悪いことばかりじゃない 映画版「ペコロスの母に会いに行く」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:7/10
一言感想:「認知症ギャグ」が面白すぎる!
あらすじ
雄一(岩松了)は、漫画を描いたり、音楽活動をしながら、サラリーマンとして長崎で働いていた。
彼の愛称は「ペコロス」。雄一は見事なハゲ頭を持っており、まるでそれは小さなタマネギを意味する「ペコロス」のようであったことから、この名前がついたのだ。
雄一は、父の死を契機に認知症を発症した母みつえ(赤木春恵)の面倒をみていたが、その症状は次第に悪化をしていく。
岡野雄一による同名のコミックエッセイの映画化作品です。
![]() | 岡野 雄一 1260円 powered by yasuikamo |
原作は可愛く、笑えて、そしてほろりと涙を流せる素晴らしいエッセイでした。
はじめは自費出版で世に出されたにも関わらず、地元の長崎でベストセラーとなり、amazonのレビューでも絶賛の声が相次いでいます。
そしてこの映画版でも、原作のメッセージ性、その面白さが十二分に受け継がれていました。
その面白さの理由のひとつが、認知症の方の行動を明るく笑えるギャグにしていることです。
認知症は一度発症してしまうと、その症状は悪化をしていくか、よくても横ばいになるだけで、奇麗に治ったりするものではありません。
実際に認知症の行動で悩まされている方にとって、そのことはとても重く、苦しいものでしょう。
「認知症の行動を笑いに変えるなんて不謹慎だ」と思われる方もいるかもしれません。
しかし本作にそんな心配は無用です。
「勘違い」や「誇張」などのコメディのツボはしっかりと押さえられています。
認知症によって起こる数々の事件、そのシチュエーションは気兼ねなく笑えます。
しかも原作よりもグレードアップしているギャグもありました。
原作を読んだ方には「あ、あのシーンだ」と思えますし、「こうくるか!」とより笑えると思います。
そして本作は、「ボケるのも、悪かことばかりじゃないかもしれん」というメッセージを送ってくれます。
それは決して強がりではなく、作品を通じて「そうかもしれないなあ」としみじみ思えるものです。
実際に認知症で苦しんでいる人にとって、どれほど勇気づけられることばでしょうか。
それだけで、この作品が好きになってしまうのです。
キャストも豪華で、ベテランの岩松了、赤木春恵は特に自然な演技をみせています。
さらに主人公のハゲ仲間(笑)として温水洋一、竹中直人までもが登場します。
役者のファンにとっても見所がある作品でしょう。
難点もあります。
ひとつが、クライマックスの展開が原作を読んでいない方には少し伝わりにくいことです。
これは映画オリジナルの要素なのですが、個人的にはあまり乗り切れませんでした。
また、肝心な場面で協賛している会社の広告がデカデカと映り込むのがかなり興ざめです。
そこでアピールしても、いい広告にならないと思うのだけどなあ・・・
どちらかと言えばクスクスと笑えるギャグのほうがメインの作品なので、「大号泣の感動」を期待すると少し肩すかしかもしれません。
それでも、本作は老若男女に受け入れられる、心優しいヒューマンドラマとして存分におすすめします。
観た後は親孝行をしたくて仕方がなくなってしまうでしょう。
落ち込んでいるときに観ると、ちょっと前向きになれる作品であるとも思いますよ。
エンドロールの途中から「おまけ」がありますので、ぜひ最後までご覧ください。
以下、結末も含めてネタバレです 鑑賞後にご覧ください↓ 少しだけ原作の内容にもふれているのでご注意を。はじめに下ネタがあります。
〜原作がアニメに!〜
映画のオープニングで、原作の可愛い絵柄がアニメーションとして動くのが嬉しくて仕方がありませんでした。
雄一とその家族のプロフィール、緑内障になった母・みつえの目の中に「小さな箱があったこと」(原作でも描かれています)、そして雄一がエロ本を読んだあとにズボンをおろしていることが見つかったときのエピソードが盛り込まれます。
原作ではオ○○ーということばが思い切り使われていたのですが、アニメでは周りにあるティッシュやエロ本で「それとなく」わかるようになっているのがよかったですね。
みつえが認知症になってから「またそんな小さきチ○コだして」と言って、雄一が「覚えていなくてもいいことばっかり覚えている」としみじみと口にしたのにも笑いました。
男にしかわからないことかもしれませんが、それはマジで忘れてほしいですよね。
ちなみに原作では、大人になってでかくなった雄一のチ○コを見て、みつえが「太お(大きく)なって〜」と涙を流すシーンがあります。
〜認知症のギャグの数々〜
・オレオレ詐欺
のっけから電話で示談にするための金を振り込んでくれと言われるみつえですが、受話器をそのまま放り出した上に、すぐに忘れてしまうので詐欺が成立しません。
オレオレ詐欺をする輩にとって、認知症の人は天敵なのかもしれませんね。
・悪者にする〜
受話器を戻さないこと、トイレを流さないことを注意されても、「すぐ親を悪者にする〜」とみつえは言います。
本人に悪気はないわけですし、確かに悪者とは言えませんよね。
・悪徳業者お断り
雄一が出かける前に、みつえに「何も買わないでよ!」と忠告したために、家にやってきた雄一の弟への第一声が「な〜んも買わん」でした。弟がその後一瞬帰ろうとしたのも笑いました。
ちなみに原作ではいろんな健康器具を買ってしまっています。
・いつ来たの?
雄一の弟は死んだみつえの夫に線香をあげていましたが、みつえはすぐに来たことを忘れてしまいます。
そのため「ひえ〜びっくりした、いつ来たんかいな!」と叫んでしまうのでした。
孫のまさきにも「いつ東京から戻って来たん?」と質問して、「もう来てから一週間だよ」と返されていましたね。
原作では、「来たような気がする」ために、みつえが「デジャブすごか!」とつぶやくシーンがあります。
・よごれはっちょー
これは長崎に伝わる、子どもを怒るときの「脅し」に使われる化け物のことです。
雄一は会社から帰る車の中でこのよごれはっちょーのことを思い出して怖がります。
そして雄一が駐車場に車を止めようとしたとき・・・そこで待ち構えていた母親の顔がバックライトで照らされ、まるでよごれはっちょーのような風貌になってしまうのでした。
実はよごれはっちょーの要素は映画オリジナルです。
原作でも「駐車場で待っていたために危うく轢いてしまうところだった」というシーンはあったのですが、どちらかと言えば泣けるエピソードでした。
こういう要素を付け加えて、笑えるシーンに変えるとは恐れ入りました。
・子泣き爺
雄一はよごれはっちょー(みつえ)に付き添ったために、近所の小学生に「よごれはっちょーを子泣き爺が迎えに来たんだってー!」と噂をされます。もちろん映画オリジナルです。
・汚れた下着を大量にタンスの中にしまっちゃう
雄一もまさきも、それを見て腰を抜かす(足がよろけて)しまいます。認知症の典型的な行動だそうです。
・患者に間違われる雄一
老人ホームに子どものまさきとの2人だけで来たために、雄一は患者に間違われ、介護士に3人がかりで連れて行かれてしまうのでした。まさきは止めろよ。
原作では、雄一が車いすに乗って寝てしまったために患者に間違われていました。
・介護士のおっ○いを揉む患者
揉む相手は選んでいます(美人で若い子限定)。
・目を離した隙に、幼稚園児の列に割り込んじゃう
親についていく子カルガモみたいですね。
・ホームから雄一が去るとき、みつえも手を降りながら車に乗ろうとする
介護士は「いやいやいや!」とツッコミを入れます。でも少し切ないシーンですね。
・フリーター
みつえは息子が会社をクビになったあとのフリーライターの仕事をこう呼びます。それは略しちゃだめだ。
・2人の妹
2人の妹がみつえのところに来て、帰りの車の中で「あれはぼけとるね〜」「ぼけとるばい〜」としか言わないことに、雄一は「こん人らも(ボケが)きとるな」と心の中で思いました。
2人の妹は、後のランタンフェスティバルでもどっかに勝手に行っていました。
・ハゲ頭をさわって息子だとわかる
みつえはホームに会いに来た雄一のことを「悪い人が来た〜」と拒絶してしまいます。
しかし雄一が帽子をはずし、ハゲ頭をみつえに触らせると、「なんだい雄一かえ」と言ってくれるのでした。<息子だと確かめられます。
みつえが後に介護士のハゲ頭を障り、介護士が「ありがとう」と言ってくれるのもよかったですね。
原作で雄一は「この歳で親からなでられるのも、褒美みたいで悪くない」と言っていました。
〜ハゲ頭のおかげ〜
雄一は、同じく認知症の母親に会いに来た本田(竹中直人)に「忘れられるのがこんなにつらいとは・・・」とつぶやきます。
みつえは次第に雄一のことを忘れていき、ハゲ頭をさわることすらままならない状態になってしまったのです。
本田の母は全く息子のことを思い出せずにいました。
しかし、本田の母は、本田がわかりやすすぎるカツラを外したために、昔お世話になった医者であると認識できます。
みつえにとって雄一=ハゲ頭だったように、本田の母にとってはお世話になったお医者さん=ハゲ頭だったのです。
カツラネタは、本田がしょっちゅうさわっていたり、バーで人にぶつかって微妙に回ったり、同じくハゲ頭のバーの店主(温水洋一)にガン見されたり、コペンハーゲンという地名に反応したりでなかなかしつこかったですね。嫌いじゃないけど。
本田がハゲ頭を見せたときの雄一の微妙すぎる表情には大笑いしました。
雄一と本田の共通点はそれだけではありません。
両者とも大酒飲みの父親を持っており、それでも父親のことが大好きだったのです。
本田は「母は大酒飲みの父のことなんかタイプじゃなかったでしょう」と嘆いていました。
しかし後に、母の好きな人が「高校のあこがれの先輩」であり、それが本田の父のことを指しているとわかったのもよかったです。
〜ちえこの手紙〜
ちえこはみつえの子どもの頃の大親友です。
ちこえは原爆が落とされた長崎にいたために、みつえはとても心配に思っていました。
みつえは大人になったちえこに出会いますが、ちえこはみつえを見て走り去ってしまいます。
みつえはちえこに手紙を渡しますが、なかなか返事が帰ってくることはありませんでした。
みつえと幼いころ雄一は、埠頭に立ちます。
そのとき、雄一は不思議な体験をしました。
なぜそのときに配達人がみつえを見つけることができたのかはわからないのですが、ついにちえこからの手紙が届いたのです。
手紙の内容は「どうしても手紙を出せなくて、ごめん」と謝罪が書かれたものでした。
雄一は「あの手紙がこなかったら、おいはこの世におらんかったかもしれんなあ」とつぶやきます。
しかしこのときに、すでにちえこは原爆の後遺症により死んでしまっていました。
知り合いの女将が枕の下で見つけたのを届けたために、みつえと雄一は生きることができたのです。
原作でも埠頭に立ち、「生きよう」と決意をするシーンはあります。
しかしちえこからの手紙は、映画のオリジナル要素です。
ちえこがみつえにとって、どれだけ大切な存在だったかがわかる、尊いシーンでした。
〜野暮な不満点〜
雄一の父親(加瀬亮)が酒に酔って暴れる描写が深刻に描かれていたのは、原作を読んだ方にとっては賛否あるかもしれません。
原作ではさらっと描かれ、ちょっと笑える(しかしちょっと切ない)ように描かれていました。
雄一が営業の仕事をさぼっているのも不愉快に思う人が多いかもしれません。
クビになった雄一が本田に「同じ!無職!」と握手を求めるのには笑いました。
ボートレーサー志望の若者たちが、選考に落ちた理由を言っていくという「はげます会」のシーンの意味がよくわかりません。
ここで志茂田景樹がしれっと登場したのは笑ったけれど・・・
クライマックスで「ソニー生命保険」のネオン看板が大写しになるのはどうかと・・・カメラのピントがバッチリあって、それからピントをずらしているので明らかに「強調」しています。
「ここで宣伝かよ!」と思わせるのはやめてほしいものです。
また、まさきは可愛い介護士の「さと」に見とれていましたが、その恋愛の進展が描かれていないのは残念です。
クライマックスでさとは「二手に分かれよう」とまさきに言われますが、さとはそれ以上映画には登場しなくなってしまいます。
個人的には、原作にあった死んだはずの夫やちえこが、みつえに会いにくるシーンがなかったのが残念です。
これのために、クライマックスの橋での記念撮影のシーンが少し唐突に思えてしまいます。
〜橋での記念撮影〜
クライマックスの長崎ランタンフェスティバルで、みつえは何かを思い出したかのように歩き出しました。
みつえは思い出の場所であった眼鏡橋に行っていました。
その橋で、みつえは死んだはずの夫、ちえこ、そして子どものころの自分と出会います。
まさきはそのときに「記念撮影」をしました。
当然、その写真にはみつえしか映っていません。
しかし、みつえ自身は記念撮影をした者たちと再会を果たしていたのです。
雄一はそのことを感覚的に理解し、「よかったなあ」とつぶやいたのでしょう。
本作のメッセージである「ボケるのも、悪かことばかりじゃないかもしれん」ということも、ここに集約されています。
みつえは認知症になったことにより、愛した者たちと再び巡り会うことができたのですから。
〜会いに行く〜
原作のあとがきには「私は母親を施設に預けているので、介護ということばは縁遠く、恐れ多いことばです」ということが書かれています。
タイトルにある「会いに行く」には、そんな作者の謙遜の気持ちが込められています。
原作には詩人の伊藤比呂美さんのコラムが収録されており、謙遜する岡野雄一さんをはげますことばが書かれているので、ぜひ読んでほしいです。
〜ラスト〜
最後にみつえは、自分と同じように車いす(ベビーカー)に乗った赤ちゃんとすれ違います。
原作では「命がふたつならび、すれ違う。人生の重荷を降ろした笑顔と、人生の重荷をまだ知らない笑顔の、なんとよく似たことか」という作者の思いが語られていました。
エンドロールでは撮影の様子が流れます。
最後に映し出されたのは原作者の岡野雄一が、その母みつえに頭を撫でられている写真でした。
人生の最後にボケたとしても、愛する者が会いに来てくれて、笑顔でいれたらそれでいい—
そう思える、とても優しい物語でした。
訂正します。変換間違いは本当多くてすみません。
「認知症ギャグ」が面白すぎる!という一言感想でしたが、
自分の場合は認知症を混ぜたやりとりが苦手でした。
デフォルメされているとは分かっていても、笑えなかったです。
あの映画を笑ってみるにはある程度の器の大きさが必要なのかもしれないと
見終わってから思いました。
主人公のペコロスも、自分自身に何があろうと、認知症の母と向き合う器量があったからこそ、ラストの眼鏡橋のシーンに物語はつながったのだと自分では解釈しています。
最後に、
初めてコメント書かせて頂きました。
映画レビューいつも楽しみにしてます。
コメントありがとうございます。
現実の認知症の方の行動はもっと大変なものですし、zawawaさんのような感じ方も当然だと思います。
個人的には、この映画はそういう方にも笑ってほしいという意思を感じました。
「母親と向き合う器量があった」ということもそのとおりだと思います。
原作は本当におすすめです。
可愛い絵柄なので、より抵抗はないかと思いますよ。