ラストにはふたつの解釈? 映画「青天の霹靂」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:7/10
一言感想:優しさ、詰まっています

あらすじ
場末のマジックバーで働く、さえないマジシャンの轟晴夫(大泉洋)は、ある日40年前にタイムスリップしてしまう。
行き場も帰る場所も失った晴夫は、浅草ホールで働こうとするのだが……
お笑い芸人・劇団ひとりが監督・原作・脚本(橋部敦子と兼任)、さらには出演を務めた作品です。
芸能人が映画を作った例としては、最近では品川ヒロシや松本人志、マイナー(?)なところでは野生爆弾川島の「ミステイクン」がありました。
この「青天の霹靂」は、そうした“作品群の中でも、もっとも一般の方に受けいられやすい作品なのではないでしょうか。
むやみな暴力描写も、わかりにくさも、押しつけがましさもありません。
あるのは堅実な映画作りと、劇団ひとり監督ならではの優しさでした。
物語に登場するのは、いわゆる「負け組」で、人生がちっともうまく行っていない人間です。
金も女もなくて、後輩にバカにされ、40歳にもなってボロいアパートに住んでいて・・・
監督は、そういう人たちのことを、愛してやまないのだと思います。
自身は芸人として大成功をおさめていますが、芸人として生きるうえで、そういう人たちをたくさん見てきたのでしょう。
映画で投げかられるメッセージは、自分をついていないと思う人、自分の不幸を呪う人にこそ観てほしい、尊いものでした。
「青天の霹靂」というタイトルに見合ったような、清々しい感動と後味が、そこにはありました。
この作品はいわゆるタイムスリップものであり、物語には「バック・トゥ・ザ・フューチャー」っぽさを感じます。
それプラスで感じるのは、「男はつらいよ」のような人情劇。監督は、本作の主人公に「生きていたら渥美清にオファーしたかった」と語っているほど。日本映画のリスペクトも確かに感じました。
映画はどちらかと言えば後者の日本映画らしい人情劇がメインなのですが、タイムスリップものとての視点も忘れずに描いています。
これは自分の勝手な考えにすぎないのかもしれませんが、結末には2通りの考えかたがあるのではないでしょうか。
結末に物足りなさを覚えた人も、ぜひラスト付近の会話を思い出してみることをおすすめします。
少し気になったのは、「わざわざ独り言にしてしまう」シーンが多いこと。
主人公を演じる大泉洋さんはその表情だけで感情を表現しきっているのですが、そのほとんどに独り言で「どう思っているか」を説明で加えてしまいます。
そこは映画でしか表現できない「役者の演技」があるのですから、台詞で表現する必要もないのでは、と感じる部分が少なくなかったのです。
ほかにも、終盤の演出が長めで少しもたつきを感じたり、中盤で音楽と台詞のバランスが悪く感じた(音楽が大きすぎて台詞が聞き取りにくい)箇所もありました。
大泉洋さんにオーラがありすぎて、ちっとも「しゃべり下手な場末のマジシャン」に見えないのも問題かも。どうみたって口がうまそうですもの(笑)。
内容はストレートかつわかりやすさを重視しているような内容なので、繊細かつ奥深い日本映画を期待している人には、少し肩すかしなのかもしれません。
それでも、これはおすすめです。
主要登場人物を3人に絞ったおかげもあり、展開には無駄がなく、上映時間も100分を切るほどにコンパクト。
演出にも初監督作品とは思えない非凡さが現れてみました。
何度も脚本を推敲したり、編集なしの本物のマジックを大泉洋さんに練習してもらって撮影するなど、映画づくりに対して「本気」が伝わってくる点ばかりです。
「また芸人の作った映画か」と思わずに(むしろそう思った人こそ)、この映画を観てほしいです。
映画の予告編では「過去にタイムスリップしたときに○○○と○○○に?」ってことがアナウンスされていますが、そこを知らないとより驚けて、楽しめるかもしれませんね。
関係ない話をして恐縮ですが、このブログのタイトルは劇団ひとりさんの小説「陰日向に咲く」が元ネタです。
今回の映画でも、「陰でほそぼそと生きようとしている人にも、日が当たることもあるー」とエールを送っていることは共通。このブログは、そんなふうに、マイナーだけれども優れた作品を紹介したいと思ってはじめたところもあります。
そんな劇団ひとりさんの優しさが大好きです。
以下、結末も含めてネタバレです 鑑賞後にご覧ください↓
〜芸人だからこそ〜
はじめの主人公・晴夫のことばからがっちりハートをつかまれました。
「いつからだろうな、特別だと思わなくなったのは。
俺は特別な人間になれると思っていた。就職して、結婚して、子どもを作るふつうのやつとは違うと思っていた。
でも、ふつうになるのも難しいってわかった。すごく努力している。
お客さんはこのくらい(トランプの4)、俺はこいつ(トランプ2)さ」
これも劇団ひとりさんが、「ふつうでない」生き方の芸人だらこその台詞なのでしょう。
テレビに出ている自分だけでなく、ふつうの人がどれだけ働いて、どれだけの苦労を経て「ふつう」を手にしているかをわかっているからこそ、そういう人たちに尊敬の意を掲げているからでこそ、はじめにこのメッセージをなげかけたのだと思います。
その後には、テレビに出て成功しているおネエのマジシャンが、晴夫を見下すシーンが出てきます。
タイムスリップをしたあと、晴夫はで父と組んだコンビでテレビに出ようと言ったとき、同じ劇場の仲間たちを悲しげな目で見ていました。
これは、ふつうでない生き方で成功したからと言って、後輩や同じく芸を生業をする人を、見下したくないと願う、劇団ひとりさんの「戒め」ようにも感じました。
また、偉ぶってもいいことなんかありません。誰かに愛されたり、愛する人生のほうがよっぽど有意義です。
(この物語で描かれたことも、主人公が愛されていたことを知るまでの過程でした)
〜小ネタ〜
父親(劇団ひとり)が母親(柴咲コウ)にビンタされるのは、「ガキの使い」シリーズの「笑ってはいけない高校」のネタを思い出して笑ってしまいました。<これは反則
ほかにも「顔芸」だけで笑わせるのは劇団ひとりならではですよね。<鳩だとふつうだもんね!と言われたあとの表情。
予告編でも見ていたこのシーンが、じつはハプニングではなくて、「ケンカをしながら手品をする」というネタのひとつなのも好きでした。
あと、スプーンまげで有名なユリ・ゲラーが来日したのは1974年前後だったのですね(晴夫がタイムスリップしてきた時期とほぼ同時)。子どもに由利徹と間違われていたのは、若い人に通じるわけないなあ。
〜誰かのせい〜
40年前の晴夫の母は、胎盤剥離を起しているため、晴夫の出産とともに死んでしまうかもしれないことがわかります。
父がこれを晴夫に話したとき、晴夫は激昂します。
「そりゃじゃだめなんだよ!ろくでなしの父がいて、俺を置いていった母親がいて!だから俺の人生みじめなんだよ!そうだろ?」
晴夫は自分の人生が不幸なのを、(ろくでなしだと思っていた)両親のせいにしてきたところがあったのでしょう。
晴夫は「何で生きているのかわからねえよ」と口にするほど、自分の人生を無価値だとも思っていました。
しかし、晴夫は母が命をかけて自分を生もうとし、父が子どものために(マジシャンになる)夢をあきらめてカタ
ギの仕事(ラブホテルのベッドメイク)につこうとしていることも知ったのです。
両親の価値を知ったけど、それ以上に自分の無価値を悟っていた晴夫にとって、それは耐えられないことだったのです。
〜生きる理由〜
しかし晴夫は、母親に「子ども=自分自身の将来のこと」を聞かせてあげます。
「勉強は、できるほうではないかな。モテるほうでも、残念ながらないです。
それでも4年生のときに女の子からチョコをもらったりしたんですけど、父親に食べられちゃいます」
母親は、「私は、どんな母でしたか」と聞きます。
「お子さんにとって、お母さんは、生きる理由です。
この子は、母親からどれだけ強く望まれてきたかを知ります。
それからの日々がとても愛おしいものに思えてきます。
だから、生きる理由です。お子さんは、生まれてきてよかった、と本当に思っています」
この晴夫のことばは、自分自身の気持ちそのもの。
晴夫が話すにつれて、その心のうちをあらわすかのように、病院の外も晴れていきました。
晴夫は「不幸を両親のせい」するのではなく、両親のおかげで生きていることを実感し、生きる喜びを母親からもらうことができたと告げるのです。
母親が、目の前にいる晴夫が、いま生もうとしている子どもと同じであると気づいたのか、そうでないのかは定かではありません。
どちらでもいいのでしょう。彼女は、いま生もうとしているこどもにとって、自分自身が生きる希望となったことを知ったのですから。
母親が、父に「勝手に、チョコ食べちゃダメだよ」と言うシーンも大好きです。
これは観客と母親にしかわからない「秘密」。その秘密を、作中の愛おしい登場人物と共有できるのです。
〜2通りの解釈〜
エピローグでは、現代に戻ってきた晴夫が、じつは生きていた父親と再会します。
父親は「お前、誰かに似てきたなあ」と言い、晴夫は「あんなこと言うんじゃなかったよ」返します。
ここで、40年前に晴夫が言った「ありがとな」のひと言が告げられ、映画は幕を閉じます。
この結末では、タイムスリップにより未来が変わったか、変わっていないかの2通りの解釈があると思うのです。
(1)未来は変わっていなかったパターン
マンガ「ドラゴンボール」では、未来からやってきたトランクス(キャラ名)が、過去でやったことが未来に影響を及ぼさなかった、という描写があります。
これと同じように、晴夫の体験は、未来に影響を及ぼしていないとしたらどうでしょうか。
「お前、誰かに似てきたなあ」の「誰か」とは、父親のことになります。
しかし、晴夫は、ここではじめて「ありがとな」を口にすることができます。
ひょっとすると、晴夫が「ぐるぐるー(芸)マネするなよ」と言っていた支配人とコンビを組んで、ふたたびマジシャンとして成功することがあるのかもしれません。
(2)未来は変わっていたパターン
晴夫が体験したことが、未来に影響を及ぼしていたとしたらー
父親は成長した晴夫が、一時期コンビを組んでいた「ペペ」と同じ顔をしていることを知っています。
「お前、誰かに似てきたなあ」の「誰か」とは、もちろんペペのことになります。
こちらの未来では、晴夫は父にすでに「ありがとな」と告げることができています。
「ぐるぐるー(芸)マネするなよ」と言っていた支配人の運命が変わり、どこかでマジシャンとして成功しているのかもしれませんね。
ひっかかるのは、「父親が死んだ」という事実が、「じつは生きていた」になったこと。
これは父親(ホームレス)のイタズラの通報だったと説明が入っていました。
タイムスリップしたことにより、晴夫はやはり「変化した未来」に行っていたのかもしれません。
変わらない事実は、晴夫が「ありがとな」と父親に感謝を告げることができたこと。
過去でも未来でも、それを言うのは、きっと遅くはないはずです。
〜ペーパーローズ〜
母は、父からもらったペーパーローズを見てこう言っていました。
「自分なりに精一杯咲こうとしていて、私は好き」
本物のような真っ赤に咲く花ではないけれど、精一杯咲こうとした花は愛されることができる。
そんな生きかただって、悪くないのかもしれません。
おすすめ↓
#149 青天の霹靂 /なんとも美しい映画〜生きる理由を知ること〜 | Tunagu.
青天の霹靂(ネタバレ)|三角絞めでつかまえて
お笑いナタリー - [Power Push] 映画「青天の霹靂」劇団ひとりインタビュー (1/3)
>優しさ、詰まっています
本当に優しいお話でした。職場やご近所でも「晴天の霹靂もう観た?どうだった?」と聞かれまくってますが、自信を持ってお勧めできます!
実は大泉洋さん目当てだったのですが、劇団ひとり監督、おみそれしました!
>物語には「バック・トゥ・ザ・フューチャー」っぽさを感じます。
親に良い思い出を持たない者なら、一度はこんな奇跡を経験してみたいと思いますが、今作でもそれが本当に押し付けがましい説教でなく、優しく表現されていて素直に観れました。
>少し気になったのは、「わざわざ独り言にしてしまう」シーンが多いこと。
これは劇団ひとり監督の優しさが裏目出てしまったのでしょうか。演技演出だけでは、ちょっと解り辛いかな?と言った感じに気を使い過ぎてしまったとか。
あと、昨年大先輩の大作が独り善がり過ぎて観客にソッポを向かれた事を反面教師に感じ過ぎてしまったとか・・・。
次回作では今作で付けた自信を下に役者やスタッフを信頼し、「劇団みんな」で少し冒険して見て欲しいですね。
>〜2通りの解釈〜
変わっていなかったパターンを推します。両親の真実を知ってお父さんと和解し、40歳から自分の人生の価値を見出し再スタートとか。
でも、お母さんが死んでしまうのは変わっていないのでしょうね・・・。悲しいけれど、これはそのままで良かったように思います。
ありきたりな作品 キャストや話題性の割には大したことなかったように思います。