できないことと、できること 映画「だいじょうぶ3組」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:5/10
一言感想:ちょっと「いい子すぎ」「できすぎ」かなあ
あらすじ
松浦西小学校に、手も足もない先生がやってきた。
その先生の名前は赤尾慎之介(乙武洋匡)。彼は補助教員の白石優作(国分太一)と5年3組を受け持つことになったのだ。
はじめて赤尾の姿を見たとき、児童たちの表情には驚きと戸惑いの色が広がるが、様々なイベントを経て、2人の先生と28人の児童たちは信頼を深めていく。
大ベストセラー「五体不満足」の著者であり、元スポーツライターでもある乙武洋匡さんの自伝的小説を原作とした映画です。
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この物語はフィクションですが、乙武さんが実際に小学校の先生を勤めていたことは事実です。
作中に登場する授業は乙武さんの考え方が十二分に取り入れられており、とても尊いメッセージが込められています。
乙武さんのファンはもちろん、子どもにぜひ観せたい作品に仕上がっているといえるでしょう。
しかし、申し訳ないですがこの映画版は、完成度はいまひとつと言わざるを得ません。
作中、どうしても違和感を覚えることが多いのです。
一番の問題は、ドラマに真実味を感じられないことです。
起こる事件や子どもたちの行動、さらには教職員のことばに至るまで、現実にはありえそうにもない、不自然なシーンが数多くあるのです。
序盤はそれほど気にならなかったのですが、クライマックスの出来事には正直がっかりしてしまいました。
さらに作中に登場する子どもたちがいくらなんでも「いい子」すぎることはかなり気になります。
序盤は新任の手も足もない先生のことを疎ましく思う児童もいるのですが、それは大きなドラマを生み出しません。
さらには児童のほとんどは意見を求められると積極的に手をあげて発言、問題はサクサクと解決します。
ちょっと悲しいシーンがあったとしても、他の出来事を描いたあとにいつのまにか解決していたりします。
これでは物足りなく感じてしまうのも当然だと思います。
自分は原作は未読だったのですが、これらの違和感は全て映画用に書き換えられていたもののようです。
参考→「映画の違和感は原作で払拭」 だいじょうぶ3組 - Yahoo!映画(それなりにネタバレしているので注意)
自分は「奇跡」などのように、出来事や子どもの行動が自然に感じる映画のほうが好きです。
本作のあらゆるところにある不自然さのおかげで、「出来すぎたドラマ」「道徳の授業を受けているよう」な印象になっているのはすごく残念です。
乙武さんは、出来上がった脚本を見て「これなら任せられる」と言っていたのですが、もう少しだけでも細かい部分に突っ込んで欲しかったというのが正直なところです。
もちろん、本作にはいいところもたくさんあります。
個人的に本当によかったと思ったのは、乙武さん自身がこの映画の主演を務めたこと。乙武さんが演じてこその、面白いシーンが多くあるのです。
それは給食で乙武さんの食べ方に児童のみんなが注目するシーン、階段を登るシーンなどです。
演技そのものは上手くはありませんが、乙武さんの実直な人柄が伝わってくる演技です。
そうして当たり前のように日常を過ごしている姿が、自分はこの映画で一番好きになりました。
また、観る前は「綺麗事に始終している作品なんだろうな」とすさんだ大人の自分は思っていたのですが、本編でその「綺麗事」に突っ込んでいるシーンがあったのもよかったです。
予想外によかったのが、音楽でした。
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ときおりホームビデオのような撮り方になる演出に、ぴったりとはまっている音楽でした。
挿入歌の世武裕子による楽曲「ハローハロー」も素晴らしいと思います。
【PV】 世武裕子 NEW SINGLE "Hello Hello(2011 version)" - YouTube
ちなみにロケーションに使われた学校は、超人気アニメ「けいおん!」のモデルとなった豊郷小学校(旧校舎)だったりします。
けいおんを観ていた方には、この学校の風景に思うところがあるかもしれません。
さらに作中、乙武さん演じる赤尾先生が自分の弱さを吐露するシーンも大好きでした。
自分の中の乙武さんは「とにかくポジティブ」「ブレない」「強い」という、まるで雲の上の人のようなイメージだったので、そんな乙武さんが(たとえフィクションでも)弱さを見せたことが、すごく嬉しかったのです。
より一層、乙武さんのことが好きになりました。
この作品に根付いているのは、金子みすゞの詩「私と小鳥と鈴と」です。
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
私が体をゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
自分はこの詩のこと自体は知っていたのですが、赤尾先生が授業でこの詩を扱うとき、この詩の持つ新たなメッセージについて知ることができました。
それだけで、この映画に感謝をしたいと思います。
本作は残念ながら興行成績は初登場10位と芳しくありません。
激しい戦闘シーンや夢のある作品がたくさん公開されている中、この映画を選択する人は確かに少ないでしょう。
しかし、本作には「乙武さんの授業を子どもと一緒に受ける」という映画でしかできない体験をすることができます。
この映画に出演していた子どもたちはもちろん、この映画を観た子どもたちには、それは貴重な経験になるはずです。
障害をもつ方だけだけでなく、障害について考えたい方、乙武さんのことを知りたい方におすすめします。
以下、結末も含めてネタバレです 鑑賞後にご覧ください↓
~野暮な不満点、違和感を覚えるところ~
もっとも違和感があったのは、最期の「自分のできることと、できないこと」を書く授業のシーンです。
ここで児童のみんなは「自分のこと」を書くのですが、ただひとり文乃(あやの)だけ、自分のダウン症の姉のことを言います。
「お姉ちゃんは普通とはちょっと違うけど、お菓子作りが上手なんだよ」と・・・
しかもこのとき一緒に、自分が上履きを隠した犯人であることも告白するのです。
ダウン症の姉は、妹がこう言うことを了解しているのかが気になります。
(自分のことを言う授業のはずなのに)いままで引っ込み思案だった文乃が、みんなの前で急に姉のことをも言うのも違和感があります。
さらに「普通とはちょっと違う」というのは「できないこと」とはイコールではないです。
このときに文乃は勇気を持ち、すべてのことを告白したかったのかもしれませんが、シナリオとしてはあまりにも不自然で、モヤモヤが残ってしまいます。
康平(こうへい)の描き方にも違和感。
彼は赤尾先生が来たことに反発する児童であり、運動会の自主練習に参加しようとはしません。
しかし白石先生に「みんなベストをつくして頑張っている」と諭され、赤尾先生が「坊主になるぞ!」と言われただけで、いつのまにか素直に練習に従い、やる気も十分でした。
以降、康平は「いい子」のままです。反発する児童のドラマをうやむやにしている印象で、がっかりしてしまいました。
白石先生(国分太一)の恋人(榮倉奈々)の存在も違和感。
彼女は白石先生が赤尾先生の仕事を代わりにしないといけないこと、そのおかげで自分たちの時間が持てないことを不満に思い、「どうしてそんなことまでしなきゃいけないの」と口にします。
しかも彼女は最期のシーンの直前にも、白石先生に「もっと甘えていいんだよ」と言わせるために登場します。
クライマックスで描かれるわりには、白石先生の恋人にまつわるシーンは映画全体のシナリオに影響していないのです。
こうでもしないと白石先生の活躍の場がなかったのかもしれませんが、別の描き方もあったと思います。
作中の先生の発言も違和感。
序盤で「児童に手伝ってって言ったそうですね?なんで児童が先生のことを手伝わなくちゃいけないんですか?」と言うのにはがっかりしてしまいました。
反面校長は「いい人」で、いい先生と悪い先生が白黒はっきりしている印象でした。
さらに赤尾先生がみんなとサッカーをするシーンも違和感。
赤尾先生がサッカーをしたいと言ったとき、みんなが次々と帰ってしまうという悲しいシーンがあるのですが、これはその後に「赤尾先生がゴールを決めてみんなが喜ぶ」という数秒足らずのシーンで解決してしまっています。
赤尾先生が見事にボールを蹴り、徐々にみんなに認められるシーンがなぜないのか、理解に苦しみます。
必要なことが描かれていないのに、「みんなが自転車で次々に帰宅する」という、必要性のないシーンがあるのも違和感(遠足の行き場所を変えるために、みんなが行動することを示すものなのですが)。
これは監督が音楽と融合した躍動感あるシーンを撮りたかったのかもしれませんが、それをちゃんと意味のあるシーンにしてこその映画作品だと思います。
~運動会でみんなが勝ったら坊主になります!~
面白かったのが、運動会において「最近の子どもたちは負けても悔しがらないんですかね」と先生たちが話し合ったときのことです。
先輩の先生は「最近だと『みんなで手を繋いでみんなでゴール』みたいなところもあるくらいですからね」と言うのです。
参考→「手をつないで一斉にゴール」が全国各地で大流行している!? - Imaginary Lines
これはまさに悪しき「綺麗事」であり、「みんなちがっていい」ということに相反することです。
これに対して、赤尾先生が「本当は勝ちたいんだけど、言わないだけなんじゃないんですか」と言うのもいい。
これは康平の気持ちそのものなのです。
赤尾先生は、みんなの「勝ちたい気持ち」のために「みんなが100m走で1位を取ったら坊主になります」と約束します。
しかし、14レースのうち唯一、康平は負けてしまいます。
その後白石先生が「14分の13坊主しよう」と言うのです。
ここでの乙武さんの「(声を出さずに)ちょっと待てよ!」という表情の演技には笑わせてもらいました。
しかしこの坊主姿はその後舞台が夏になり、すぐに髪が生えてしまうのが残念。もっと見せて欲しかったですね。
乙武さんももっと使ってよと言っています→『だいじょうぶ3組』乙武洋匡 単独インタビュー - Yahoo!映画
~赤尾先生と一緒に遠足に行きたい!~
遠足が山登りのために、赤尾先生は「留守番をする」と言います。
ここで児童のひとりの『教授(あだ名)』は行き先を変更することを思いつき、署名も集めて職員室に直談判に行きます。
職員室の決定は「予定を変更することはできません、しかし赤尾先生には行けるところまで行ってもらいます」というものでした。
上手いのは、この前に赤尾先生が勝手に「桜の下での授業」をしてしまったことで、「他のクラスもやりたいと言ったら収集がつかなくなる」と咎められたことです。
無慈悲な決定に思われることも、この伏線のおかげで説得力があります。
山登り中、車椅子で登ることに限界を感じ、赤尾先生は「もういいよ」と口にしますが……それを聞いた児童たちは「じゃあここでお弁当を食べます」と言います。いい子すぎる!
ここで赤尾先生は、自分の気持ちを白石先生に吐きます。
「弱いだけで、強く見せているだけだよ」
「肉体的な、越えられないカベを感じるんだ」
「ほかのクラスはいまごろ頂上でいい景色を見ているのに、俺のせいでさ・・・」
と。
これに白石先生は「お前はそれ以上に周りを大きく変えてしまう力を持っているよ」と言います。
「どうにもならないこと」は、赤尾先生の言うようにたくさんあります。
しかし、赤尾先生にはできないことがたくさんあっても、できることもあります。
それは赤尾先生だけでなく、ほかのみんなも同じです。
そのことを、作中の授業で赤尾先生は教えてくれます。
~授業~
・結果より〇〇
入ることばは、「成長」でした。
運動会で勝つという結果よりも、そのことのために努力し、みんなが成長したことにこそ意義があるのです。
・〇〇〇〇の体は、ヘンだと思いますか
入ることばは「赤尾先生」でした。
ここで児童たちが導き出したのは「ヘンだけど、ダメじゃないでした」
・1つ目は自分の「できないところ」、2つ目は自分の「いいところ」を書こう
みんなはそれぞれ苦手なところ、得意なところを持っている。
それこそが個性なのです。
そして「私と小鳥と鈴と」の歌詞には、
「お空はちっとも飛べない」
「地面を速く走れない」
「たくさんな唄は知らない」と、「できないこと」がたくさんかかれていました。
できないことはたくさんある、でもそれ以上にみんながいいところをたくさん持っている。
当たり前のことかもしれないけど、その当たり前のことがとても大切なことだと教えてくれるこの詩が、そして乙武さんが、自分は大好きです。
本の中では
山に上るシーンが好きです
この映画を見にいきます!
個人的には、「綺麗事に終始していたなぁ」という印象でしたし、子どもたちの言動、なにより榮倉奈々の役に違和感ありまくりでした。
テーマはとても素晴らしかったと思うので、もっといい映画にできていたんだろうなぁ~と思います…。
乙武さんは、自然な演技で素晴らしかったですね!
本当に担任の先生のようでした。
> 本の中では
> 山に上るシーンが好きです
映画の中ではかなり好きなシーンでしたが、原作とは違うそうです。
原作を読んだ方の意見も聞いてみたいと思いました。
> 個人的には、「綺麗事に終始していたなぁ」という印象でしたし、子どもたちの言動、なにより榮倉奈々の役に違和感ありまくりでした。
> テーマはとても素晴らしかったと思うので、もっといい映画にできていたんだろうなぁ~と思います…。
やっぱり全体的には「綺麗事」ですよね・・・・子どもたちの言動ももうちょっと自然にできたと思います。
乙武さんは普段そのままな印象でしたが、そこがよかった、と思える演技で大好きでした。