それで許してくれるの? 映画「謝罪の王様」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:5/10
一言感想:謝ってもダメなこともあるよね・・・
あらすじ
黒島譲(阿部サダヲ)は、謝罪で物事を解決する「東京謝罪センター」の所長だった。
黒島のもとに、ヤクザの車に追突事故を起こし、賠償金を請求されていた帰国子女・典子(井上真央)がやってくる。
典子は黒田に助けられたことをきっかけにセンターのアシスタントとなり、2人はセクハラで訴えられた下着メーカー社員の沼田(岡田将生)、息子が暴力事件を起こしてしまった大物俳優の南部(高橋克実)、とある外交問題を起こしてしまった映画プロデューサー・和田(荒川良々)など、さまざまな人々の問題の解決に乗り出すのだが・・・
「舞妓Haaaan!!!」「なくもんか」に続く、水田伸生監督×宮藤官九郎脚本×阿部サダヲ主演という布陣で制作された映画です。
宮藤官九郎は先日最終回を迎えたばかりの超人気ドラマ「あまちゃん」でも脚本を担当していました。
このドラマ終了と共に公開するタイミングが実に上手いと思います。
豪華なキャスティングも含めて、多くの方が注目している作品でしょう。
そして宮藤官九郎のファンにとって、この作品は納得の仕上がりなのではないでしょうか。
徹頭徹尾、宮藤官九郎らしいギャグとクセが満載なのですから。
映画に登場するのは、架空の職業である「謝罪師」です。
その名のとおり、謝罪で物事を解決するというのがこの仕事の目的で、その破天荒な行動がギャグになっているのです。
しかもギャグになっているだけでなく、そこには明確なメッセージ性もあります。
描かれているのは「謝罪」という行為の美徳です。
「謝る」ということは日本人の特性のひとつで、欧米諸国からみると異様に映ることがことが多いようです。
その理由のひとつが、「謝ってしまうと非を認めたことになり、裁判のときに不利になってしまうことが多いから」というものです。
近年では「アイム・ソーリー・ルール」というものがアメリカの多くの州で規定されており、少しづつ謝ることも多くなっていったようです。
しかし、簡単に謝ることに抵抗を覚える方もまだまだ多いことでしょう。
そして謝ることを躊躇してしまう人にとって、この映画は痛快に思えるのではないでしょうか。
作中で提示される「謝りたい人が謝れば、世界はもっと平和になれる」というまるで絵空事のような台詞が、本当にそうであると思わせる力がこの作品にはあります。
「謝罪」というある意味デリケートな行動を破天荒なコメディにしてしまい、さらに人に謝りたいという想いを起こさせてくれるのが、この映画の最も優れた点でしょう。
この映画の特徴を一言で表すなら「極端」です。
作中に出てくる謝罪には中途半端なのは存在せず、「謝罪がオーバーすぎてギャグになっている」「謝罪が失礼すぎてギャグになっている」のほぼ2択しか存在しません。
この描写こそが作品の面白さでもあるのですが、諸刃の剣でもあります。
なにせ言い換えれば「謝っているのにふざけている」という映像を延々と見せられるのですから。
もちろんそのムカツキ具合も作中で存分にツッこまれています。
しかし、これを笑って許せるか、許せないかで、本作を楽しめるか否かの「ふるい」にかけられると思います。
予告編で岡田将生が壁ドンしながら言っている「なんか・・・しゃーせんでした」が笑えない方は素直に観るのをやめたほうがいいかもしれません。
もうひとつの特徴としてあるのは、伏線がものすごく多く使われている作品だということです。
物語は6つのストーリーが次々と展開するオムニバス形式になっているのですが、これらは完全に独立しているわけではなく、どこかでそれぞれに影響を与えています。
さらに時系列をずらした構成により、そのつながりがよくわかるのです。
その伏線はほぼすべてがバカバカしい(褒めことば)のですが、とあることばや行動が「そういう意味だったのか!」と気づくことができる気持ちよさがあります。
映画の脚本には伏線があってこそ!と思っている方にとって、この映画はより面白く観れるでしょう。
個人的にものすごく残念だったこともあります。
作中で提示されているテーマはとても志が高いものなのですが、その主張と矛盾してしまっている展開があったのです。
謝罪で物事を解決していくのは痛快なのだけど、いくつかの場所で「それでいいの?」と思ってしまうモヤモヤが残ってしまいました。
明らかに謝っても許されないこともあるような?それで許していいのか?と少し現実的に考えてしまったところもありました。
作中には「セクハラ」「暴行事件」など、現実で多くの方が苦しんでいる案件もあるので、不愉快に感じてしまう方も多いと思います。
まあこれは映画なので、リアリティなんか気にしない!とにかく楽しければ良い!というニュアンスで観ることをおすすめします。
余談ですが、漫画の「どげせん」の作者が本作を盗作であると訴えたことも話題になりました。
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自分もこの漫画を読んでいたのですが、映画を観てみるとこの2つはあんまり似ていませんでした。
「どげせん」はマジでほぼ土下座だけで物事を解決する内容(笑)で、主人公は高校の教員という設定です。
「謝罪の王様」は土下座だけを解決の方法としていませんし、登場人物や物語にもちゃんと独創性があります。
後に作者がパクっていませんと謝罪してなによりです。
また、「どげせん」も十分どうかしている(褒めことば)作品ですが、土下座で超常現象が起きるという内容の漫画「謝男(シャーマン)」も存在しています。
土下座ってすごいんですね(違った方向に)。
ともかく、「謝罪の王様」は謝罪をエンターテイメントとして魅せることに抵抗がない方には存分におすすめできる内容です。
でも、宮藤官九郎のおフザけ具合が許せない方は避けたほうが吉です。
「中学生円山」に比べれば下ネタは少なめですが、小学生レベルの下ネタがしつこいほど繰り返されることもあるので、これも苦手な方はご注意を。
以下、結末も含めてネタバレです 鑑賞後にご覧ください↓
*後のCASEにリンクしている展開は緑色の文字で書いています
~オープニング~
土下座が日本古来の謝罪方法であること、さまざまな謝る必要があるシチュエーション、「土下座を超える謝罪を知りたいですか?」という質問に答える街頭インタビューが映し出されます。
びっくりしたのが、沢尻エリカが「別に」と言い放った懐かしい事件がほぼそのまんまパロられていたことでした。<設定は「清純派映画女優」でした
沢尻エリカ(違うけど)は「別に」だけでなく、「ク○映画のク○初日」とまで言い放ちます。このシーンで謝ったのは沢尻エリカでなく、しつこく彼女にメールを送っていた監督でした。
*以下の意見をいただきました
> そういう発言をするに至った背景も想像してみよう、と主張しているのではないかと思いました。「えりーと」の事例は、もろにそれでしたね。
~CASE1:倉持典子(井上真央)~
典子は帰国子女で、謝るということに慣れていませんでした。
彼女は車をバックさせるときにヤクザの車に乗り上げてしまうという120%の過失での事故を起こしてしまいます。
謝罪センターの所長・黒島は、自身を典子の兄と偽り、頭を怪我したという偽装(石をぶつけてもらう)をし、典子に代わってヤクザの前で土下座をします。
黒島が主張するのは以下のようなものでした。
①謝れって言われたから謝ったんじゃ遅い、むしろ(車を)ぶつける前に謝るくらいでないと!
②土下座はスピードが命。登場してから39秒62というタイムに加え、額をこすりつけるという日常から逸脱したインパクト、顔面が血まみれというハンデ、それらが相手に優越感を与えるのです。
そして黒島がしたのは土下座だけにとどまりません。カラオケ、掃除、タバコに火をつける(火が大きすぎて失敗する)、またカラオケと、まるでヤクザの舎弟になりたいがための行動のように振る舞うのです。
晴れて示談となり、典子の借金は10分の1の40万円になります。
司法書士を目指す典子は、「勉強」のために黒島のアシスタントとなり、様々なケースに対応していくことになります。
~CASE2:沼田卓也(岡田将生)~
沼田は一見爽やかな青年ですが、中身は女性をすぐに性的な目で見て、女性を商売道具としてとらえるばかりか、「肉」であるとも言い張るゲス野郎でした。
超イケメンの岡田将生が演じていなかったらシャレにならなかったことでしょう。
沼田はセクハラで訴えられた女性のところに行くまで、典子に命じられるがまま走ります。<「誠意」を見せるために走る岡田将生
このとき沼田は道行くメガネをかけた男性にぶつかります→CASE3にリンク
行き着いた先で沼田は女性の言い分を聞くのですが、そこに黒島の「謝罪をする相手は自分の言い分を聞いて欲しいのです、その代わり、聞く耳を持っていません」というナレーションがかぶさります。
沼田はそのことばどおりに、「たしかに」をわざと「ぱしかに」や「パスカル」や「ラスカル」と言ってしまいます(なんでそんなことするねん)。
さらに「エロいですね、あなただったら『チェンジ』しないもん」とさらにセクハラな発言をして、息子以上のセクハラ親父も同席してセクハラの上塗りをします。
当然女性は怒って帰りますが、沼田はさらにスイス製の高級時計を「ホレ」と言いながらあげようとするのです。いやーぶん殴りたい。
この絶望的状況の中、黒島は「150%の謝罪」をすることを提案します。
それはセクハラをした人間が人身事故を起こしたことを装い、典子の「セクハラくらいで死ぬことないのに」という内容の電話を女性に聞かせて、黒島が幽霊として女性の前に現れるというメチャクチャなものでした。
どうやって列車を止めたの(訴えられるぞ)?とか、黒島が幽霊として飛んできたときどこからワイヤーで吊り上げているの?とかいろいろツッコミたいですが、まあ無視しましょう(めっちゃ気になるけど)。
このとき黒島は映画撮影の現場で使われていたものを加工した沼田のマスクをかぶり、すぐに脱いでいましたが、後に典子に「つける意味あったの?」とツッコまれます→CASE4にリンク
それを見た女性は、「もう相手は怒っていない、いつか許すことを待っている」と黒島に告げます。
そのとき女性の後ろには、沼田がいました。
沼田はここでしっかりと頭を下げ「すみませんでした」と言います。
女性はそれだけですっかり許してしまったようで、「お茶しませんか、一人になるのは怖いでしょう」と沼田に告げます。
2人は歩き出し、目の前の「赤信号」は「青信号」になりました。
人は誰かに謝ることを求めるとき、ちゃんと許したいこと、そして「終わりにしたい」ことも求めている―そう思えるエピソードでした。
人の同情心につけこんでいる気もするけどね!
また、典子は弁護士の「箕輪」が示談に応じないのではないかと気にしていましたが、なぜか黒島からは「それは大丈夫」と言われました。
典子は「カレーをぐちゃぐちゃに混ぜて食べる」という汚い食べ方をしており、それを見ていた沼田は野太い声で「え?」と言うのですが・・・→CASE4とリンク
~CASE3:南部哲郎(高橋克実)&壇乃はる香(松雪泰子)~
この2人はもと夫婦でしたが、離婚をしていました。
黒島は2人の前に遅れて現れて「すみません、『わちゃわちゃ』でして」と言います→CASE5とリンク
案件は息子の英里人(えりーと)が傷害事件を起こしたというもので、南部は謝罪会見を開くことになりました。
しかし南部は婚約者の女性(22歳)を楽しそうに紹介したり、自身がドラマで披露したときの臭すぎる芝居そのままの「演技」をしたりと、リハーサルの時点でとても謝罪できるような印象ではありませんでした。
黒島に「新しい南部さんを見せてくださいよ!」と言われて本番に臨む南部でしたが・・・謝罪会見は散々な結果に終わり、新聞では大きくバッシングされるようになりました。
頭を下げる時間はたった数秒で角度も足らない、被害者を「被害者さんのA」と言ってしまう、マイクの持ち方がラッパーみたい、中日スポーツを「中日しゅぽーちゅ」と言ってしまう、「涙用」の水を用意したことがバレるなど、失礼極まりない行為ばかりだったのです。
さらに元妻のはる香もゴージャスな十二単を着ながらの謝罪、さらに「夜の公演も空いております」とガッツリ宣伝をしてしまいます。
さらに2人は何のために謝っているかわからないほど、何度もカメラの前で(間違った)謝罪を繰り返すのです。
これは所長の作戦でした。当の息子が出所したとき、彼が「人々の熱が覚めるときにしっかり謝罪をする」ことを期待していたのです。
しかし息子は「なんか、すみませんでした」と言ったばかりか、謝るときの秒数の20秒も、口で言いながら数えてしまっていたのです。
典子は「そもそもなぜ世間に謝っているか」を疑問に思います。
それを聞いた黒島は本当に謝るべきなのは「被害者さんのA」であることに気づきます。
そしてAさんは、南部とはる香の前で真実を告げます。
Aさんはその当時酔っ払っており、沼田と偶然ぶつかったこともあり、機嫌が悪かったのです。
Aさんは、英里人に、そして英里人の父の南部に対して暴言を吐いていたのです。
しかしAさんのことは報道されていませんでした。
Aさんは「謝るのは自分のほうでした」と告げ、土下座をします。
南部とはる香も土下座をします。
また典子も「ハゲって言いすぎてすみません」と南部に対して土下座をしました。
お互いが心からの謝罪をしたことで、お互いが救われたのだと思います。
ちなみに、南部はその昔に「マンタン王国」を舞台にした映画で「国王」を応じた経験があったのですが・・・
そのネットでの評価はなぜか「マンタン国民が号泣、日本では爆笑」でした→CASE5(クライマックス)とリンク
~CASE4:箕輪正臣(竹野内豊)~
箕輪はCASE2での担当弁護士でした
エリート弁護士の彼でしたが、その昔、試験前に3歳半の娘が繰り返していた「わき毛ボーボー、自由の女神」というギャグにイライラを募らせていました→CASE5(クライマックス)にリンク
そして試験の日まで同じようにふざけている娘を、平手で叩いてしまいます。
彼の要望は、一度娘に謝ることでした。
黒島には「娘さんが悪いのでは」「娘さんは3歳半で覚えていないのでは」と告げられますが、箕輪は「どんな理由でも、娘に手を上げることは許されることではありません」と言います。
実はその箕輪が謝りたい相手の娘というのは・・・今は大人になった倉持典子だったのです。
黒島に「すぐに典子さんが来ますよ!」と教えられた箕輪は、そこにあった「沼田のマスク」をつけます。
すぐに娘の写真を隠し、沼田のふりをして平静を装う箕輪でしたが、典子の汚いカレーの食べ方を見て、つい「えっ?」と声を出してしまいました。
なにせ、箕輪もカレーをぐちゃぐちゃにして食べるくせを持っていたのですから・・・
最後に・・・喫茶店にいた黒島と箕輪の前に、典子と、謎のラーメン屋店員の松本→CASE6とリンクと、正体がマジで不明な子ども(笑)が現れます。
松本と子どもは「わき毛ボーボー、自由の女神」という、かつて箕輪が手をあげてしまった原因であるギャグを繰り出しまた。
「わき毛ボーボー、自由の女神」の本当の意味は、CASE5で明らかになったことでした。
~CASE5:和田耕作(荒川良々)~
和田は映画プロデューサーでしたが、作品の中で「マンタン王国」の国王の息子を無理やり通行人のエキストラとして参加をさせたことで、マンタン王国の怒りを買います。
マンタン王国でその罪状は合計で懲役70年。あわや外交問題に発展しようとしていたのです。
和田と監督と配給会社の社長はマンタン王国に謝罪に行くように黒島にアドバイスをされます。
黒島はマンタン王国の謝罪のことばが「わちゃ」、もっと強い謝罪が「わちゃわちゃ」であることも告げます。
このとき黒島は別件(CASE3)も抱えていて、すぐにその場を離れてしまいます。
和田、監督、社長の3人はマンタン王国に訪れ、彼らが持ってきたおみやげに国民たちは喚起していましたが・・・・和田が持っていたこけしがマンタンの国民が捕虜にされた歴史を連想され、帰れと大合唱が起きてしまいます。
さらに後には国王と旧友であった文部科学大臣が甲殻機動隊のグッズを持参して訪れますが、国王しか許されていない「子どもの頭をなでる」ことをするわ、禁忌であったお酒の強要をするわ、秘書に関係を迫ろうとするわ、肖像に落書きをするわで、さらに反感を買います。
さらにさらに、女性の外務大臣と、そしてCASE3の南部までもがマンタン王国に訪れます。
南部はその昔に映画でマンタンの国王を演じており、国民からスターとして崇められていたのです。
外務大臣と南部は土下座で国民の前で謝罪をしますが、なぜかこれまた帰れと言われてしまいます。
なぜなら、土下座の格好はマンタンでは最大級の侮辱であるから(なんだそりゃ)でした。
これを解決するのは、一体何か?
それは南部が出演した映画に隠されていました。
それは、子どもの頃の典子が繰り返していたギャグでした。
ラーメン店の店長と、子どもが喫茶店にいた黒島と箕輪の前で繰り出したギャグでした。
そう、「わき毛ボーボー、自由の女神」だったのです。
日本語ではそんなアホらしいことばに聞こえるのですが、マンタン語では「心より謝罪をする」ことを意味していたのです!なんじゃそりゃ!
日本の首相と、そして黒島は、マンタン国民の前で、「わき毛ボーボー、自由の女神」を繰り返します。
マンタン国民は、心の底から湧き上がり、そして許しました。
これこそが「土下座を超えた謝罪」でした
クライマックスで「わき毛ボーボー」なんてことばを繰り返す映画が、ほかにあったでしょうか?(ないよね)
~CASE6:黒島譲(阿部サダヲ)~
この物語の主人公の黒島は、子どもの頃から土下座(謝罪)をすることで注目されることを快感に感じていた人間でした。
大人になってからは職を転々とする生活をしていた黒島でしたが、行列のできるラーメン店の店員・船木と出会い、人生が変わります。
船木は店の忙しさのためにお客のペースで注文をしてもらうことをよしとはせず、湯切りをしたときに黒島に熱い水滴を飛ばしてしまったのです。
船木に対して「あとで謝罪に来てください!」と言う黒島でしたが、船木が謝りに来ることはありませんでした。
来たのは店主や、会社の人間で、お金を払ってことをすませようとしました。
ラーメン店は過剰な湯切り時に水滴が飛ばないような対策をしましたが、結局お店はつぶれてしまいます。
黒島の求めていたのは、「本人による」謝罪だったのです。
ここから黒島は「謝りたい人が謝れば、世界はもっと平和になれる」という結論に至ったのです。
そしてかなりの時間を経て船木は黒島に謝ります。
しかしその謝り方は典子に教わった「わき毛ボーボー、自由の女神」という意味不明なものでした(笑)でも謝れてよかったね!
~野暮な不満点~
何が気に入らないって、作中でちゃんと謝っていない人間が多いことです。
冒頭の沢尻エリカが謝っていない!
CASE1で典子はせっかく示談金をとりつけた黒島に謝っていない!
CASE3の南部とはる香とその息子は「世間」に対してちゃんと謝っていない!
CASE4の箕輪弁護士が娘に謝るシーンがない!
CASE5の通訳のワクバル(濱田岳)はわざと土下座の意味を教えていなかったのに謝っていない!
CASE6で黒島はラーメン店を潰してしまったのに謝るシーンがない!
謝罪がテーマなのに、肝心なシーンを排除しているように思えます。もうひとつ気になったのは、CASE6で黒島は「本人が謝ること」を重視していたのに、クライマックス(CASE5)では今までと違う人間が謝罪していることです。
黒島の主張からすれば、マンタン国民に失礼なことをした和田、文部科学大臣、外務大臣、南部も謝罪をするべきなのではないでしょうか。
それなのに、最後に「わき毛ボーボー」で謝罪をするのは首相と黒島だけなのです。
*以下のご意見をいただきました。
> クライマックスで違う人が謝っているという指摘をされていますが、私はそれでもテーマ的に問題ないと感じました。
それはこの映画が伝えている「人が怒りを感じる原因」というのが「コミュニケーション不足」だと読み取ったからです。
この映画はすべてのエピソードで謝る側と謝られる側の思いの違いが謝罪が成功しない原因となっています。「ワキ毛ボーボー~」はその最たる例です。
そしてクライマックスは「国同士のコミュニケーション」を描いていると考えるとテーマ的にも話しの盛り上がり的にも納得のいくものだと私は感じました。
〜究極の謝罪〜
さて、↑には不満を書きましたが、ラストで総理が「ワキ毛ボーボー」が「究極の謝罪」であるとことにはしっかりとした意味がありました。
というかダジャレなのですが・・・その意味は以下の記事でお読みください↓
<謝罪の王様 | タルティーン司令部戦略課室長日誌>
究極の謝罪=国(国のトップ)の謝罪=あのダジャレ
というのは大納得です。
~CASE7:?(エンディング)~
エンディングではE-girlsによる「ごめんなさいのKissing You」という全然謝っている感じがないタイトルの曲が、PVのような映像とともに流れます。
歌詞も全く謝っている印象がないですね。いいけど。
このエンディングは批判も浴びまくっているようですが、EXILEのメンバーのダンスが見れて、m-floのverbalのラップも聞けて、かなりのゴージャス感があったので個人的にはそんなに嫌いじゃありません。
とりあえずこの映画を観て、謝るときはふざけず真摯に謝ろうと思いました。
そんなわけでこの映画を観た方はふざけて「わき毛ボーボー、自由の女神」というマンタイ王国式の謝罪をマネしないでくださいね(しません)。
おすすめ↓
『謝罪の王様』 ごめんなさい! :映画のブログ
2ちゃんねる映画ブログ 謝罪の王様
無理やり土下座させるとこうなります↓
痛いニュース(ノ∀`) : しまむら店員を土下座させてツイッターに画像を晒した女、強要容疑で逮捕
私もクドカンの「映画」はあまり好きじゃないですが。伏線の回収は素直に見事だなと思うことがよくあります。今回の記事で思ったことをすこし↓
クライマックスで違う人が謝っているという指摘をされていますが、私はそれでもテーマ的に問題ないと感じました。それはこの映画が伝えている「人が怒りを感じる原因」というのが「コミュニケーション不足」だと読み取ったからです。この映画はすべてのエピソードで謝る側と謝られる側の思いの違いが謝罪が成功しない原因となっています。「ワキ毛ボーボー~」はその最たる例です。そしてクライマックスは「国同士のコミュニケーション」を描いていると考えるとテーマ的にも話しの盛り上がり的にも納得のいくものだと私は感じました。一つの意見として書いときます。
> クライマックスで違う人が謝っているという指摘をされていますが、私はそれでもテーマ的に問題ないと感じました。それはこの映画が伝えている「人が怒りを感じる原因」というのが「コミュニケーション不足」だと読み取ったからです。この映画はすべてのエピソードで謝る側と謝られる側の思いの違いが謝罪が成功しない原因となっています。「ワキ毛ボーボー~」はその最たる例です。そしてクライマックスは「国同士のコミュニケーション」を描いていると考えるとテーマ的にも話しの盛り上がり的にも納得のいくものだと私は感じました。一つの意見として書いときます。
なるほど!一国の長が謝っているので「国同士のコミュニケーション」ともとれますものね。
たしかに「コミュニケーションの不足」においては納得です。是非、記事にそのまま追記させてください。
そういえばタイムリーに土下座を軽視した人が大変な事になってますね・・・。
沼田も言葉の選び方にとてつもなく難があるだけで、女性を軽んじている訳ではないんだ、と受け取りましたが。
それと、誤記・誤字がいくつかあるので、訂正してはいかがでしょうか。
そのとおりだと思います。記事に追記させてください。
誤字は少しだけ直しました。ご指摘ありがとうございます。
ヒナタカさんともあろう方が、この意味が理解できなかったとは!
この映画のタイトルは「謝罪の王様」なんですよ。
これは壮大な駄洒落になっているんです。
判らないならば、英語で謝ってみて下さい。
(一応、うちのプログに答えは書いています)
でもさすがにそれは誰が気づくんだって感じもしますがw
究極の謝罪=国が誤る=ついでにI'm 総理
これは納得です。
どんなしょーもないことでも一言謝ってもらわないと気が済まないことってあると思うんですよね、それが(双方にとっても)すっごく難しいってのは痛いほどわかります。
クドカン&水田のコンビは「ぼくの魔法使い」以来の大ファンなんですけど、「なくもんか」の出来が正直かなりアレだったので不安でした…が、想像以上に丁寧な出来で満足です。
SPECなんかよりもコッチを劇場で観ればよかったなぁ…。
映画の撮影現場で黒島が倉持と電話で話してる時にスッと和田が出てきて
「試写室にご案内します」といっているシーンがありました
CASE2の時にはすでにCASE5での和田の以来の最中だったんですね!!
今の時代にケース2のようにセクハラを笑いにするのは難しいと思います。
セクハラを笑う感覚と実際にセクハラをする感覚ってすごく近いものだと思うんです。
例えばおじさんが性的な話題で同僚をからかったり、ひどい時は体に触ったりするのも本人としてはコミュニケーションの一環だったとか言い訳しますよね?冗談だよ。このくらいで怒る君の方がおかしいとか。
こんな感じで笑いの一環だよという感覚でセクハラが行われてきた。それを今の社会は許さないという流れになっている。
こういった時代の流れを踏まえるとセクハラを題材にした笑いの何が問題かよくわかると思います。
時代感覚を読めてない笑いは寒い笑いになってしまいます。永遠に面白い芸人がいないように、こういった感覚というものは笑いにはとても大事なことと思います。
この映画を見て、もう宮藤官九郎も時代とのズレが出てきたのか。と思ってしまいました。