしたが、おっしゃるとおり、Coccoのすべてをみせた作品のように思えます。
「これ前コッコさんのファンだからって見に行ってヘビーな想いしたなぁ」と懐かしくなってコメしました。
琴子がシングルマザーとして大次郎を何故育ているかについて
フラッシュバックシーンの中に「ビニール袋を被せられ、何かに揺すぶられている」シーンがあったので
私は琴子は男性からの暴力で大次郎を身籠り、心を壊してしまったのだな、と納得していたことを思い出しました。
琴子の「ちゃんとできない、ちゃんとできない」という叫び声や傷だらけの腕がひるがえりながら歌を歌い踊る姿が
やはり胸に残る怪作だったなぁと思います。