赦しの宗教 映画「あなたを抱きしめる日まで」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:7/10
一言感想:少しずつ見える、感動
あらすじ
1952年のアイルランド。フィロミナ(ソフィー・ケネディ・クラーク)は10代で妊娠したことから強引に修道院に入れられ、過酷な暮らしをした上に息子と引き離されてしまう。
50年後、イギリスで娘と暮らしながら息子のことを考えていたフィロミナ(ジュディ・デンチ)は、その消息を捜すために元ジャーナリストのマーティン(スティーブ・クーガン)に協力をあおぐ。
本作はいわゆる「実話もの」。ノンフィクション本「The Lost Child of Philomena Lee」を原作とした映画です。
![]() | マーティン・シックススミス 1050円 powered by yasuikamo |
物語は少女が男と関係を持ち、妊娠をしてまったことからはじまります。
当時のアイルランドはカトリックの規律が厳しく、未婚の女性の妊娠や姦淫は御法度とされていました。
そうした少女たちは、マグダレンという修道院に強制的に入れられた上に過酷な労働を強いられたのです。
参考→<アイルランド、マグダレン修道院での著しい人権侵害に政府が関わっていたと認められた>
しかも、主人公の子どもは勝手に養子に出されてしまいます。
神の子を自称したキリスト教者が、犯罪を行っているのです。
こんな人権を無視したことがあってのいいのか、と憤りを隠せません。
当時の修道院の姿を描いた映画に「マクダレンの祈り」があります。
![]() | ノーラ=ジェーン・ヌーン 3990円 powered by yasuikamo |
いとこに強姦された少女ですら、「穢れ」と見なされ奴隷のような生活を送るのです。
耳に入れるだけで不快に思ってしまう事実ですが、知る必要のある歴史でしょう。
さて、そのような悪しき歴史を描いた本作なので、重〜い気が滅入る映画なのかな?と思われるところですが、そんなことはありません。本作はコメディ映画と言っていいほど、クスクス笑えるシーンも満載なのです。
何が笑えるって、主人公のフィロミナの言動です。
辛い経験を経ているにも関わらずいつもユーモアを忘れず、さらには下ネタにだって寛容だったりします。
そんな肝っ玉を持つ彼女を演じたのは、超大御所のジュディ・デンチ。
「007」シリーズでは厳格な女性を演じていた彼女ですが、今回はなんというかすごく可愛いです。
おばあちゃんに萌えたい方は、それだけでも観る価値があります。
ミステリー映画としてもなかなか手が込んでいます。
修道院にまつわる謎だけでなく、息子がどのような人生を歩んできたのか、今息子はどうしいているのかが、ゆっくりと明かされてくという、「少しずつ」の真実の提示方法には先が気になる面白さがあります。
宗教映画としても抜群に面白いです。
世界中に信者があるカトリックにも、無宗教者からすればおかしなところ、寛容できないところもあります。
本作は、キリスト教徒、無宗教者それぞれの立場で、その事実を見つめています。
キリスト教徒はもちろん、無宗教者にとっても共感のできる内容でしょう。
「あなたを抱きしめる日まで」という邦題には「感動巨編」な印象もありますが、本編は大きな感動を狙わない、極めて地味な作品です。
しかし、台詞の端々にたくさんの想いがつまっており、上映時間がわずか98分というのが信じられないほどの「濃さ」を感じられるのではないでしょうか。
複雑な人間の感情を繊細に描く、卓越したドラマがそこにはありました。
主に描かれるのは、母親の息子への想いです。
子を持つお母さんに、ぜひ観てほしい作品です。
以下、結末も含めてネタバレです 鑑賞後にご覧ください↓
〜フィロミナの大事なこと〜
フィロミナはいつも息子・アンソニーのことを考える子煩悩でした。
彼女はアメリカに渡ったあと、ジャーナリストのマーティンに自分の心配ごとを告白します。
「アンソニーが刑務所に入っていたり、戦死をしていたらどうしよう?もし肥満だったら?だってアメリカは料理の量がすごいもの!」と。<肥満だったらどうしよう!
うんうん、気持ちはわかります。アメリカ人は油ギットギトの食事が大好きで、日本のLサイズ ≒ アメリカのSサイズだもんね。
肥満体型を気にしていたフィロミナでしたが、アンソニーがゲイであったという事実には「知ってたわ」とあっさりした反応をしていました。今までの息子の繊細な写真を見て、確信をしたそうです。
アンソニーに子どもがいない事実には残念そうにしていましたが、ゲイであることには彼女は全く嘆いたりしないのです。
また、アンソニーがレーガン政権の法律顧問を務めている程の大物になっていることに、フィロミナは「私と住んでいたら、こんな暮らしは無理ね」と言っていました。
これから察するに、フィロミナは息子が不幸になっていないことを願うのはもちろん、それほどの大人物になることは望んでいなかったのでしょう。
なおかつ、「私がいなかったからでこそ、ここまでの成功ができた」と、「これでよかったのかも」と自分を納得しているかのようでした。
彼女が何よりも喜んだのは、その昔にマーティンがアンソニーに出会い、話していたという事実でした。
マーティンはそのときのことをあまり覚えておらず、「握手をしたなあ、弱々しい握手じゃなかった」「こんにちはだっけ、やあだったかもしれない」「感じがよかった」くらいしかその印象を言えなかったのですが、フィロミナは心の底から喜びました。<「こんにちは」だったかな
<いや、「やあ」だったかも
<すごいわ!
カワイイ。息子の生きている姿を知らない彼女にとって、これだけでもものすごく大事なことだったんですね。
マーティンを演じたスティーヴ・クーガンも、「ごめん・・・これくらいしか覚えていないよ」とでも言いたげな、いい表情をしています。
彼女にとって、「息子が幸せであること」が何よりも大事であったのでしょうね。
たとえアンソニーが亡くなっていた事実を知っても、その後に「息子を知っている人に会いにいく」ことを決めたのはそのためだったのでしょう。
〜物語のネタバレ〜
映画の中盤、フィロミナは空港内で自分の読んでいた物語の内容を語りはじめます。
驚きのある結末まで盛大に言って、なおかつ本をマーティンに貸そうとしていました。そんだけネタバレされりゃあ読みたくないよ!
彼女が気に入っていたのは、「政略結婚なんてものよりも、身分違いであっても真実の愛で結ばれる」というストーリーでした。
これは、前述した「ゲイであっても気にしない」という事実、「私と住んでいたら、こんな暮らしは無理ね」という台詞にもつながってきます。
ここでも、フィロミナが息子に望んだのは、社会的な成功や格上の身分などではなく、愛のある生活であることが示されたように思いました。
映画の最後にも、フィロミナは別の物語を語ります(ほぼ同じような内容だったけど)。
今度は、その結末をマーティンが望んで聞きます。それは「100万年のひとつの素敵な結末」でした。
〜作中の小ネタ〜
現代の修道院には、女優のジェーン・ラッセルの写真が飾っていました。
実は、彼女は修道院から養子を買っていた張本人でした。
アイルランドの国章であるアイリッシュハープを、アンソニーはバッジとしてつけていました。
これがギネスビールに書いてあったことが、アンソニーが故郷のことを想っていたという根拠を見つけるきっかけになりました。
修道院に舞い戻ってきたとき、マーティンはT・S・エリオットの「一巡して探求の旅は終わった。出発点からまたはじまる」ということばを引き合いに出していました。確かに素敵な口上ですね。
個人的に大いに共感したのが、フィロミナの「成功の道で出会った人には親切にするべきよ、人生の下り坂でまた出会うから」ということばでした。
これは偽メールのためにクビになり、フィロミナの取材をすることになったマーティンのことを指していたのかもしれません。
〜野暮な不満点〜
フィロミナの娘が全く物語に関わってこないのは残念でした。
散漫になってしまうかもしれませんが、フィロミナが修道院を出たあとの話をもう少し聞きたかった気がします。
また、フィロミナの話を聞いていたシスター・ケイトが、アンソニーの秘密について何も言わないのも違和感がありました。
ケイトはヒルデガードの傀儡のような存在になっているのかもしれませんが、そこももう少し描いてほしかったです。
〜リンカーン〜
フィロミナとマーティンは、アメリカで大きなリンカーンの像を見ていました。
リンカーンは黒人奴隷の解放に尽力した、偉大な大統領です。
かつて修道女として奴隷のような労働を強いられたフィロミナ、当時の共和党がゲイに寛容ではなかったアンソニーにとって、「差別」の撤廃を望んだリンカーンの姿は偉大なものに映ったのでしょう。
〜告解の内容〜
この映画には大きな謎があります。
それは終盤で、フィロミナが告解をしたいと教会に立ち寄ったときのことです。彼女は何も言わず(言えず)に立ち去ってしまうのです。
彼女は何を告解したかったのか?
自分には、彼女がこの後に「記事を書かないでほしい」と頼むこと=またも秘密を隠そうとすることを罪に感じたと、告解しようとしたのだと思いました。
事前に彼女は「罪を隠すことも罪よ、みんなをあざむくから」と言っていました。
本心ではアンソニーの気持ちを知りたい、しかしそれに背くようにもう記事には書かないでと言う。そんな自分の行動を罪だと思ったのではないでしょうか。
しかし、フィロミナは避けられていると思っていたアンソニーの恋人に、しっかりと自分の真意を告げ、真実を知ることができたのです。
〜赦し〜
修道院には「フィロミナが子どもを探すことを断念することを示す書類」が残されていました。彼女はそれを「罰を受けるため」に署名したと言います。
彼女が感じていた罪とは「男とのセックスに快感を感じていたこと」でした。
これにマーティンは「カトリックなんてク○くらえだ」と言います。
シスター・ヒルデガードは、アンソニーが修道院に母親を探しにきた事実を知りつつも、それを隠していました。
なぜなら、フィロミナが姦淫を犯すという「神に背く行為」をしていたからでした。
ヒルデガードは「私は純血の誓いを生涯守った」「禁欲によって神に近づけるのです」ですと自らの主張をマーティンにぶつけます。
カトリックの「処女信仰」により、フィロミナは修道院に入れられ、息子とも離ればなれになりました。
なおかつ、親子の再会を果たすこともできなかったのです。
たとえそうだとしても、フィロミナはヒルデガードを赦します。
なおかつ、マーティンにも「赦しには大きな苦しみが伴うのよ、私は憎みたくない。憎んだら、さぞ疲れるでしょうね」と諭していました。
カトリックは「赦しの宗教」であるとも言われており、罪を犯したとしても懺悔により赦しを得ることができます。
フィロミナがヒルデガードを赦したのも、彼女が敬虔なカトリック教徒であったためでしょう。
しかし、今は無宗教者であるマーティンはこう言います。「僕はあなたを赦さない」と。
カトリックでは赦しを得ることができますが、マーティンのような「赦せない」という感情を持つのもっともです。
どちらが正しいのか、その判断は観客にゆだねられているのでしょう。
この映画はカトリック教徒から抗議を受けたそうですが、それは的外れであると思います。
あくまで悪しき処女信仰と女性が人権侵害をされてきたことを批判しているのであって、ちゃんとフィロミナというカトリック教徒からの視点もあるからです。
〜ラスト〜
フィロミナとマーティンは、アンソニーの墓を見ます。
そこには「2つの祖国と多くの才能を持つ男」という、フィロミナに宛てたかのような文句が書かれていました。
「幸せな人には宗教は必要ない、信じる者は妄信と無知な者だけだ」と宗教そのものを批判していたマーティンでしたが、彼はお墓にキリストの像をそっと置きます。
マーティンはフィロミナの「赦し」を見て、カトリックへの尊敬の意も芽生えたのではないでしょうか。
マーティンのジャーナリストとしての観点も変わったのでしょう。
序盤は修道院でお茶をいただいていたマーティンでしたが、事実を知った上で舞い戻ってくると「お茶もお菓子もいらない」と宣言しました。
彼は上司に言われるがまま「悲劇的な物語でいこう」「修道女が邪悪(EVIL)か、いい表現だなあ」と偏った記事を書こうとしていましたが、最後には「記事にはしない、私的なことだからな」と言っていました。
しかし、フィロミナの「人々に知ってほしい」という想いのために、取材内容は記事になりました。
この映画にも、彼女のその想いが込められています。
おすすめ↓
英映画 あなたを抱きしめる日まで 実話 町山智浩が紹介 - YouTube
カトリックとプロテスタントの違いを、教えて下さい。 - Yahoo!知恵袋
キリスト教のザンゲってカトリックとプロテスタントとではセリフは違うのですか? ... - Yahoo!知恵袋
純血思想というものが狂信としか思えず、実話が元でそんな連中をギャフン!と言わせる話でもないと聞いて敬遠していたのですが、レビューでフィロミナという人の人間性に惹かれて見て来ました。
「瞼の息子」でした。私のような人にこそお勧めです!終盤に差し掛かってからは静かな涙が止まりませんでした。
>神の子を自称したキリスト教者
これがヒルデガードのような輩を生む原因のように思います。「イエス様が今の自分をご覧になったらどう思われるだろう・・・」などとは考えずに「自分は神様の代弁者にして神罰の執行者」で思考停止してしまっているのだと。
「性教育」すらしないで愛と生命の営みである性を「罪」と断じ、命の誕生という神聖な瞬間を「罰」とし、差し伸べるべき補助も施さず、そのために命を落とした母子の墓をぞんざいに扱い、無事出産出来た母からは子を取り上げ、その愛に付け込み奴隷労働を強制、あげくに人身売買の証拠隠滅、これこそケダモノにも劣る所業では・・・。
>ジュディ・デンチ
007曰く「糞ババア」が素適で可愛いお婆ちゃんに!?同じ顔なのに同一人物と思えないんですけど・・・。
初めての海外旅行で体験すること全てに感動し、出会う人達に感謝を忘れない彼女の姿に劇中のモヤモヤとイライラを何度癒されたでしょう。まさに天使です!
>アンソニーがゲイであったという事実には「知ってたわ」とあっさりした反応
半世紀も引き離され、ついに再開適わなかった母はその間もずっと自分を理解し想い続けてくれていた・・・アンソニーは幸せ者ですね。
>〜物語のネタバレ〜
ひでえ!と思いつつも「お婆ちゃんのおとぎ話」みたいで萌ポイントでした。
>〜野暮な不満点〜
若いシスター達には「親切面して騙していたの!?」と席を立って叫びたい程の怒りをかんじました(前の席のカップルも憤っていました・・・)ブラック企業が蔓延る国の人なんかに言われたくないような事情もあるのでしょうけど、あんまりです・・・。
>マーティンにも「赦しには大きな苦しみが伴うのよ、私は憎みたくない。憎んだら、さぞ疲れるでしょうね」と諭していました。
疲れます。しかし海の向こうの他人事でも怒らずにはいられないのです・・・。だけど貴女が癒してくれました。
>マーティンはフィロミナの「赦し」を見て、カトリックへの尊敬の意も芽生えたのではないでしょうか。
ヒルデガードのような聖女のつもりな鬼畜を生んだのもカトリックですが、フィロミナのような温かなお母さんを育んだのもカトリックですしね。
ヒルデガードはもう手遅れかもしれませんが、これからの修道女達には獣でなく人だからこその事情を背負った母子達を救うためにはどうしたら良いだろう・・・探し続けて欲しいです。
自己満足でない本当の神の子の御使となるべく。