守られてしまった伝統 映画「肉」ネタバレなし感想+タイトルの意味
個人的お気に入り度:6/10
一言感想:タイトルオチじゃなかった
あらすじ
ニューヨーク州北部の田舎町。慎ましく暮らしているようなパーカー家には、とある“秘密”があった。
嵐が町にやってくる最中、長女のアイリス(アンバー・チルダーズ)と次女ローズ(ジュリア・ガーナー)のもとに、とある哀しい知らせが届く。
肉て。
映画のタイトルが肉て。たった一文字。タイトルだけで否応なしに見たくなりますね(なるか?)
レースがあしわられている字体も素晴らしいセンスだと思います。

さて、タイトルオチのようではありますが、作品自体は俗っぽい印象はまったくありません。
それどころか、芸術性のある、格調高いホラー作品となっていました。
監督は、隠れたヴァンパイア(ゾンビ)映画の秀作「ステイク・ランド 戦いの旅路」のジム・ミックル。
この作品と「肉」に共通しているのは、絶望的な状況にいる登場人物の“哀しさ”が物語の主軸に置かれていることです。
主人公たちは自分が望んでいない状況にいて、そこでの“生き方”を模索しようとしています。
積極的にその苦しい状況からの脱却を図るのではなく、ある種の“諦め”もありながらも、もっと幸せな場所(方法)があるのではないかと模索しているのです。
この作風は好き嫌いがわかれると思いますが、自分は好きです。
人間って、そんなに簡単には今ある状況から逃げたり、環境を変えたりはできないものです。
これはある意味でリアル。自分の人生や今の状況に満足がいっていない(でも変える勇気がない)人にとっては、より感情移入をしてしまう内容なのかもしれません。
「肉」の主人公ふたり(娘ふたり)が苦しんでいる理由は、一家の伝統とされている“しきたり”です。
それは残酷で、とてもじゃないけど精神を正常に保つのは無理と思えるもの。そのしきたりの内容は多くの人が早い段階で察しがつくでしょうが、映画を観るまでは知らないほうがいいでしょう。
この映画が上手いのは、その“秘密”の内容をじわじわと見せていくこと。
むやみにグロテスクなシーンのオンパレードにはなっておらず、端々でそれを“感じさせる”のです。
美しい画も相まって、ホラーというよりも上質なミステリーのような印象もありました。
ただ、物語としてはさほど大きな驚きを与えてくれませんでした。
脇役を含めた登場人物がうまく機能しておらず、展開にもやや不自然な点がみられます。
R18+指定のわりには残酷なシーンも少なめなので、タイトルで想像するようなゲロゲログロんちょな悪趣味映画を期待すると肩すかしに感じてしまうかもしれません。
そして賛否両論必死のラストシーン。これが好きか嫌いかと言われると、自分は好きなんですけど、人にはとてもおすすめできないなあ……
個人的に好きだったのが、オカルト的な設定にもかかわらず、“秘密”について医学的な見知が与えられたこと。
こういうホラー映画はだいたい警察や科学的な要素がかなり無能だったりしますが、医学という人間の英知を極めた分野が物語に影響を与えているのは、なかなかに気が利いていました。
余談ですが、新宿武蔵野館では額に“肉”と書いたら割引となるキャンペーンが実施中です。恥ずいわ。
そんなひとりキ○肉マンごっこをしなければならないこの割引キャンペーンですが、水性ペンで書いてトイレで落とせばいい話ですので、やってみてもいいと思いますよ。
さらに余談。ジム・ミックル監督って「ネズミゾンビ」というこれまたタイトルオチっぽい映画を撮っていたんですね。
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ホラーとしてはあまり怖くありません。
”美しい姉妹の哀しい物語”を期待する人におすすめします。
以下は作中の“秘密”の内容がネタバレ↓
今回は観ている人が少ないと思いますので、オチなどはネタバレしていません。ただし、そのほかの展開は少しネタバレしているので、予備知識なく観たい方はお控えください。
~カニバリズム~
本作が描いているのはズバリ「カニバリズム(人肉食)」です。
この映画がR18+指定となっているのは、そのインモラルさのためでもあるのでしょう。
(個人的には、同じく人肉食の描写があったR15+指定止まりの「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」のほうがよほど残酷に感じましたが)
パーカー家は、先祖がかつて飢饉にあい、叔父や叔母を食べたことから“人を食べる”ことが長年の伝統となっていたようでした。
そんなしきたりは「やめればいいのではないか」と思うところですが、これがあたりまえになってしまうと、やめるにやめれないのでしょう。
子どもは、親が人を食べていることを知っている。
それはいけないことなので、隠さないといけない。
さらに自分も殺した人を食べてしまえば、“共犯者”となってしまう。
パーカー家の子どもたちは、ずっとそのように伝統を守ってきてしまったのでしょう。
パーカー家では「子羊の日(人肉を食べる日)」の前に2日間にわたる断食をしていましたが、これは「空腹は最高のスパイス」ということなのでしょう。
食べた肉がもし人肉であったとしても、一度「おいしい」と認識してしまえば、それはやみつきになってしまうのかもしれません。
14歳にまで成長していたローズが殺人を躊躇していたのは、最近になって人肉食を知らされたためなのではないでしょうか。
事実、それよりも幼い弟のロリーは、地下室に幽閉されている女性を“お化け”という認識をしていたにすぎませんでした。
姉のアイリスは、人肉食をする自分を「汚い」と思っており、それを想い人に伝えました。
人肉食を強制される子どもたちが、あまりに不憫でした。
~野暮な不満点~
よくわからないのは、行方不明の娘が川でふつうに死体になって発見されていたこと。
あの話の流れでは、彼女はパーカー家で食べられたはずなのでは?彼女はなぜ死んだのでしょうか?(パーカー家に捕まっていたのは別の女性のようでしたが)。
後半になっていきなり出てきた「花火大会」が何の意味もなかったのは残念です。
おとなりの親切なおばさんは、パーカー父の「葬式の間に息子を預かってくれるか」という頼みを聞いたこと以外ではあまり物語に関わっていません。彼女は、息子のことを想う「まとも」な父の姿を見せるための役柄だったのかもしれません。
反面、秀逸だったのは、医者が川で見つけた人間の骨について「光沢があるぞ、茹でたからだ」と推理したこと。
この作品では犯人役の主人公の姉妹がかわいそうで応援したくなるため、探偵役の行動にドキッとしてしまうところがあります。
~クールー病の理由~
また、亡くなったパーカー家の母の病名は一時はパーキンソン病だと誤診されていましたが、じつは人肉食により引き起こされるプリオン病(狂牛病)の類縁疾患であるクールー病でした。
当然、長年食べ続けた父にもその症状は現れてしまいます。
この映画に救いがあるのは、娘ふたりと息子にその症状が現れていないこと。
しかし、プリオン病の潜伏期間は50年にもおよぶことがあるそうです。果たして……
~原題の意味~
邦題の「肉」は人肉食そのまんまの意味でしたが、原題は「We Are What We Are」となっています。
直訳すれば「私たちは私たち」で、パーカー家が意固地として人肉食の伝統を守ってきたという(間違った)誇りを示しているようにも思えます。
このタイトルの元ネタとして考えられるのは、「We are what we eat」という英語のことわざ。こちらは「私たちは私たちが食べたものから形成されている」という意味です。
eatがweに置き換わっているということは、タイトルは「私たちは私たちから形成されている」というふうにも解釈できるかもしれません。
もちろん、この場合の私たちとは「人間」を示し、形成されているのは「食べた」からなのでしょう。
参考↓
【映画オタク記者のここが気になる!】児童ポルノに厳しくカニバリズムには寛容な映倫の不思議 美少女も登場の問題作「肉」無修正公開+(1/3ページ) - MSN産経ニュース
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