許すこと 映画「レ・ミゼラブル(2012)」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:7/10
一言感想:描き足りないところもあるけど、素晴らしい音楽と表現力!
あらすじ
1825年、たったひとつのパンを盗んだことから投獄された囚人ジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)は刑事ジャベール(ラッセル・クロウ)から仮釈放を命じられる。
バルジャンは司祭の家に上がり込むが、またも盗みを働いていしまう。
それから9年後、バルジャンは市長になり、工場を買い取るほどの人物に成長していた。
工場で働いていたファンテーヌ(アン・ハサウェイ)は解雇され、娼婦に身を落としてしまう。
彼女には8歳になる娘のコゼットがおり、バルジャンはコゼットを救うために行動を起こす。
*このブログ最長の記事になりました。長くてすみません。
「英国王のスピーチ(自分の感想は<こちら>)」のトム・フーパー監督最新作です。
原作はヴィクトル・ユゴーの小説で、日本では「ああ無情」というタイトルとして知られていましたが、今は「レ・ミゼラブル」という原題のままのものが親しまれているようです。
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これまで幾たびもミュージカル版が上演、映画化もされてきた古典的な作品であり、幅広い世代に受けいられています。
今回の映画がほかと異なるのは、今までが「原作の映画化」だったのに対し、本作が「ミュージカルの映画化」であることです。
そのため、本作の全編は歌で溢れており、なんと作中の台詞のうち95%くらいは歌です。
こう言うと「映画が歌で進行するなんてかったるい!」と思われるかもしれませんが、本作はこの歌こそが一番の魅力であり、歌で登場人物の心情や物語を語ることに成功しています。
作中の登場人物は圧倒的な歌唱力で、心の内を吐露します。
苦悩や恐れ、様々な心情が入り乱れながらの歌は、それだけでも感動を呼びます。
得てして妙ですが、普通の映画で「登場人物がベラベラと心の内をしゃべる」と興ざめするのに、ミュージカルになるとこれが全く気にならない。
それどころか相乗効果で感動が何倍にも広がるのです。
秀逸なのは、本作ではいわゆる「口パク」の吹き替えを使っておらず、役者たちがその場で歌っていることでしょう。
これこそトム監督ならではこだわり↓であり、ミュージカル版への最大の敬意なのです。
<トム・フーパー監督に聞く「人を許すことこそ今作のテーマ」 - Yahoo!ニュース>
メインテーマである「民衆の歌」が、観たあとは頭から離れませんでした。
サントラが欲しくなる作品であることは間違いありません。
![]() | Soundtrack 983円 powered by yasuikamo |
(追記)収録楽曲が追加されたデラックス・エディションもあります→Les Miserables (Deluxe Edition)
選び抜かれた役者たちも文句のつけようがありません。
演技力と歌唱力の両方が求められる場面で、最高の仕事をしています。
以下キャラクターと、それを演じている役者を紹介します。

窃盗罪で19年投獄された男。後に改心し市長にまで上り詰め、マドレーヌと名前を変える。

バルジャンを執拗に追いつめる刑事。「法こそが正義」と信じている。

工場で働いていたが、売春婦に身を落としてしまう。

ファンテーヌの娘。子どものころは宿屋で働いていた。

共和派の秘密結社『ABCの友』に属する青年。コゼットに一目惚れをする。

『ABCの友』の首領。

マリウスのことが好きな少女。コゼットの幼い頃を知っている。

宿屋の主人。ギャグ要員。

ギャグ要員。

浮浪児。以外と大活躍?
個人的に出色だったのはファンテーヌ役のアン・ハサウェイでした。
ミュージカル経験はなかったそうですが、とてもそうは思えません。
予告編でも見せた、彼女が自らの不幸と夢を語るシーンではとことん彼女の「表情」を見せ続けます。
次々といろんな感情がかいま見みえるこのシーンだけで、この映画を映画を観てよかったと思えました。
また、司祭(ミリエル)役のコルム・ウィルキンソンさんは、ミュージカル版でジャン・バルジャンを演じた方です。
あと「顔がブルドッグに似ている」という設定があるジャベール刑事役がラッセル・クロウというのも素晴らしいですね。
物語もとても面白いです。
登場人物たちの何気ない行動や、人の縁が後の展開につながる様は見事で、驚きがあります。
「善人」「悪人」と二元論で人を分けず、どの登場人物もいい面や悪い面を持っているのもよかったです。
特にジャベール刑事の信じる「正義」や、主人公が襲いかかる運命について選択を迷うシーンは、それを特に表したものでしょう。
ただ本作には気になるところも多いです。
ひとつが、はじめて「レ・ミゼラブル」に触れる人にとっては不親切に感じる部分が多かったことです。
自分も恥ずかしながらこの物語に初めて触れたクチですが、「あれはどうして?」と思うところもありました。
本作でわからなかったところは、1998年の映画版で補完することができました。
![]() | リーアム・ニーソン 863円 powered by yasuikamo |
こちらはミュージカルでないぶん、描写が丁寧になっていました。
しかし、一方で1998年版はテンポを重視しており、削られたエピソードも多くありました。
一番の特徴は「エポニーヌ」が登場しないことです。
今回の映画版でエポニーヌに大きなスポットが当てられたことは、原作ファンにとっても嬉しいことであると思います(それでも省略された部分もあるようです)。
映画を観たあとは、wikipediaで人物の詳細を知るのもよいでしょう
レ・ミゼラブル -登場人物 Wikipedia(超ネタバレ注意)
以下の解説本も理解を深めてくれるものと思います。
![]() | 鹿島 茂 860円 powered by yasuikamo |
ミュージカルにしたことによる、展開のリズム感の欠如も気になりました。
個人的な好みによるところが大きいですが、ひとつのシーンが「長い」と感じたところも少なからずやありました。
細かいところは「省略」し、とにかくミュージカル焦点をあてている印象があるのは、本作の弱点でもあるでしょう。
ミュージカルがそもそも苦手な方には、この映画は受け入れがたいかもしれません。
それでもこの映画は幅広い方におすすめできます。
素晴らしい響きの歌唱、ラストへ向けての高揚感は、絶対に劇場で味わなければ損と言えるものです。
今年の締めくくりに相応しい、映画ならではの感動が味わえる逸品です。
できれば、前述の1998年版の映画、原作、コンサート版のいずれかに触れてから劇場へ足を運ぶのがよいでしょう(大筋は全く話を知らなくても理解はできます)。
野暮な心配なのですが、この映画は日本語吹き替え版はどうするんだろう?
全編が歌で構成されている上に、「吹き替えをしていない」ことが売りでもある本作では吹き替え版を作らないほうがいいのかもしれません。
舞台版は日本語のものも上演されているし、こちら↓を観れば不可能ではないと思えるのですけどね。
<『レ・ミゼラブル』♪民衆の歌/オールキャスト - YouTube>
余談ですが、「レ・ミゼラブル 少女コゼット」という日本のアニメ版も存在します。
<公式ページ>
見てわかるように、絵が萌え萌えです。
さらにはホラーマンガ家・犬木加奈子さんの描いた漫画版「アロエッテの歌」もあります。
見てわかるように、絵がめっちゃ怖いです。
この作品では少女・コゼットへの虐待がこれでもかと描かれており、心底ゲンナリしました。
これを読むと映画版で魅力的だったエポニーヌの印象が全く変わります。漫画では超絶ク〇ガキです。
さらにさらに、みなもと太郎によるギャグ漫画タッチの作品まであったりします。
<Jコミ 完全版 レ・ミゼラブル>(←なんと無料で読めます)
悲劇的な物語の中にコミカルさが組み込まれているクセの強い作品ですが、作品のテーマを十二分に描けている秀作でした。
この作品のジャベール刑事はこんな感じです。

どんな形でも、古典がこうして現代にも親しまれているのは嬉しく思います。
以下、ネタバレです 結末に触れているので鑑賞後にご覧ください↓
台詞(歌詞)は省略しており、実際のものとは異なります。ご了承ください。
まずはじめに野暮な不満点&この映画だけを観た方が疑問に思うことを書きます。
~残念だったこと~
・工場の人たちはどうなった?
今回の映画版で最も残念だったのは、バルジャンが買い取っていた工場のその後がわからないことです。
バルジャンは自らの身の内を明かせば、工場の人たちが危ないと葛藤していたのに・・・
1998年の映画版では、バルジャンが従業員全員に勤務日数の順に株を譲渡していたことが語られます。
いくらミュージカルのためとはいえ、ここを省略しないで欲しかった。
この映画が初見の人には不親切です。
・ファンテーヌの死の理由
ファンテーヌは娘のコゼットを想いながら、死んでいきます。
これも今回の映画版では省かれていましたが、ファンテーヌが死んだ理由は胸の病気です。
精神的にも肉体的にもやつれていったのは表現されていましたが、この映画だけだとファンテーヌの死が唐突に思えるのは残念です。
ただ、原作ではファンテーヌの死は「頼りにしていた男が脱獄囚であること、娘に会えないことを知ってから息を引き取った」というものでした。
それにくらべ、今回の映画版ではファンテーヌに幾分かの安らぎがあったように思えます。
・バルジャンの死の理由
ファンテーヌに続きバルジャンの死因も明らかにされません。
原作ではバルジャンが死んだのは、武装蜂起の1年後の1833年であり、肉体的にも精神的にも衰弱していくことが描かれています。
しかしこの映画では、結婚式のすぐあとに急激に老け込み亡くなるバルジャン。
「なぜ死ぬのか」が伝わらないのは残念です。
<ここから展開を書き連ねています>
~仮釈放~
映画はジャン・バルジャンをはじめとした囚人たちが、過酷な労働を強いられているところからはじまります。
「下を向け!(LOOK DOWN)上には神はいない、下は地獄、20年間生き地獄だ」
と歌う囚人たち。絶望を体現しています。
ジャベール刑事はバルジャンに仮釈放を命じますが、これこそがジャベール刑事の犯した、自身の「正義」に反することだったのでしょう。
ジャベール刑事が執拗にバルジャンを追ったのは、自ら故意にバルジャンを逃がしたためでもあるのです。
~受け入れ、受け入れられて~
バルジャンはミリエル司祭の家にたどり着き、銀でできた食器を盗み、すぐに捕まります。
バルジャンは「司祭様がくれた」と嘘をつきます。
しかし司祭はそんなバルジャンを観て、「彼の言うことは本当だ、燭台を忘れていたよ」と言うのです。
バルジャンは改心します。
「何故彼は俺を受け入れ、俺は彼を受け入れた?
いつも世間に憎まれていた、目には目を、石のように心を閉ざし、他にすべを知らない。
恥ずかしさで胸が張り裂けそうだ。
ジャン・バルジャンは死んだ、俺は生まれ変わるのだ」
バルジャンは仮釈放の紙を破り捨て、別人として生きることになります。
ちなみにバルジャンが司祭から受け取った「銀の燭台」は、後にジャベールに追われ、コゼットともにイギリスに向かうシーンでも登場します。
バルジャンにとっては、「受け入れること」ができた証拠であり、肌身離さずに置いておきたいものだったのでしょう。
ちなみに、ミリエル司祭はバルジャンがコゼットに会いにいく前(1821年)に亡くなったそうです。
<物語は8年後の1823年へと移ります>
~市民の気持ち~
市民たちはこう歌います。
「一日が過ぎれば年をとる、一日仕事がなきゃ最後。
また死が近づいていく、今に嵐になる。
貧者が見捨てられた世界だ、仕事があれば幸せだ。
また一日が終わる。食いつなぐだけ、やっと生き延びれる」
ファンテーヌもそこで働いていましたが、工場の仲間から疎まれており、隠し子(コゼット)がいる事が知られ、工場を解雇されてしまいます。
市長になったバルジャンはそのとき工場にいましたが、ジャベール刑事と話していたおかげで、そのことを知りませんでした。
1998年の映画版では、解雇することが「人任せになっていた」描写があります。
~娼婦へ身を落とすファンテーヌ~
売春宿で、女たちはこう歌います。
「ラブリィ・レイディお待ちかね。
お早いお客も歓迎だ。
橋場のねずみのクズどもめ。
ズボンを脱げばかわらない」
「1サンチーム」で売れると売春婦がファンテーヌに言っていましたが、1フラン=100サンチームなので完全に「からかい」ですね。
ファンテーヌは髪を切って10フランで売り、そして身を売ります。
~ファンテーヌの夢~
ファンテーヌは身を売ったあと、泣き叫びます。
「どこで歯車が狂ったのか?
夢を見ていた、神は見捨てないと。
恐れを知らなかった。虹色の夢を見ていた。
生きることを追い求めていた。
雷鳴が希望を切り裂いた。
夢を屈辱に変えてしまった。
夏、あの人がそばにいて、私を抱いてくれた。
秋が来て、あの人は去ってしまった。
まだ、あの人を待っている。
それは愚かな夢。
夢見た人生。
こんな地獄じゃなかった。
輝きに溢れていたはず。
二度と帰らない・・・」
ファンテーヌ役のハン・ハサウェイは、鬼気迫る表情でこれを歌います。
カメラはずっと、彼女の表情を映しています。
この映画で最も感動したのは、彼女が表現する、感情の移り変わりでした。
この曲はスーザン・ボイルさんも歌い、脚光を浴びました。
<天使の歌声! スーザンボイル(日本語字幕つき)I Dreamed a Dream - YouTube>
ファンテーヌは自分に迫ってきた男の頬をひっかき、それをジャベール刑事に突きつけられます。
バルジャンはそれをかばいますが、ファンテーヌは「あなたのせい(工事長が私を辞めさせるのを止めなかった)でこうなった!」と責めます。
バルジャンは「私に使命が与えられた」と、彼女のために身を尽くすことを決意します。
~無実の男が投獄される~
ジャベール刑事はバルジャン(市長)が見せた怪力から、市長こそがバルジャンではないかと疑っていました。
ジャベールは後に「私を罰してください、あなたを疑っていました、本当のジャン・バルジャンが見つかっていた」とバルジャンに告げます。
似た男がバルジャンに間違われ、捕られられていたのです。
バルジャンは葛藤します。
「身代わりは私のチャンスだ。
助けるのか?助けたら身の破滅だ。
黙っていても地獄に落ちる。
工場の人たちは、私が捕まれば路頭に迷う。
私は誰だ?(Who am I?)
神は絶望の中で希望を与えた」
彼の決断は、法廷に赴き、「私がジャン・バルジャンだ!」と告げるというものでした。
今回の映画では法廷での証言シーンはあっさりと終わりましたが、1998年版では、バルジャンが囚人たちの特徴を次々に言っていく場面があります。<彼らのことを知っています。
他にも1998年版には、バルジャンが長く投獄されていたために、文字を読むのに四苦八苦するなどの描写もあります。
~抜け目のない男:宿屋のテナルディエとその夫人~
ファンテーヌが亡くなり、舞台は8歳のファンテーヌの娘・コゼットがいる宿屋へと移ります。
宿屋の主人・テナルディエとその妻は、なんとコメディ調に描かれます。
「俺は正直者。親切のカタマリ。
親切は損はない。宿屋は動物園のようだ。」とテナルディエは語り、
宿泊たちは「この男は抜け目がない。誰とでも気が合う」と言い、
テナルディエは「でもご用心、骨までしゃぶりつくす」と返します。
その後もテナルディエは新婚夫婦のベッドの下に潜り込んだり、トイレの下を突き破って「『ウン』の尽き」だと言ったりやりたい放題でした。
夫人は夫人で
「アレが王子様だってさ、ぶっちゃけイ〇ポ」とばらし、テナルディエは股間を抑えます。なんだこれ。
個人的には重圧な物語の中で息抜きができたので好きでしたが、この描写が浮いていると感じる人も多いでしょうね。
テナルディエが「コゼット」の名を何度も間違え、夫人がそのたびに修正していたのもいいですね。
彼のコゼットへの興味のなさが見て取れます。
ちなみに日本のアニメ版では、2人はこんな感じでした。
悪人面すぎるだろ。
~コゼットとバルジャン~
森の中でコゼットとバルジャンは出会い、バルジャンはコゼットの「パパ」になります。
それはファンテーヌへの忠義を果たすものでしたが、バルジャンはこうも言います。
「今日は君がそばにいる。
この子と2人、夜をついて暮らそう。
こんなに早く私に幸せが訪れるとは。
正体は言えない、愛をくれたから・・・」
コゼットがバルジャンを必要としていたのと同様に、バルジャンもまたコゼットにより幸せを手にしたのです。
バルジャンは『パリの北門』の検問を乗り越え、ジャベール刑事から逃げおおせます。
コゼットとバルジャンを救ってくれたのは、かつて荷台の下敷きになり、バルジャンに救われた男でした。
ちなみにバルジャンがコゼットを迎えに行ったのは、クリスマスの日だったりします。
~ジャベール刑事の決意~
「どこかへ囚人は逃げている。
法を裏切ったことを神は見ておいでだ。
俺が進むのは『神の道』だ。やつは炎へ落ちる。
聖書にある天国の門のように、背いたものは代償を受けるべきだ。
やつを鉄格子の裏に閉じ込める。
そのときのため、手を緩めぬと誓おう」
このときカメラは『十字架』の後ろを通り過ぎました。
彼は神を信じ、自分の正義を貫き通そうとしたのです。
<ここから舞台は9年後に移り、1832年になります>
~ガブローシュ~
若者たちが六月蜂起を起こそうとしています。
少年ガブローシュは、道で民衆があふれかえり、進めなくなった貴族に向かってこう言います。
「平等ってやつは死ななきゃ与えられない。
あんたらの同胞だよ」
これまた映画では描かれていませんでしたが、ガブローシュは宿屋のテナルディエ家の長男です。「エポニーヌ」の弟にあたります。
彼はエポニーヌとは違い、親の愛情を与えられず浮浪児になっていました。
そんな彼が「平等は死ななきゃないものだ」とと言うのは、とても重いものがあります。
このシーンで民衆が「下を見ろ!(LOOK DOWN!)」とオープニングと同じことを言っている(でも意味は違う)のが面白いですね。
彼がスパイとして、若者たちに嘘をついたジャベール刑事を「知っているさ!」と告発するシーンは痛快でした。
ガブローシュは、「子犬だって立派に戦えるぞ」と言いながら軍に向かい、そして銃殺されてしまいます。
ジャベール刑事が彼の遺体に、自身の勲章を与えたのは、その姿に敬意を示したからでしょう。
しかもそれは、バルジャンに「許されてから」の行動でした。
ジャベールは「どうせ子どもの遊びだ」と言っていましたが、そうではなかったのです。
~エポニーヌ~
学生たちの共和派の秘密結社『ABCの友』に属するマリウスは、コゼットに一目惚れをします。
エポニーヌはマリウスのことが好きでした。
「雨が終われば川はただの川。
日ごとに思い知らされる。
私は恋人のふりをしているだけ。
幸せを一度も手にしたことがない・・・」
しかしエポニーヌは、マリウスをコゼットに会わせようとします。
マリウスはエポニーヌの心に全く気づくことなく、「ありがとう」と言います。
マリウスとコゼットの逢瀬を見て、エポニーヌは自分の胸の内を歌います。
「彼の言葉が胸に突き刺さる。
彼のような人はほかにはいない。
あなたが望むなら何にでもあげる。
私はここよ。
でも仕方がない、彼女のものよ、諦めるしかない・・・」
エポニーヌの最期は、敵がマリウスに向けた銃を自分の胸へと差し出し、死ぬというものでした。
マリウスは彼女を抱きかかえます。
エポニーヌはこう言います。
「痛みは少しも感じない。雨も少しも冷たくない。
あなたが守ってくれる。それだけでいいの。
言葉はいらない。私を抱きしめて。」
エポニーヌは愛する人を想いながら、愛する人への幸せを願った純粋な女性であったと思います。
マリウスはエポニーヌの最期を看取りながらこう言いました。
「雨は花を育てるさ」
エポニーヌは最期に愛する人の胸の中で死に、幸せだったと思います。
彼女が歌う「オン・マイ・オウン」はこちらでも聞けます↓
<(Les Miserables) 25th Anniversary - On My Own -Youtube>
<坂本真綾-オン・マイ・オウン(On my own)- Youtube>(日本語)
~テナルディエと夫人の顛末~
彼らはかつての羽振りはなく、貧乏人になっていました。
原作では宿屋が破産したために悪事を働いており、一度はジャベールの手で捕まっていたことも綴られています。
最後はコゼットとマリウスの結婚式に出席しますが、追い出される2人。
「億万長者になったら地獄で会おう!」と捨て台詞を吐きます。
この2人は、原作者にさえ「救われない」と言わしめています。
~六月蜂起~
「レッドは民衆たちの血。
ブラックは弾圧の印。
レッドは魂の希望。
ブラックは暗い夜の夜明け」
若者たちはそう宣い、武装決起をします。
バリケード(砦)は、なんと「民衆に家具を投げてもらって」作ったものでした。
これは映画オリジナルで、原作にもいままでの映像化作品にもないものです。
しかしほかの砦は落とされ、若者たちは絶望的な状況で戦うことになります。
首領のアンジョルラスも死に、壊滅状態に陥る若者たち。
バルジャンはマリウスを背負い、下水道を駆け抜けます。
そこにはテナルディエもおり、マリウスの指輪を奪っていました。
~ジャベール刑事の最期~
ジャベールは若者たちに捕らえられており、バルジャンは「彼の処刑を任せてくれ」と言いました。
バルジャンはジャベールの縄をナイフで切り、逃がそうとします。
「殺せ!俺を逃せばどこまでも追うぞ!」というジャベールに対し、バルジャンはこう言います。
「君は何もわかっていない。俺は悪党じゃない。
君は自由だ。恨みはない。君は職務を果たしただけだ」
「君は職務を果たしただけだ」というのは、ジャベールが「あなたをバルジャンだと思っていた」と告白した時にバルジャンが言った言葉と同じです。
下水道を抜けたバルジャンは、再びジャベールと対峙します。
しかし、ジャベールは自身の横をバルジャンを通り過ぎても、銃の引き金を引くことができませんでした。
「やつはどんな悪魔だ?
復讐できたのに生かした。
俺こそ法だ。正しいのはどちらか一人だ。
やつの罪は償われるのか?
固い信念が揺らいでいる。
やつは俺を殺した。
落ちていく星・・・おれには絶望だけだ。
ジャン・バルジャンの世界から逃れたい・・・」
そう言いながら、ジャベールは投身自殺をします。
~武装決起のその後~
マリウスは、仲間たちの中で自分だけが生き残ったことを悔います。
しかし、コゼットはマリウスのことを受け入れ、結婚にまで至ります。
コゼット、マリウス、バルジャン、そしてマリユスの祖父「ジルノルマン」が集うシーンは映画オリジナルです。
バルジャンは「娘にいつか恋人ができること」を恐れていましたが、マリウスの人柄を知るたびに、生き延びてほしいと願うようになっていました。
バルジャンは自分の過去をマリウスに打ち明けます。
しかし娘のコゼットには内緒にするように言います。
それはコゼットのためでもあったのです。
バルジャンはまたも「私は誰だ?(Who am I?)」と言い、マリウスは「ジャン・バルジャンだ」と言います。
彼は司祭に許されたときにバルジャンの名を捨てていましたが、ここで再度バルジャンだと認められるのです。
マリウスはその彼の決断を受け入れますが、結婚式に訪れたテナルディエが持っていた指輪(マリウスが持っていたもの)を見つけ、自身を救ってくれたのがバルジャンであることを知ります。
マリウスとコゼットは、バルジャンが向かった先である修道院に訪れます。
~ジャン・バルジャンの最期~
バルジャンは修道院で、ファンテーヌの姿を見ます。
そこにマリウスとコゼットが駆けつけます。
「今こそ私が召されるときだ。
告白しよう、憎しみに生きた男の物語だ。
そして二度と鎖に繋がれないところに行く・・・」
と言い、バルジャンは絶命します。
~民衆の歌~
バルジャンは司祭に導かれます。
その先には、大きなバリケードと、死んだ人たちの姿がありました。
ファンテーヌ、エポニーヌ、ガブローシュ、アンジョルラスもそこにいます。
ただし、ジャベールはいません。
みんなは「民衆の歌」を高らかに歌います。
「戦う者の歌が聴こえるか?
鼓動がドラムと響き合えば
希望の火が燃え続ける
鋤(すき)をとり歩みゆけば明日がやってくる。
隊列に加われ、砦の向こうにあこがれの世界がある。
明日はやってくる」
ここでの「明日がやってくる」は、希望に満ちたものです。
それは序盤で民衆たちが「また一日が終わる。食いつなぐだけ、やっと生き延びれる」と明日の希望を持たなかったことと相反しています。
彼らは精一杯に生き、死のあとで希望を手にしました。
その姿に、涙が止まりませんでした。
こちらでも「民衆の歌」を聞くことができます↓
<Do You Hear the People Sing? - Youtube>
~許すこと~
本作のテーマのひとつに「人を許す」ということがあります。
エポニーヌはマリウスとコゼットが逢瀬をすることを許しました。
それによりコゼットとマリウスが結ばれることになりました。
バルジャンは司祭により許されました。
それからのバルジャンは人を許し続けます。
コゼットを悲しませた宿屋の主人テナルディエや、そして宿敵ジャベールでさえも・・・
ジャベールにとって、それは自身の価値観を壊すものでした。
ジャベール刑事は、許されても救われませんでした。
彼が死んだあとに姿を見せなかったのは、キリスト教で自殺が許されていないことも関係しているそうです。
許すことにより救われるものもいる。だけど絶望をするものもいるのです。
「哀れな者たち(レ・ミゼラブル)」をもっとも体現したのは、ジャベールかもしれません。
これは精一杯に生きた者たちの物語でもあります。
たとえ「哀れな者たち」であろうとも、誰かの為に生きた人たちの想い、希望がラストシーンに詰まっています。
実は、「シェルブール雨傘風の全編之歌だらけ!」ってミュージカルのは、苦手なのですが、歴史的な復元力が勝っていて、最後まで鑑賞しました(チョット、長いですね)
あの少年は、思わぬ好演でした。
ラッセル・クローさんは、芸達者な人なんだと、改めて認識。
ハサウエーも好演でいた。
惜しむらくは、逃亡犯のバルジャンは、髭をはやすなり、黒眼鏡をかけるなりして、もう少し、人相を隠す努力が欲しかった![髭の方が、懲役囚の人相になるのかな?)
あの広場の象の像はパリのシンボルみたいで「ムーランルージュ」でも出てきましたね。
ヒナカタさんは、多くの歌詞を書いていますが、私は歌詞の訳詞が良かったように思います。(夢の中…、雨の中…とか)
Look-Down、Red-Black
学生の頃に歌った”ワルシャワ労働歌”を思い出しました。
私が小学校5年生の時であったと思いますが、あのジャン・ギャバンがジャン・バルジャンを主演した映画「ああ。無情」と思わず比較してしまいました。
あの葬列のシーンと、パリ・コミューンの崩壊のシーンは、アッチの方がさすがに迫力がありました。(アノ、葬列の隊列とともに流される太鼓のリズムは、同じように思い出しました)
サントラ盤は、脇のCDショップで聞いたら、「26日発売で、入荷予定なし」だとか!
売れると思うのですが・・・
産業革命後、社会的な格差が大拡大!
あの映画に出てくる、貧民窟のシーンは、どうも事実に近い描写か?
あの数年後、ロンドンを訪問した日本の遣欧使節は。「発展した西欧の裏の世界」を見て、繁栄の陰を早くも認識していたようですよ。(日本では、経験したことないレベルに驚いているのを読んだことがあります)
> 冒頭の場面を、予告編の時から「何のシーン」かなと思って期待していましたが、暴風の後、ドックから外に出た船を懲役囚が曳きこむシーンだったんですね。
自分は全然気にしなかったのですが、確かにあれは「何をしてるんだろ?」っていうシーンではありましたね。
> 実は、「シェルブール雨傘風の全編之歌だらけ!」ってミュージカルのは、苦手なのですが、歴史的な復元力が勝っていて、最後まで鑑賞しました(チョット、長いですね)
2時間半超えですからね。個人的にエポニーヌあたりの描写はちょっと長かったかなあと(描き方自体は好きですが)
> あの少年は、思わぬ好演でした。
あまり話題になってない気がしますが、うまい上に可愛いですよね。
> 惜しむらくは、逃亡犯のバルジャンは、髭をはやすなり、黒眼鏡をかけるなりして、もう少し、人相を隠す努力が欲しかった![髭の方が、懲役囚の人相になるのかな?)
ヒゲをきれいに剃っただけですからね。
> あの広場の象の像はパリのシンボルみたいで「ムーランルージュ」でも出てきましたね。
> ヒナカタさんは、多くの歌詞を書いていますが、私は歌詞の訳詞が良かったように思います。(夢の中…、雨の中…とか)
翻訳者も素晴らしい仕事だったと思います。
> 私が小学校5年生の時であったと思いますが、あのジャン・ギャバンがジャン・バルジャンを主演した映画「ああ。無情」と思わず比較してしまいました。
> あの葬列のシーンと、パリ・コミューンの崩壊のシーンは、アッチの方がさすがに迫力がありました。(アノ、葬列の隊列とともに流される太鼓のリズムは、同じように思い出しました)
自分はそちらは観ていないのですが、劇場にはご年配の方も多かったので、その作品を反芻した方も多いかもしれませんね。
> 産業革命後、社会的な格差が大拡大!
> あの映画に出てくる、貧民窟のシーンは、どうも事実に近い描写か?
> あの数年後、ロンドンを訪問した日本の遣欧使節は。「発展した西欧の裏の世界」を見て、繁栄の陰を早くも認識していたようですよ。(日本では、経験したことないレベルに驚いているのを読んだことがあります)
日本すげえ・・・
長文レポ、有難うございます!
観劇後に、全文を拝読し、とても良いリマインドと学習になりました。
カゲヒナタさんはミュージカルではなく映画と文学(?)がお好きなようですね。
ミュージカルファンではない方からのご支持の声もあることが嬉しいです。
私的には、ガブローシュ役とアンジョルラス役が、とても上手でした。
ガブローシュは、テナルディエ夫妻の子ども!…それは、存じ上げなかったです。
また、ひとつ、おっしゃられていることで、間違いなのかこちらの勘違いなのかわからないのですが…
司祭がマリウスを孫と呼ぶのは、実のお祖父さんではないでしょうか。「お祖父さんも孫を許した」シーンのことでは…司祭も言っていたのなら、別ですがorz
とにもかくにも、久々の歴史的大作に、素晴らしいレポを有難うございます!カゲヒナタさんの解説で、感動を蘇らすことができました。
しかし文学には全く門外漢ですw
知ったかぶりで書いている部分もあるので申し訳ないところもありますが、楽しめていただけて幸いです。
> また、ひとつ、おっしゃられていることで、間違いなのかこちらの勘違いなのかわからないのですが…
> 司祭がマリウスを孫と呼ぶのは、実のお祖父さんではないでしょうか。「お祖父さんも孫を許した」シーンのことでは…司祭も言っていたのなら、別ですがorz
自分は原作を読んでいないのですが、wikipediaを読んだところマリウスの祖父(母がた)はジルノルマンという別の人物のようですよ。
自分は子供向け小説も大人版上下巻セットも漫画版(犬木加奈子先生版)も読んだことがあるので何の不都合も感じずに映画を見ていたのですが未読の方、内容を知らない方は消化不良な部分もあったのですね。(それでこれだけのレポを書けたなんて凄いですが…。)おかげで映画を観終わった後にもう1度楽しませてもらいました。面白い記事をありがとうございました。
原作もミュージカルも前作映画も知らず今回初めてレ・ミゼラブルを観たので、バルジャンが残した工場のことやファンテーヌの死因など、わかりづらかったところを詳しく解説してくださって有難かったです。
Look Downが繰り返されていたのは面白かったですね。
バリケードが破れたあと、バルジャンがマリウスを抱えて逃げるシーンでジャベールにもLook Down(こっちを見ろ)と言っていたと思うのですが、あれも二つの歌にかけたものだったのでしょうか。
それから、バリケードの残骸と学生たちの遺体を片付ける街の女たちが歌っていた歌のメロディが、ファンテーヌが身体を売った売春宿の娼婦たちが歌っていたラブリィレディの歌と同じだったような気がしたのですが…(劇場で観ただけなので定かではないです。笑 )
もし同じだとしたら面白いかけかただなと思ったので。
犬木加奈子さんって「たたりちゃん」の人ですね。知らなかったです。読んでみたい・・・
おほめの言葉ありがとうございます。
> ガブローシュがエポニーヌの弟だったとは知りませんでした。
この意見も多いですね。
自分は他作品を見ていないのでなんとも言えませんが、きょうだいであるとわかる描写が欲しかった気がします。
> バリケードが破れたあと、バルジャンがマリウスを抱えて逃げるシーンでジャベールにもLook Down(こっちを見ろ)と言っていたと思うのですが、あれも二つの歌にかけたものだったのでしょうか。
自分は覚えていないのですが、それも二つの歌にかけたものだと思います。
> それから、バリケードの残骸と学生たちの遺体を片付ける街の女たちが歌っていた歌のメロディが、ファンテーヌが身体を売った売春宿の娼婦たちが歌っていたラブリィレディの歌と同じだったような気がしたのですが…(劇場で観ただけなので定かではないです。笑 )
> もし同じだとしたら面白いかけかただなと思ったので。
う~んごめんなさい、自分もわからないです。
サントラか、もう一度干渉するかするしかありませんね。すみません。
よかったですね~。
今日は女友達と3人でパンをかじりながら(バルジャンのパンの重みをかみしめながら)、ハンカチをみんなで握り締めて泣いてきました。
私は数年前に、山口祐一郎さんがバルジャン役のミュージカルを見てきました。そして、どっぷりはまって前幕CDをよくききましたが、こちらを聴くと大体の音楽の構成がわかりますよ。
たぶん、とりでが落ちた後に女達が歌っていたのは、同じメロディーのアレンジ版です。
そして今回は、
コゼットを引き取った後に、バルジャンが馬車の中で歌う歌が初耳?と感じましたが、
やはり新たに作曲されたものらしいです。
とにかく理屈抜きでよかったです。
岩波書店の中学生向けに書かれた文庫本も読みやすくてよいですよ。ガブローシュが、宿屋女主人に捨てられた男の子であることや、テナルディエがマリウスのお父さん?の恩人であること(そのためむげにできない)などがかかれています。
またレミゼ談義楽しみにしています。
レ・ミゼラブルは犬木先生の手によって「アロエッテの歌」というタイトル(コゼットはいつもブルブル震えていてひばり(アロエッテ)みたいだというあだ名が由来。)で本格的に長編漫画化(全7巻位)をされています。
映画が始まる前、コゼットは何故生まれたのかというファンティーヌのロマンス(捨てられはするのですが…。)やワーテルローの戦いの中でティナルディエがマリユスの父親の命を助けていた事(実は金目の物を持ってないか死体の中から引っ張り出しただけだったのですが…。)映画中ではほとんどカットされていたコゼットの虐待シーンも満載(なので「そういう描写」に耐性のある人でないと読むのは辛いと先に書いておきます。)でレ・ミゼラブルを詳しく知りたいけど小説読むのは面倒臭いという方(オイ!)にはさっさとあらすじを読めるお勧めの本です。
後半、エポニーヌが歌姫になったりコゼットが男装して6月暴動中に外でフラフラしたり「オリジナル要素」を一生懸命入れようとしたせいで迷走に迷走を重ねてしまった節はありますが…。(多少…かなり…原典を逸脱してしまってはいますが…。)
取りあえず思わず読み返して自分のブログに感想の下書きを書き連ねてしまうほどには(更新できてないのかよ!)面白い作品であることは確かです。機会があったら是非読んでみて下さい。
原作も読んでみたくなりましたが、敷居が高そうなのでその中学生向けに書かれた文庫本を読みたくなりました。
ガヴローシュがどういったキャラクターか、もっと知りたくなったので。
>とりでが落ちた後に女達が歌っていたのは、同じメロディーのアレンジ版です。
そうなのですか!追記させてください。
犬木加奈子さんの漫画は子どものときにトラウマを植え付けてくれたので忘れられない存在ですw
「たたりちゃん」でいじめっ子にモチを食べさせて腹をパンクさせるとことか・・・(←読んでいる人しかわからない話題)
アロエッテの歌は1巻だけ読んだのですが、おっしゃるとおり虐待の描写が容赦なさすぎで泣きそうになりました・・・
オリジナル要素はあれど、映画を補完するのにもよさそうな作品だと思います。
ブログの記事読んでみたいです。でもどうか無理をなさらずに。
司教様じゃなくてジルノルマン氏ですよ。
マリウスの登場シーンで言い争いをしていた相手です。
司教様はコゼットがバルジャンに引き取られるよりも
前に亡くなっています。
> 司教様じゃなくてジルノルマン氏ですよ。
> マリウスの登場シーンで言い争いをしていた相手です。
kameさん、ありがとうございます。
ちょっと↑にある質問にも間違って答えていたのですね・・・申し訳ないです。記事を訂正しました。
世界中で極めて高評価を得ている作品に難癖を付けるのはかなり怖いのですが、ストーリーを追おうとしながら観ると、正直難色を示したくなるものでした。
このため、トータルとしては「まぁまぁの出来」という評価に留まってしまうのが極めて残念という印象です。
一方で他の方も書かれていますが、ガブローシュ役の演技がとんでもなく素晴らしかったです。
これまた、日本版のパンフではちょこっと名前が出ている程度でしかないのが残念。
それと個人的には、本作のガブローシュはテナルディエ家とは無関係という設定なのだろうと解釈しています。
エポニーヌとの対比を描かないぶん、ABCを動かしていた勇敢な少年戦士として、脇役ながら感情移入させるキャラクターという扱いにしたのではと思います。
> みなもと太郎によるギャグ漫画タッチの作品
これ凄いですね。
「だいたいあってる」とはこの作品のためにある言葉なんじゃないかってくらい。