世界に変えられないように「トガニ 幼き瞳の告発」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
![]() | コン・ユ 3621円 powered by yasuikamo |
個人的お気に入り度:9/10
一言感想:憎いということばじゃ足りない・・・
あらすじ
美術教師のカン・イノ(コン・ユ)はとある聴覚障害者学校に赴任する。
学内の重々しい雰囲気に違和感を感じていたイノは、ある日洗濯機に顔をつけられ、虐待されている女子生徒を目にする。
すぐさま彼女を学外に連れ出したイノだったが、さらに衝撃的な事実を知ることになる。
彼女を含む数人の児童は、校長をはじめとした大人たちに性的虐待を受けていたのだった。
このおぞましい事実を告発するため、イノは人権センターのユジン(チョン・ユミ)ともに奔走する。
韓国で実在した、性的虐待事件の映画化作品です。*原作はこちら→「トガニ: 幼き瞳の告発(amazon)」
耳の聞こえない、しかも子どもへの性的虐待・・・
弱者を自分の快楽のために貪る大人たちがこれでもかと描写される本作は反吐が出るほど腹が立つ内容です。
そこには一切の妥協はありません。
この映画を観た方は、子どもを苦しめた加害者たちを心の底から嫌悪するでしょう。
これは加害者、子役の演技のたまものであり、性的虐待のシーンを逃げることなく描いていることにもあります。
そのシーンのおぞましさ、恐ろしさはまるでホラー映画のようでした。
さらに『憎い』相手は、性的虐待の加害者にとどまらず、韓国という国そのものへも向けられています。
社会的地位と金がある者は守られ、弱者が食い物にされ、このような事件が起きているのにもかかわらず自分の保身に走る大人たちの描写は脳天かち割りたくなること必死です。
しかし、そうして『憎い』と思えることは、本作の最も優れた点でもあると思います。
子どもたちがどのような辛苦を強いられてきたか、それが、登場人物と同じ目線でわかるのです。
自分は子どもたちと、それを守ろうとする主人公にめいいっぱい感情移入してしまい、泣いてしまうシーンが多々ありました。
この映画により『トガニ法』という法律が制定され、性的虐待への厳罰化が図られたのも、そうした描写が欠けておらず、多くの人へこの問題を訴えることができたためであると思います。
日本の方がこの映画を観て連想するのは、今年に起きた大津市のいじめ事件でしょう(もはやいじめではなく、殺人ですが)。
こちらも大人が、自分の保身のために事実を隠蔽していました。
さらに日本でも恩寵園事件というものもあり、この映画で描かれたような虐待は、決してこれが初めてというわけではありません。
目を背けてしまいそうな事実でも、私たちは再発防止のためこの事実を知る必要がある・・・そう思わせる力がこの映画にはありました。
残念なのが、R18+というレーティングです。
性的虐待のシーンを生々しく描いているとはいえ、女児については裸体が見えることもないですし、性犯罪を助長させるようなものではありません(むしろ嫌悪するはず)。
若い人にも観て欲しい作品だと思います。
せめて、R15+指定どまりにして、高校生でも観れるようにして欲しかったです。
全くインモラルな内容でないのに、「観てはいけない」としてしまう判断には疑問符がつきます。
余談ですが、子ども向けの『性的虐待をしようとする大人から身を守る絵本』として「とにかくさけんでにげるんだ」があります。
![]() | ベティー ボガホールド 1365円 powered by yasuikamo |
子どもにはこうして身を守ること、大人(できれば若い時から)には性的虐待がいかに憎むべき犯罪かを知ってほしいと願います。
この映画は、確かな意義、志を持っています。
映画として完成度が高く、法廷サスペンスとしても傑作です。
内容が内容なので気軽には薦めません。
それでも、近くで上映していたら是非観てほしいです。
<劇場情報>
以下、作中のシーンが少しネタバレです↓核心部分は反転していますが、なるべく映画を観たあとでご覧ください。
~醜悪な大人たち~
加害者のパク&校長&その双子の弟も心底ぶっ殺したいですが、その周囲の人間&韓国という社会も負けず劣らず腐っています。
・主人公が教職に就くのに5000万ウォン(だいたい350万円ほど)を『発展基金』(賄賂)として貢がないといけない
・『市役所』には『教育庁』に行けと言われるが、その教育庁は「放課後に事件が起きているので私たちの管轄じゃない」と言う
・弁護士は前官礼遇により就任
・警察も加害者から賄賂を手にしている(自分の立場が怪しくなると『仕方ない』といったふうに手の平を返したけど)
・校長の(戸籍上の)妹も子どもへ虐待をしており、貧乏な被害者の家の前で「神様って不幸よね?」と言う
・校長の愛人は主人公にツバをはきかける
・その愛人は子どもが性的暴行を受けていたかどうかを調べていた医者の女性を買収しようとしていた
・警備員は職を失いたくない一心で虐待に見て見ぬ振りをし、あまつさえ「法廷で嘘をつく」
・弁護士は主人公にも次の職場を斡旋&被害者の児童の将来を約束するなどと賄賂をもちかける
・「検事も弁護士から事務所への配属をちらつかされて裏切る」
この辺のムカつき具合は以下の記事を参考にしてください
<三角絞めでつかまえて>(最初から最後までネタバレなので鑑賞後にお読みください)
これで「現実はもっと酷かった」というのだから・・・
~主人公像~
恐ろしいのは、主人公もこうした最低な人間になる余地があったということ。
はじめにパクに執拗に殴られていた男の子『ミンス』を見たときには、止めようとはしませんでした。
その後に校長室の目の前でミンスの悲鳴を聞いたときには部屋の前で立ち尽くすのみで、パクとともに出て行くミンスを見ても、はじめは何もできませんでした。
これは主人公もまた弱い立場にあったからです。
娘は喘息もちであるし、再就職のあてもない(それどころか金を払わないと職にもつけない)のです。
それでも彼が子どもたちのために奔走できたのは、トイレでの悲鳴を聞いていたにもかかわらず、助けることができなかったという後悔の念からでした。
「この子がひどい目にあったときに僕はそこにいた。何もできなかった。いまこの手を話したら、僕はいい父親になることができない」
その思いから弁護士からの賄賂も拒否した主人公が大好きになりました。
彼とともに奔走した人権センターの女性・ユジンも、初登場時には主人公に車をぶつけたのにもかかわらず、一度は非を認めませんでした。
こうした『嫌な面』が大きくなれば、主人公やユジンも他の醜悪な大人たちと同じになっていたのかもしれません。
主人公の母親のことばで「世の中の人は、善悪が分からなくて黙っているんじゃない」というのがありました。
こうした事件が起きたのは、世の中の人に『弱み』があり、それゆえ見て見ぬふりや隠蔽をしてきたせいでもあるのです。
しっかし彼が「パクに植木鉢アタック」をしたシーンは痛快でした!ガッツポーズをしてしまったよ。
~法廷~
この映画は法廷サスペンスとしても面白く仕上がっています。
特筆すべきは
「『誰かに言ったらお前を殺すぞ』という手話を知っているか否かで、双子のどちらかに性的虐待を受けたかを見分ける」
「ほんのわずかな聴力を使って『音が聞こえた』と証言する」
シーンでしょう。
息子の頑張りを見て、いままで辛辣な台詞しか言わなかった母親が「大人がなにやってんだか、早く戻っておいで」とツンデレ台詞を吐くのも好きです。
法廷の入口には「自由、平等、正義」という文字が掲げられていました。
この映画を観たあとでは、そのことばは疑わしく思います。
~主人公の優しさが・・・~
自分がこの映画で最も悲しかったのは、ミンスの祖母が貧しさから『示談金』を払ってしまい、それをミンスが聞き、「僕が許さずに誰が許すって言うんだ!」と嗚咽しながら訴えるシーンでした。
このときに主人公はこう彼に説明しています。
「君のおばあさんがパク先生を許したんだ。君のおばあさんは優しいからね」
主人公は、お金のせいではなく、『優しい』から『許した』と、おばあさんを責めず、かつミンスが恨まないような言い方をしたのです。
それは結果的にミンスをより傷つけてしまったのかもしれません。
しかし、主人公の優しさがみてとれました。
主人公が「彼を想い、放水されながらも『この子は聞くことも話すこともできません。この子の名前はミンスです。』と訴える」シーンは、なくてはならなかったと思います。
~ヘレン・ケラーのことばと、子どもたちの答え~
主人公は、後天的に耳が聞こえなくなった『ヨンドゥ』に、浜辺でヘレン・ケラーのことばを借りてこう言っています。
「一番美しくて大切なものは、目で見たり耳で聞いたりするものではありません。心でしか感じられないものです」
そして物語の最後では、『事件があった後とその前で変わったこと』として、子どもたちはこう言っていました。
「私たちも、ほかの人たちと同じように大切なことがわかった」
「私たちが戦うのは、世界を変えるためではなく、世界が私たちを変えられないようにするためだ」
性的虐待を受け、世界に抑圧されてきた彼女たち心の傷は簡単に癒えることはありません。
彼女たちは今後も『聞こえない』者として過ごします。
それでも、今回の事件を経て、自分を大切にしていいことがわかり、そして強くなったのでしょう。
映画のエンドロールが終わったあと、『まだ真実を探る戦いは続いている』とテロップが流れます。
加害者たちが、本当の制裁を受ける日を待ちわびます。
オススメ↓
<警察も国会も動かす!『トガニ』に見た韓国映画のメディア力-日経トレンディネット>
どうも日本はドキュメンタリー映画を嫌う傾向を感じます。テレビ番組としてのドキュメンタリーは少なくないのに、フィルムとなるとここ最近のものはインディーズがある程度しか思い当たりません。
海外のドキュメンタリー映画にしても『華氏911』等が例外中の例外であって、それ以外の作品で多くで上映されたものはほとんど思い出せません。
ドキュメンタリーはイデオロギーと迎合したり反発したりする関係にあります。
その為、意にそぐわない、或いは自分にとって不愉快な内容のものは否定したり隅を突いたりといったことが見られます。
もとよりドキュメンタリーの多くには娯楽性が無く、その時点で煙たがる者も多いです。
(ドキュメンタリーにユーモアを交える手法を積極的に取り入れるマイケル・ムーアやモーガン・スパーロックはそういう意味で本当に例外中の例外でしょうね。日本人で日本向けにエスプリの利いたドキュメンタリーを描けるとしたら…、漫画家のしりあがり寿さん、とかかなぁ…)
その観点に立ったとき、本作が上映的にも視聴対象的にも極めて限られた範囲に向けられているのは、色んな意味で「日本らしい」気もします。
或いは、嫌韓や韓国を嘲笑する材料にする傾向さえ否めないことを思うと、むしろそのことこそ「反吐が出る」「脳天かち割りたくなる」ことなのではないか、とも。
本作はドキュメンタリーでなくてよかった、と思います。
事実をそのまま記しただけでは、ここまで「憎く」思えることはなかったでしょうから・・・
自分自身、おっしゃるとおりドキュメンタリー作品は娯楽性が少ない場合が多いのでちょっと苦手ですね(「スーパーサイズミー」あたりは好きですが)。
なんにせよ、この映画が日本でも公開されてよかったです。
作中行われるウ◯虫未満の外道達が行う情け容赦ない愚行…
そしてそれを裁くどころか飼い猫のように媚びまくるコバンザメども
そしてそんな連中をスクリーン、或いはテレビ画面越しに見ているしか出来ない我々自身に
物凄い歯痒さを感じてしまいます。
本作を初見で見る前「野島伸司氏の『聖者の行進』のような感じなのかな…」と思ってました
(デヴィッド伊藤氏のゲス息子役は今でも忘れられない…)
ただ「聖者の行進」も同じ実話の虐待事件をベースには語られていますが
あちらはまだ救いのある終わり方でしたし胸がスッとするシーンも幾つかありました(主に安藤正信氏が絡むとこ)
それに比べると本作は例の植木鉢投げ以外は本当に胸糞悪くなりますし
救いが現実を動かした…と言うだけなのも素晴らしい事であると同時に
「そこまで言われなきゃ動かんのか…」と言う虚しさも込み上げたのを今でも覚えています。