夢をあきらめられない人に 映画「ばしゃ馬さんとビッグマウス」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:9/10
一言感想:心から応援して、本当にイタくて、そして涙を流して・・・
あらすじ
馬淵は脚本家志望の34歳。10年以上も脚本を書き続けているが、コンクールの一時審査にも通らない有様だった。
天童は口だけは達者な「自称天才脚本家」の28歳。彼は一度も脚本を書いたことがないのに、上から目線で他人の脚本を語るのだった・・・
人が映画を観る理由は、「観たことのないファンタジーを観たい」「素敵な恋愛を観たい」など、様々です。
この「ばしゃ馬さんとビッグマウス」はそういう「夢のある」作品群とは違います。
なにせこの映画が描いているのは、「シナリオコンクールに10年以上落ち続けている脚本家志望の女性の奮闘+α」なのですから。
この映画はとことん「夢にやぶれている人」を描いているのです。
人は生きているうちに、何かをしたい、成し遂げたいと思うことが多々ありますが、それが達成できるのはほんの一握りです。
本作は、そんな一握りからこぼれ落ちた大多数の人生を、とても丁寧な描写によって教えてくれるのです。
これはかつて夢に破れた方、これから夢を追いかけようとしている人にとって、きっと「糧」になるでしょう。
クスクス笑え、ときには登場人物を本気で応援する娯楽作でありながら、心を動かされっぱなしの青春映画でした。
本作の監督は、「さんかく」でコアな映画ファンを虜にした吉田恵輔です。
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監督の持ち味は、ほんの少しの台詞のおかしみや、登場人物の変化をじっくりと描いた、その繊細さにあります。
時に笑い、時に心が締め付けられそうになる・・・とても感情を刺激してくれるのです。
そして「イタさ」も満載です。
登場人物の行動や言動が本当にイタくて、「もうやめてあげて!」と言いたくなることのオンパレードでした。
これもある意味意地悪なんですが、それ以上の優しさも垣間見えました。
「ばしゃ馬さん」を演じた麻生久美子、「ビッグマウス」を演じた安田章大も素晴らしかったです。
麻生久美子はとことん不器用な(しかもちょっとめんどくさい)女性を、安田章大はとことん軽薄で頭の悪そうな青年を見事に演じています。
ばしゃ馬さんは、はじめはビッグマウスの「他人の批判をするだけで脚本を書かない」ことを嫌うのですが、徐々にこの関係が変わってくる過程にはニヤニヤが止まらず、時には涙を流してしまいました。
また、作中に登場する介護の現場やシナリオスクールの描写がリアルすぎて驚愕しました。
丁寧な取材と、作り手の実体験こそがこの映画を生んだのだと実感できました。
難点は、負けている人たちの日常をとことん描いている作品であるため、物語の起伏が少ないと感じてしまう可能性があることでしょうか。
(上映時間も約2時間と、この手の映画にしては長めです)
その日常にもほんのちょっとの変化がいくつも見えますし、伏線もしっかり使われていて、何より台詞の数々が抜群に面白いので、(個人的には)全く退屈することはありませんでした。
その「王道」から離れている話作りは優れている点ですが、人によっては受け入れられない短所でもあるでしょう。
何かに挫折したことがある人にとっては「あるある」の連続で、共感すること必死です。
しかし、人生をちゃんと計画通りに、順風満帆に送れている人にとっては共感しにくいでしょう(もっとも、そんな人はそれほどいないと思いますが)。
その意味では、少し観る人を選んでしまう作品かもしれません。
これは、映画でこそ作れる作品なのだと思います。
TVドラマでは、「史上最高の名医」「必ず勝訴をする弁護士」など、その道のプロフェッショナルや何かに秀でた人間が出てくることがとても多いです。
それは、視聴者に「面白い」と思われるために必要な要素であるからです。それがなければすぐに打ち切りになるか、その前に企画自体が通らないでしょう。
この「ばしゃ馬さんとビッグマウス」はそういったしがらみから離れています。
「ばしゃ馬さん」は秀でていることはなく、長年努力を続けたあげくに「才能がない」と自分を責めることまでします。
「ビッグマウス」はある意味もっとダメな、「口先だけ」の人間です。
これは監督が優しい目線で、そんな「負けた人」や「ダメな人」たちにエールを送っている、とても尊い作品でした。
残念ながら興行成績は芳しくないようですが、一人でも多くの方に観て欲しい傑作です。
キャッチコピーの「人生、シナリオ通りには進まない」に共感を覚えたのであれば、迷わず劇場に足を運ぶことをおすすめします。
以下、結末も含めてネタバレです 鑑賞後にご覧ください↓
~出会い~
ばしゃ馬さんの馬淵と、ビッグマウスの天童はシナリオスクールで出会います。
天童ははじめっからなれなれしく、「(シナリオスクールで見せた)馬淵さんの脚本やったら合格点あげれると思うけどな~」「コンクールの大賞くらいバシッと取らんとなー」「俺が映画の歴史を完結させてしまうかも」などと完全に上から目線でした。<よくこんなことが言えるなー
天堂はサインの練習をして、友人にあげようとして「くそいらねーよ!脚本書けよ!」と言われたりもします(当たり前だ)。
天童は馬淵に合コンを持ちかけますが、馬淵は興味がないとあしらいました。
しかし天童が「監督と知り合いやねん」というと、馬淵は目を輝かせるのです。ものすごくオチが読めます。
当然、監督とはただの現場監督の青年のことで、映画とはぜんぜん関係がないのでした。
この後に馬淵がふてくされて一人で店の外に出てシナリオを書いているのも、彼女らしく思えました。
「(映画関係者との)パイプ作りをしたい」と言っていた馬淵でしたが、脚本になるために必要でない人間関係は、彼女にとって煩わしいものでしかなかったのでしょうね。
~介護の話~
馬淵はシナリオスクールに来ていた映画監督・宇野に出会い、脚本を読んでくれるという約束を取り付けます。
このときに、これ見よがしに天童が二人の間に割り込むように通るのがおかしかったですね。たぶんわざとやってんな。
宇野は「介護の現場の取材とかもしてよ」とすすめていたので、馬淵は元彼の介護士・松尾にボランティアをさせてくれと頼みます。
馬淵はいきなり「(おばあさんの)話し相手になってくれ」と松尾に頼まれてドギマギします。
おばあさんのおむつを変えるとき、彼女は汚物を見て顔をゆがめました。
そんな馬淵もボランティアを続けるうちに次第に慣れていき、その経験を踏まえて書いた原稿を監督に持って行きます。
しかし、監督は「介護士の話じゃなく、恋愛ものっぽいなあ」「ちょっと暗いかなあ。今のご時世、暗い話なんか誰も観たくないでしょ」「ちょっと馬淵さんの合わないかもしれないなあ」と脚本を否定的に扱いました。
彼女はその後に原稿を直し続け、眠れていなかったために、居眠りしておばあさんから目を離してしまいます。
おばあさんは汚物を床になりすつけ、汚物がついた手で馬淵を殴りました。
松尾は床を掃除しながら、馬淵に脚本の感想を言います。
「こんなこと言っていいかわからないけど、俺にはあの脚本はきれいごとばかりで、薄っぺらいものにしか感じなかった。これが現実だよ。俺たちは神様じゃないし、低い給料にも不満ばっかりだし、毎日逃げ出したいと思っているんだ」
それを聞いて、馬淵は目にいっぱいの涙を浮かべました。
監督からは「暗い話」だと、元恋人からは「薄っぺらくて現実を見れていないと」と言われるのです。
しかも、その原稿をもっといいものにしようと、直している最中であったのに・・・
その二律背反に悩む彼女の苦しみが、痛くて、痛くて、仕方がありませんでした。
思えば馬淵は「偉いなあ、こんなこと毎日できるんだもん」と松尾に仕事の感想を言って、「偉くてなんてないよ、『こんなこと』なんて思わないし」と返されていました。
馬淵は確かに、少しの期間のボランティア程度では「現実」が見えていなかったのかもしれません。
~あの脚本家は知り合い?~
本作には大きな謎があります。
それは、馬淵が映画監督・宇野に原稿が自分にあわないと言われたあとの、エレベーターでの出来事です。
このとき馬淵は、人気脚本家の「茂木君」と出会い、「茂木君じゃん!すごいよね~最近の作品茂木君ばっかり出てくるじゃん、覚えていない?10年前、中野のシナリオ講座で一緒だったよね」と言いました。
しかし茂木君は全く馬淵のことを覚えていない様子でした。
馬淵と茂木は本当に同じシナリオ講座にいた顔見知りだったのかもしれません。
しかし、自分にはこれは馬淵の嘘のように思えました。
自分とは縁もゆかりもない人気脚本家を見かけて、「自分と同じ学校の出身だったのに、この違いかよ」と、自分を自虐するようなもの悲しさを感じました。
そういえば、後に天童が、馬淵の友人・マツキヨに聞いた「一発監督にやられちゃったとか?」の真偽も不明ですね。
マツキヨの顔を見ると、本当に「枕営業」のようなことをやらされていたのかもしれません。
~夢をあきらめるつらさ~
馬淵は松尾の部屋で、涙ながらに訴えます。
「才能ないのに、バカみたい。夢を見続けていたらいつかはかなうって思っていた。
でもあきらめられない。抱いちゃった夢って、どうやって終わりにしていいかわかんないんだもん。
松尾君は未練もなくしっかり生きているからすごいよ。
夢を叶えることが難しいことはわかっていたけど、夢をあきらめるってこんなに難しいの?
今日までがんばれたのは、それでしか生きられなかったからなのに・・・」
松尾は馬淵にキスをして、押し倒そうとしますが「また好きになっちゃうけどになっちゃうけど、いいの?」と聞かれ、引き下がってしまいます。
馬淵が「辛くなるとすぐに松尾君に頼って、迷惑だよね」と言ったときに松尾はそれを否定しましたが、「うそっばかり、それで別れたくせに」と言ったときには否定をしませんでした。
松尾はとても優しい男性ですが、彼にとって馬淵は「面倒くさい女」でもあったのでしょう。
そのことがわかっている馬淵が、よりいっそう悲しく思えました。
~ビッグマウスの成長~
馬淵は未だ原稿を書かず、相変わらずビッグマウスばかりの天童に声を荒らげます。
「あんたこそ口だけで、現実見えていないわよ!私に才能がないなんて、あんたに言われなくてもわかっている!あんたも特別な人間だって思いこんでいるだけよ!偉そうに言ってんじゃねえ、まずは書け、見せろ、それから言え!」
天童はこれまでに旅館に泊まって自分を追い込もうともしていましたが、結局「すごいテーマ」「神の領域」などということしか書けませんでした。<内容がこれじゃあ・・・
あと天童が「(脚本を書く事から)逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ!」と言っていたのは、新世紀エヴァンゲリオンのネタですね。
しかし馬淵からの叱咤を受けた天童は、タイトルのところに「天才と思いこんでいる無能な男」と書きます。
天童は「いろいろ言ってくれて目が覚めた、書こうと思っている」と馬淵に電話をかけます。
そして天童は締め切りぎりぎりになって、原稿を提出させます。
その原稿は、馬淵からも面白いと言ってもらえました。
天童はこのとき「いや自信はあったんやけど、不安もあったしよかった~」と、少しビッグマウスっぷりが和らいだようでした。
このときは天童のほうがが馬淵により救われているような立場ですが、この2人はお互いに支え合うようになっていきます。
~成功をする友人~
胸が痛くて仕方がなかったのは、馬淵の友人の「マツキヨ」のエピソードです。
彼女はシナリオを書くことをはじめたばかりなのに、「ボーイズラブ」を撮っている監督に気に入られ、映画の脚本家として働くことになっていたのです。
後に彼女は「映画をつくるのって大変よ、みんなが勝手なことばかり言うんだもん。でもまあ、現場で脚本を形にしていくっていう充実感はあるかな」とほかの受講生に自慢していました。まるで、馬淵に聞こえるような声量でで・・・
マツキヨは馬淵を見下したような目で一瞥し、たまらず馬淵はその場から逃げ出してしまいます。
これだけだったらよかったのですが、その後の結婚式ではもう泣くしかありませんでした。
結婚式で、馬淵は友人たちの中で唯一の「結婚していない」人間になっていました。
当然友人たちは「まだ脚本家を続けているの?」「どんな作品を書いているの?」と聞きます。
ここで馬淵は、見栄のために「ボ・・・・ボーイズラブとか、小さいヤツだよ」と言ってしまうのです。
10年もシナリオを書き続けた自分よりも、書き始めたばかりの友人が先に脚本の仕事に先に取りかかったのが、馬淵はうらやましくてしかたがなかったのでしょう。
(馬淵は、序盤に22歳の若造がシナリオ大賞を取ったことが気に入らないと、目の前のマツキヨに言っていました)
馬淵は仕事が決まったばかりのマツキヨに「私は・・・ボーイズラブとか、ちょっと無理かな、興味がないかな」と言っていたのに・・・
こんなに悲しい「見栄」は、今まで見たことがありませんでした。
~オズの魔法使い~
間違っていたら申し訳ないのですが、馬淵は結婚式の出し物として、オズの魔法使いの「ブリキの人形」を演じていましたよね?(前後に着替えるシーンがないので、あれが馬淵であるか判断がつかない)
ブリキの人形は、オズの魔法使いの物語の中では「心」を入れ忘れられていました。
楽しんでもらうための出し物をしながらも、彼女は「心ここにあらず」だったのかもしれませんね。
(歌いだしを間違えてしまうし)
~ダメじゃない~
馬淵は結婚式のあと、ヤケクソ気味で天童に電話します。
このとき、天童はシナリオコンクールの落選を知ったばかりでした。
天童はこう言います。
「落選するのがこんなにキツいとは思わなんだわ。馬淵さんは、こんな辛いことを、何年も経験してきたんやな。失礼なこといっぱい言ってしまって本当すんません。あらためて、尊敬するわ」
馬淵はこう返します。
「私なんか、今まで夢にしがみついているだけだよ。天童君の言ったこと、的を得ているとも思っていたもん。私なんか、才能なくて、ぜんぜんダメなんだから」
天童は、今までのビッグマウスぶりが嘘のように、こう言います。
「馬淵さんがおらんかったら、俺なんて一生う○こやったわ。馬淵さんはやさしいし、きれいやし、ぜんぜんダメやないよ」
馬淵は「そんなこと言ってくれるの、天童君だけだよ」と、また涙を流しました。
天童はこの前にも、馬淵に「(自分の脚本を)ほめてくれて嬉しかったわ。馬淵さん、本当にいい人やなあ」と言っていました。
天童はビッグマウスではあったけど、とことん純粋な男です。
このときは、馬淵を救ってくれました。
~2人は似たもの同士~
ばしゃ馬さんの馬淵と、ビッグマウスの天童は実は似たもの同士です。
①実は馬淵も昔はビッグマウスだった
馬淵は元恋人に天童の話をしたときに、「昔は君も自分は天才だ、とか自信満々だったよ」と言われ、「若かったんでしょ」と答えました。
②作品のどっかをパクっていながら(?)、パクっていないと主張する
天童は、馬淵の脚本にもあった「コピーバンドの件」を書いていましたが、自分で考えたものだと言い張ります。
馬淵は、天童が飲み屋で言った「ジャマイカで立ちションする男の話(意味不明)」そのままのエピソードを作品に書いていたので、天童に「こんなもん被らへんやろ!」とツッコまれていました。
③プロポーズ(仮)の仕方をパクる
天童は、「脚本の話やけどな、もし仮にやで、俺が馬淵さんとつき合いたいって言ったらどうする?」と馬淵に言います。
馬淵は、元恋人に「あくまでシナリオの話なんだけどね、もう一度(あなたと)やり直したいって言ったら、どうする?」と天童と同じようなプロポーズをしました。
②は本当にパクったものかどうかはわかりませんが、③では明らかに馬淵が天童の方法をパクっています。
天童が飲み会で脚本家を目指した理由を聞かれ、「学芸会で台本を書くことになり、いろんな映画をパクりまくって『NEW桃太郎』を完成させた」ことを自慢したとき、馬淵はまた泣いていました。
馬淵が脚本家を目指した理由は明らかにされませんでしたが、おそらく馬淵にも天童と同じような思い出があったのだと思います。
さらに言えば、以下のことも共通しています。
④優しい性格をしている
天童は自身の母親がソープで働いていて、そのせいで子どもの時にいじめられたことを馬淵に言うと、彼女は今までに「マザコン」とイジっていた態度が一変します。とても悲しげな表情を浮かべました。
このとき天童は「冗談やって!」と否定するのです。
お互いが、他人が悲しい思いをしていることに敏感だったのでしょう。
天童が、カラオケ店で馬淵への応援歌を歌ってくれるシーンも大好きです。
天童は「ラ」か「ル」だけで歌っているので、「歌詞はないのかよ!」ツッコミたくなりますね。
⑤親がなんだかんだで自身の子どもを応援している
馬淵の両親は娘の見合いを薦めますが、見送りのときには「頑張れよ」と言ってくれます。
天童の母親は本当にソープの受付として働いていましたが、天童が「取材」で店に訪れたときは「昔から、やればできるもんやからね」と励ましてくれました。
天童の母親が「みかん食べるか?」と聞き、天童が「たばことみかん一緒に食えるか!」とツッコミを入れるのも大好きです。
ああ、こんな関係の親子なんだなあとわかる、とてもほほえましいシーンでした。
~役者の夢~
元恋人・松尾は、馬淵にひとつだけ嘘をついていたと言います。
それは「役者に未練がめちゃくちゃあるよ、毎日のように思っている」ということでした。
松尾は以前に「未練がなく、今の仕事を誇りに思っている」と言っていましたが、それは本心ではなかったのです。
馬淵が「でも、やらないんでしょ?」と聞くと、松尾は「今の仕事がんばるよ」と笑いました。
松尾もまた、「あきらめることの難しさ」を知っていた人間だったのです。
~これが最後~
馬淵は「これで落選したら脚本家をあきらめる」という決意の元、最後のコンクールのための脚本を執筆します。
同時に天童も、母親にアドバイスをもらいながら脚本を書き上げました。
結果は・・・
授賞式に、正装で参加する馬淵の姿が見えます。
しかし、大賞に選ばれたのはマツキヨでした。
マツキヨは、自身が脚本を手がけていたボーイズラブの映画が自然消滅したときの悔しさをバネに、この作品を書いたと宣います。
辛い経験をして、そのことがあってこその脚本を書いたのは、馬淵も一緒なのに・・・
しかしこのときの馬淵は、友人だったマツキヨが受賞をする姿を見て、悔しがる表情をしていません。<泣きはらしたあとの表情にも思える・・・
笑っていないようにも見えましたが、満足したかのような穏やかな笑顔も垣間見ることができました。
~実体験を脚本に~
馬淵が最後に執筆した脚本の内容は「自分のこと」でした。
馬淵は自分の実体験をもとに、脚本を執筆したのです。
この映画のはじまりは、馬淵が脚本をパソコンで書き、そのとおりに現実の世界が動く(コンクールの一時審査にも受からない)、というシーンでした。
この映画は、実は「馬淵の書いた脚本」から生み出されたものだったのかもしれません。
~ラスト~
映画のラストでは、馬淵と天童は川沿いで「別れの挨拶」をします。<川辺のふたり
馬淵は最後のコンクールでも審査に通らなかったため、荷物をまとめて故郷に帰ることを告げます。
天童もまた、落選をしていました。
以下、彼らの会話を書き出してみます。
天童「本当にやめてしまうん?夢あきらめへんかったら、どうなるかわからんよ」
馬淵「夢をかなえられる人もいるけど、その何倍もあきらめている人がいるよ。私はかなえられる側の人間だと思っていたけど、違ったみたい。でも、なんかすっきりしているの。そう思える作品を作って、そして結果がでたんだから。天童君、旅館に泊まりにきなよ、彼女でも作ってさ」
天童「これからどうするん」
馬淵「旅館の仕事もするけど、介護の勉強もしようと思う」
天童「また、ばしゃ馬みたいになるん?」
馬淵「(笑いながら)天童君も頑張りなよ、私なんかよりずっと才能あるんだから」
天童「あのさ、シナリオの参考に、ちょっと聞きたいんやけど。あくまでもシナリオの参考にやで。俺がもし、つきあいへんって言ったら、どうする?」
馬淵「ごめん、ちょっとないかな。でもうれしいよ、ありがとう」
天童「いやいや(焦りながら)あくまでも、シナリオの参考やからな。あと、次の企画考えたわ。夢をかなえて、好きな女を迎えに行くっていう話や」
馬淵「寒っ」
そう言って、馬淵は顔に笑顔を浮かべ、天童に背を向けて歩き始めました。
そのとき、天童が取材をしたいと言ったホームレスのおじいさんはおしっこをしていて、川のすぐそばでは子どもたちがサッカーをしていました。
ホームレスのおじいさんは、何かの夢をおいかけて「こうなってしまった」人間なのだと思います。
サッカーをしている子どもたちは「これから努力をする者」の象徴なのでしょう。
今の馬淵は、そのどちらでもありません。
しかし、夢に破れたばかりです。
馬淵にこの先に幸せが訪れるのでしょうか。
また、彼女はばしゃ馬のようにがんばって、幸せを見つけるのかもしれません。
でもやはり、天童のほうがばしゃ馬のように頑張り、いつか夢をかなえて馬淵を迎えに行く未来を想像したくなります。
なにせ、はじめて馬淵が天童からプロポーズ(仮)をされたとき、彼女は「ありえない」と言っていましたが、最後には「ちょっとないかな」に変わっていたのですから。
馬淵はラストシーンで穏やかな笑顔を見せていました。
しかし、内心では元恋人が言ったように、めちゃくちゃ未練があったに違いありません。
それでも、彼女の笑顔には、未来への希望を感じられずにはいられません。
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映画にも感動しましたが、カゲヒナタさんのこのレビューでより一層この映画のメッセージが強く伝わってきたような感じがします。
>
> 映画にも感動しましたが、カゲヒナタさんのこのレビューでより一層この映画のメッセージが強く伝わってきたような感じがします。
ありがとうございます。
役者を目指されているのですね。
この映画のイタさが、自分も含めて胸に突き刺さりそうになるとは思いますが、ぜひ前向きに、目指してください。
面白かったです。
ほろ苦いけど暖かいストーリーでした。
見る人によって感情移入する人が違うと思うけど、最後には成長したり希望が見えたり自分の出せる力を出しきったりで前向きな気持ちになれると思います。
オープニングの落選して泣いてるときに悲しげな音楽が流れてると思ったら激しいのが流れてきて実は馬淵の音楽プレーヤーだったと言うのも面白かったです。
ばしゃ馬さん~が面白かったので、色々なレビューを見ていたのですが、この記事のラストを読んで胸がいっぱいになりました……!天童と馬淵の幸せを祈らずにはいられません。
他の記事もすごく楽しく読ませていただきました。
私も岩井俊二が大好きで、映画のブログを書いているのですが、リンク貼らせていただいても良いですか?