究極の自己満足映画?「R100」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:2/10
一言感想:作品に言い訳しないでよ・・・
あらすじ
大手デパートの販売員の片山(大森南朋)は異様なSMクラブ「ボンテージ」の会員になる。
はじめは日常で現れる女王様たちからのプレイに快感を覚える片山だったが、女王様は彼の職場にも現れ、そして彼の家族をも脅かしていく・・・
「大日本人」「さや侍」の松本人志監督最新作です。
松本人志はご存知のとおり、もともとお笑いの舞台で確固たる地位を築いた生粋のコメディアンです。
まったく土俵の違う「映画」という舞台での活躍は人々を驚かせ、また作品の異質さが賛否両論(だいたい否)を呼びました。
松本監督は第1作「大日本人」でやりたいようにやりました。
次回作の「しんぼる」ではほぼコントだけに始終したシロモノを世に送り出しました。
「さや侍」ではちょっとまともな映画を撮ろうとしました。
この「R100」はそんな試行錯誤を繰り返してきた松本人志監督の集大成と言ってよいでしょう。
なぜなら、やりたいようにやった上で、作中で「俺の映画は誰もわからんでもいいねん」ということを主張するのですから。
ネタバレになるのでどうやって主張したかは↓に書きますが、これはもはや「言い訳」と言っても過言ではありません。
まるで松本監督の「どうせ世間はわからずに批判ばっかりするんやろ?」「俺の映画なんやから、見る目がない客はわからんでもいいねん」というつぶやきが作品から聞こえてくるようです。
これはしてはいけないことだと思います。
言い訳をしてなんになるのでしょうか。
観客は納得するのでしょうか。
面白いか面白くないか以前に、観る人を楽しませるために映画を作っている人たちに失礼なレベルだと思えました。
作品としては面白い部分もあります。
そのひとつが日常が非日常に侵食されていく恐怖です。
強制的に「SMプレイ」を迫る女王様が唐突に現れ、徐々に日常生活が脅かされていく様子は不安を煽り、そして戦慄させます。
観ているうちに、何が現実で、何が虚構かわからなくなる「あいまいさ」も面白いです
後半の展開をとにかく破天荒にして、誰も観たことのない「規格外」の作品にしようとする気概も感じられます。
恐らく松本監督はデヴィッド・リンチ監督のような摩訶不思議な世界観を目指したのでしょう。
しかし総合的に観ると、ただの独りよがりで、監督の自己満足に始終している作品としか思えません。
エロやグロもR15+というレーティングにしてはおとなしめで、突き抜けてはいません。
ホラーとしてもコメディとしても中途半端で、不条理な世界観も魅力が薄いままでした。
個人的には女王様を演じていた豪華キャストの魅力を活かしきれていないことも残念でした。
特に出オチでも盛大に笑えるはずの片桐はいりさんの出演シーンはもっと面白くできたと思うんだけど・・・
タチが悪いのが、そういった作品の特性を前述のとおり言い訳をして「自己満足でいいねん」と開き直っていることです。
観客はお金を払って、時間を使って観に来ているのに、それをあだで返すような主張です。
これにはゲンナリせざるを得ませんでした。
自分はお笑い芸人の「ダウンタウン」としての松本人志が大好きでした。
「ごっつええ感じ」は子どものころに観て大笑いしていました。
「ガキの使い」の「絶対に笑ってはいけない○○」も毎年楽しみにしていました。
「ダウンタウンDX」で何かをしゃべるたびにクスクス笑っていました。
でも松本人志監督の映画は「もうじゅうぶん」です。
楽しめる気がしませんし、そもそも監督が権力を盾にして自己満足で作っているので「楽しませる気さえない」のです。
不覚にも面白いと思ったところもあったのでお気に入り点数は2点にしておきましたが、作り手(監督だけ)のスタンスとしては史上最悪の映画だと思います。
そんなわけで誰にもオススメできない作品ですが、いままでの松本人志監督作品に「波長」があった方は観てみるのもよいでしょう。
「絶対に笑ってはいけない○○」「大日本人」「しんぼる」を彷彿とさせるシーンもありますよ。
豪華キャストのファンの方、松本人志監督作品が肌に合わない方にとっては「滑りっぱなしのコントをスクリーンで観る」という地獄のような時間を過ごしてしまうかもしれません・・・。
監督の意志などはこちらでご覧ください↓
松本人志監督 第4作「R100」 願わくは「無の状態で見てほしい」 - MSN産経ニュース
松本人志監督、最新作『R100』は「精神的3D映画」|ニュース@ぴあ映画生活
松本人志、新作でしてやったり!「『ざまあみろ』って思いました」 - シネマトゥデイ
『R100』松本人志監督&大森南朋 単独インタビュー - Yahoo!映画
以下、結末も含めてネタバレです↓
~SMプレイの数々~
冨永愛
映画のはじめから登場します。
主人公・片山はレストランでベートーベンの「歓喜の歌」に関するクイズを彼女に出します。
片山は女王様に唐突に回し蹴りをくらい、その後も公園でボコボコに殴られ、階段から転がり落ちます。
*また、彼女はトイレの鏡を見ながら化粧をして、トイレを流さないままトイレから出てました。
これは彼女が松本人志監督の「投影」であり、「自分自身を見つめつつも、それはク○みたいなもんだ」と認めているということでしょうか。どうでもいいや。
佐藤江梨子
片山が行った寿司屋に唐突に現れ、次々と出される寿司を手のひらでバンっとつぶしていきます。
そういえば「しんぼる」でも寿司を延々と食べるギャグシーンがあったよなあ・・・面白くもなんともないです。
また「HITOSI MATUMOTO VISUALBUM」でも同じネタがあったそうです。
寿司屋の店員、他の客は女王様が寿司を潰すのを見てもなぜか無言でした。
寺島しのぶ
職場のトイレに登場します。
片山は「こんなところにまで来るな、帰ってくれ!」とプレイを拒否しますが、「ド変態だから、それでも嬉しいんだろうが!」となじられます。
トイレに訪れた同僚はこれまた無言で手を洗っていました。
大地真央
通称「声の女王様」。
片山に目隠しをさせ、昏睡状態になった片山の妻の声真似をして片山を追い詰めます。
後には片山の息子をも縛り上げました。
さらに電話越しで片山の義理の父の声真似をしておびき出すというターミネーターみたいなことまでしました。
渡辺直美
通称「唾液の女王様」。
声の女王様と手を組み、片山に唾を吐き続けるプレイをします。
片山は目隠しをされたまま声の女王様から見知った人の声を聞かされるので、知っている人(義理の父、上司、昏睡状態の妻、松本人志演じる警官)から唾をかけられているかのように感じます。
渡辺直美ならではのキレキレのダンスシーンも挿入されますが、劇場で笑っている人は皆無でした。
そして唾液の女王様は階段の手すりが壊れて落ちて、勝手に死んでしまいます。
片桐はいり
通称「丸呑みの女王様」。
片山の妻と、片山の義理の父を丸呑みしました。意味がわかりません。
~板尾の嫁登場~
終盤でSMクラブ「ボンデージ」の支配人(松尾スズキ)は、片山の息子に渡していたSM人形に備えてあったカメラを見て、「唾液の女王様」が殺されたと勘違いし、怒りをあらわにします。
そして「大日本人」のように、SMクラブの女王様たちが「唾液の女王様はどんな人でしたか?」というインタビューに答えるシーンが垂れ流されます。これ必要かなあ・・・
さらに現れたのは「板尾の嫁」を彷彿とさせる外国人のCEOでした。
演じていたのは女子プロレスラーのリンゼイ・ハワードさん。こんな役が来るなんて思っていなかったことでしょう。<「国際官能組織」のCEOだってさ
彼女はプールに何度も飛び込みます。
そして「やかんが沸騰する」というイメージをはさんで彼女の怒りをあらわします。ひどい演出だ。
~クライマックス~
CEOは片山のいる家(義理の父の家)の前に戦国武将のように居座り、全身タイツの忍者部隊のような集団を行進させます。
対する片山は声の女王様と丸呑みの女王様を銃殺しており、彼女たちが持っていた手榴弾を投げまくって応戦します。
このとき忍者集団は何もアクションをしません。ただただ手榴弾をくらって吹っ飛んでいるだけです。
さらにCEOが家の中に入り、片山を連れ出し、そして小屋に「お持ち帰り」をします。
小屋の中で何をしたかはわかりませんでしたが、小屋がいきりなり光り輝きだし、「歓喜の歌」が響きわたり、いままで片山がSMプレイをするたびに現れていた「波紋」が五線譜のように連なりメロディを奏でます。
そしてSMクラブの支配人はこう言うのです。
「Mは突き詰めるとSになる!
そうなったSは、それ以外のSを超える!
そしてSを身ごもる!」
そして片山が妊娠し、ハリウッドセレブのようにグラビア撮影をしている画で、「劇中劇映画」(後述)は幕を閉じます。
・・・えーここまで展開を書き連ねてみましたが、意味がわかりますでしょうか。
無理ですよね?自分も書いていて意味がわかりません。
その後は「100歳の監督」(後述)の笑顔を見せて、エンドロールでは字幕制作がチャド・マレーン担当であることが判明し、エンドロール後には映画を観終わってぐったりとうなだれている「関係者の5人」が映し出されます。自分も同じ気持ちです。
~劇中劇の意味~
この映画では唐突に、「100歳になる大御所監督の作品の試写会を観ている5人の男女」が劇場から退席して、話し合うシーンが挿入されます。
つまり、現実の観客が観ている映画を、作中の「映画の関係者」も観ているという劇中劇のスタンスがとらえているのです。
関係者は映画の内容について、こうつぶやきます。
「登場人物が『揺れた』とか『揺れていない』とか言っているけど、ありゃ伏線なのか?」「現代の日本のリアリティを表現していると監督はおっしゃっていました」
当然、そのとおりに登場人物の言う「揺れた?」という台詞は伏線として回収されません。
さらに劇中で「丸呑みの女王様」が片山の妻を丸呑みしたときは、以下の内容が話されます。
「もうダメ~!」(足早に劇場を出ながら)
「『丸呑みの女王』ってなんだよ!それSMプレイじゃないよね?」
「あれカットできないの?」
「後の展開にも関わってくるから、カットはできませんよね」
「監督自身はどうしても撮りたかったそうです」
「監督の前作ってなんだっけ?『風の又三郎』だっけ?テイストかわりすぎだろう!」
「おかしなことが多すぎるよ!まずSMクラブの『ボンテージ』の目的がわからないよ!」
「SMクラブにCEOがいるってどういうことだよ?」
「あの『ウォーターラウンジ』ってどこにあんの?所在地わからないよね?」
「なんで『声の女王様』は知らない奥さんの声を真似できるの?」
「監督によると、この映画は100歳を超えないとわからないそうです」
「じゃあ公開するなよ!」
「100歳を超える人が日本で何人いるんだよ、つーか100歳超えて劇場に観に来れる人がいるかよ!」
このときの自分の気持ち↓
(ノ`Д)ノ彡┻━┻∴<ちゃぶ台返し
おいこら待てや。
観客がツッコミたいことをさきにツッコンでもらって言い訳しているだけやないか。
もしくは「自虐」「ノリツッコミ」とも言い換えられるかもしれません。
そして映画は、100歳の髭面の監督が笑顔で映画を観終わるシーンで幕を閉じます。
えー、つまり監督は「お前らこうやって作品に文句ばっかり言うやろ?」「わかるやつだけついてこれればいいねん」「お前ら凡人は100歳超えないとわからんやろ(だからタイトルがR100)」「でも俺(監督)は笑顔でこの映画を観終えるもんね」と主張しているのです。
あまりに客をバカにしています。
~よかったところ~
面白かったところもあります。
途中で挟まれるカーチェイスシーンはしっかりしていました。
車に乗った片山の息子が唾液を出しまくっていて(なんで?)、追っ手がその唾液を手がかりに追跡しているというのもちょっと笑ってしまいました。
ダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンドの「サクセス」やゴンチチの「放課後の音楽室」をBGMとしたのも悪いセンスだとは思いませんでした。
片山の周りの人間が、女王様の存在に気づいているのか、気づいていないのかがわからないというのもよかったです。
寿司屋の客や、トイレにいた同僚は無言でしたが、しかめっつらをしていました。
「見て見ぬふり」をしていたのか、それとも気づいていないのか・・・「もし自分だったらどう思うか」を問いかけられているようでした。
松本人志演じる警官が、やりすぎなSMクラブのことで相談にしに来ている片山に「でもあなたそういうプレイを求めてクラブに行ったんでしょ?プロレスみたいなもんでしょ?プロレスの選手が暴力振るわれましたって訴えに来ますか?それとおんなじですよ。こちらとしては動きようがありませんって」と言うのも面白かったです。
実際にSMクラブは訴えづらいだろうな・・・(恥ずかしいし)
片山がコロッケを買って帰る途中で女王様に襲われ、片山は何もなかったふりをして帰るも、息子に「なにかあったの?コロッケぐちゃぐちゃだよ」と言われるシーンもよかったです。
片山はこのとき「そうだな、ぐちゃぐちゃだな」と言いながら息子を抱き寄せます。
「ぐちゃぐちゃ」になった非日常から抜け出したい、彼の悲哀があらわれていました。
~SとM~
片山がなぜSMクラブでプレイを求めたかといえば、妻を昏睡状態にさせてしまった自分を戒めたかったからだと思います。
片山の妻が遷延性意識障害になった理由は明かされませんでしたが、たとえ片山のせいでなくても、片山は自分を痛めつけたかったのではないでしょうか。
プレイを受けたあとに生じる「波紋」は片山の顔を歪ませます。そのときの彼は「M(マゾヒスト)」だったのでしょう。
しかし終盤で忍者部隊に手榴弾を投げまくったときは、いままでとは違うキツネのような顔に歪んでいました。そのときの彼は「S(サディスト)」になったのだと思います。
片山が妊娠するというラストは、SMクラブの支配人が言ったように「MこそがSを産む」ということを示しています。
~片山の息子~
唾液の女王様が死んだあと、特殊組織に属する男(渡部篤郎)が片山の息子の拘束道具を外すと、彼は逃げ出してしまいました。
ブリーフ姿の息子は車に乗ったお姉さんに「こんなところでうろちょろしていたら轢いちゃうわよ!」と言われ、顔が「波紋」のように歪みます。
息子はこのときに「M」になったのでしょう。
(Mになった)息子もまた、片山のグラビア撮影の場にいました。
息子は序盤に「弟がほしい」と片山に訴えており、その願いは歪んだ(意味不明な)形で叶えられることになったのです。
~テーマ?~
「人はとにかく物事を2つに分けたがる」と片山はナレーションで語っていました。
それはたとえば―「S」と「M」のように。
しかしほんの少しのことで、SかMかは簡単に変わってしまう。
映画はそう主張しているのかもしれません。
とりあえず自分もこの映画を駄作か否かのどちらかに分けたくなりました。
思い切り駄作だと思います。
否定的な意見↓
言い訳と居直りに終始した映画「R100」は松本人志の最後の悪あがきか|忍之閻魔帳
「う〇こ映画」 R100/ユーザーレビュー - Yahoo!映画
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肯定的な意見↓
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中立的な意見↓
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様々な意見↓
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「さや侍」のとても参考になる感想↓
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「ねえ…お願いだから自主制作でやって…」
と言いたくなりますよね。
まさかしんぼるよりつまらないとは
本当周りのスタッフは一言言えないのかね裸の王様に
最近邦画関係者にすごく聞きたくなる。ドラマは映画ではないし、映画もまたドラマではないです。
さや侍はコントです。映画ではありません。
それはTVやDVDでやればよろしい。
辛辣な言い方ですが、それほどまでにろくでもないです。
いい題材だったのになぁ…|( ̄3 ̄)|
着地点が悪過ぎた。
宇崎さんの「サクセス」がかかった辺りから失速。
もったいない(≧ε≦)
劇中劇のような言い訳も見苦しい(ノ><)ノ
結局「で??」ってなる。
なんか映画の常識とかセオリーとかをぶっ壊そうとして、
結局中途半端な出来に
CEOとの対決のあたりから、宗教的・アート的な「あぁ~こっちの方向へ行っちゃうか~」と感じました。
オチは聖母マリアの「処○受胎」ですか?(産まれたモンを見せてくれよ)
松本さんはチョイチョイ宗教的なモノを挟んできますね(苦)
「しんぼる」のオチも宗教的なものでしたが、まだ遊び心があって楽しめましたが…
これはだめですよ松本さん(`o´)
たぶん松本さん映画をウ○コかなんかだと思っているフシがありますね。
出したら流しておしまい(-o-;)
映画なんてそんなもん
たぶん自分の作った映画なんて観たくないのでしょう。
せっかくのR15+なのに
乳や本番ぐらいどんどん出したれよ(;`皿´)
余談ですが
寿司を潰すネタは
過去松ちゃんが番組のネタでやってました。
映画作りを脱税のためにしてるようにしか見えない。
また、潰した寿司を食べたり、死んだ人を美化する演出があったりというところに、何か気付くことはなかったのでしょうか。
ちなみに、私は松本人志氏が嫌いです。
嘘です。
おわかりになりますでしょうか。
ちゃんとメッセージを読み取れたし、
3倍返しみたいな思想より。
どれだけ平和的か?
SとMの関係で人間関係を振り返ったら、
幸せになれると思いますよ!
(>_<)
吉本などくたばれ! 黒沢監督に恥ずかしい
日本はここまで偽物まみれになってしまった 悲しい
それでも面白ければ別にいいんですけど
個人的に、この映画は単純にすごくつまんなかったので
解釈云々する気力も失せてます。
振り回されるのも自由だと思います
ビビって空気を読んで無言というリアクションしてたでしょう?
無言=ノーリアクションではありません。
ですし、女王様はもちろん見えています。
個人の解釈などでは無く、普通に考えて見えています。
批評する立場にあるのなら
最低限まともな鑑賞をした方がいいんじゃないでしょうか。
ご指摘感謝です。訂正します。
逃げるぐらいなら才能も無いのに監督なんてやらなきゃいいのにねぇ・・・。