自分のことばで 映画「舞妓はレディ」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー

個人的お気に入り度:6/10
一言感想:おおきに(意味深)
あらすじ
舞子がひとりしかいない京都の街に、少女・春子(上白石萌音)が急に押し掛けてくる。
春子は必死で舞子になりたいと頼み込むが、身分も何もわからず、ことばのなまりもひどい者を雇うわけにはいかないと突っぱねられてしまう。
ところがその場にいた言語学者の京野(長谷川博己)は、鹿児島弁と津軽弁が混ざったことばを話す晴子に興味を持ち、彼女が“京ことば”を話せるように訓練を始める。
『Shall We ダンス?』『終の信託』の周防正行監督最新作です。
この映画のタイトルは、オードリー・ヘップバーン主演の映画『マイ・フェア・レディ』をもじっています。
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本作の一部の設定もこの映画を踏襲しており、「言語学が女の子のなまり(方言)を矯正」させるという序盤の展開はぼ同じ。楽曲の歌詞にパロディも見られます。
『マイ・フェア・レディ』を観ておくと、この映画が「あ、ここを参考にしているんだ」と気づける楽しさがあるでしょう。
題材としているのは舞妓さん。
京都に旅行をした人であれば一度は観たことがあるであろう舞妓さんですが、「そういえば、舞妓さんってどんなことをしているんだろう?」と疑問に思う方も多いでしょう。
この映画では周防監督の徹底した取材により、知られざる舞妓さんの素顔を見せてくれます。
この題材を賞賛するばかりではなく、“ちょっとイヤなところ”も描いているのもこの映画のいいところ。
世間の偏見や業界の厳しさをしっかりと描く、周防監督ならではのこだわりが感じられました。
また、京ことばにも重点が置かれている作品です。
「ありしまへん」「〜どすえ」などのなまりのことですが、これが舞妓さんになるのは重要なポイントなのです。
ところが、主人公の女の子は鹿児島弁と津軽弁が混ざったことばを話しているので、なかなか京ことばには慣れません。
おもしろいのが、主人公の成長と、彼女は京ことばが違和感なく話せるようになることがシンクロしていること。
主人公ががんばって話そうとする京ことばの数々を楽しみながら、主人公の人間としての成長も知ることができる構成は、なかなかに気が利いていました。
豪華なキャストも見逃せません。
周防監督の常連である竹中直人や草刈民代はもちろん、富司純子や岸部一徳や小日向文世とベテランが勢揃い。田畑智子や濱田岳という若手の実力者もいます。
特筆しておかなければならないのが、主人公を演じた上白石萌音さんでしょう。
その野暮ったさ(失礼)からギャップのありまくる美声、観た人すべてが好きになってしまう愛嬌など、800人のオーディションを勝ち抜いたことを納得せざるを得ない実力者でした。

個人的には長谷川博己さんが大活躍してくれることが、うれしくてしかたがありませんでした。
世間的には『鈴木先生』『家政婦のミタ』で有名ですが、自分としては『地獄でなぜ悪い』の映画バカの役が忘れられません。今回もいい感じに「言語学バカ」を演じてくれていました。
ミュージカル(音楽)映画ならではの配役と言えるのが、「カノジョは嘘を愛しすぎてる」の大原櫻子ですね。
彼女の歌うシーンは本作屈指の楽しさ。個人的には、主題歌のつぎに好きなナンバーでもありました。
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さて、物語のほうなのですが、個人的にはちょっと食い足らなさも残りました。
その理由は、この豪華なキャストたちが登場することで「横道にそれてしまう」ためです。
さらに、そのキャストのエピソードのいくつかは、主人公の成長物語とあまり関連しないのです。
このために「主人公が舞妓さんとして成長するという本筋が存在するのに、必要性がないキャラクターが多い」と印象を持ってしまいます。
竹中直人、岸部一徳、小日向文世のエピソードがなくても、この映画は成立しているでしょう。
公式サイトのイントロダクションを読むと、本作の脚本の作りかたは、主演が決まってから取りかかったり、思いつく限りのエピソードをまとめて書くなど、特殊なものなものだったそうです。
実験的な作りかたをしたことで、少し物語の魅力を削いでしまったような印象を受けました。
せめて、脇役のエピソードで、もう少しだけでも京都の魅力や舞妓の歴史などを教えてくれるとよかったのですけどね。
そんな文句はありつつも、本筋となる主人公の成長物語はとっても楽しめました。
主人公は舞妓さんになりたくてなりたくてしかたがない、だけど現実は厳しい。主人公はその厳しさをしって、乗り越えていく―
そんなベタな物語ではあるのですが、だからこそ安心して観ることができますし、とても応援したくなるのです。
個人的には、ミュージカルを“2番”までやらずに、さらっとテンポよくつぎの場面に移ってくれるのもよかったですね。
「愛と誠」のきっちり最後までやるミュージカルは物語の流れを止めてしまう印象があったので、これは英断だと思います。
とくに知識がなくても楽しめる映画ですが、舞妓さんとは“芸妓”になる前の未成年の少女のことを指し、舞妓として約5年間修行した後に芸妓になることは知っておくとよいかもしれませんね。
本作で“三十路近くの舞妓さん”が出てくるのは、(失礼ではありますが)ちょっと笑ってしまうような事実なのです。
映画としての盛り上がりはいまひとつですが、それ以外は万人にオススメできる内容です。
役者のファン、舞妓さんを知りたい方、京都が好きな方はぜひ劇場へ。
以下、結末も含めてネタバレです 鑑賞後にご覧ください↓
〜京ことば〜
舞妓さんになるための“必須三単語”とは「おおきに」「すんまへん」「おたのもうします」とのこと。
ミュージカルでこの3つのことばを使って歌ってくれるのが楽しいですね。
ちなみに、このときの歌詞「京都の雨は、たいがい盆地に降るんやで」は、『マイ・フェア・レディ』の“The Rain in Spain(スペインの雨)”の歌詞である“The rain in Spain stays mainly in the plain."のパロディです。
春子が何度も「へえ」を「はい」と言ってしまうのもクスクス。
女将の千春が「ことばは生活の中で生きるんや」と言い、春子が近所の人との朝の挨拶から京ことばを使おうとしているのも微笑ましかったです。
「おおきに」はとくに重要でしたね。
これには「誘ってくれてありがとう(でも断る)」など、いろいろな意味が込められており、その意味で使えるようにならないといけないのですから。
たとえば、遊びたくない客に誘われても「おおきに」と言えば、それは「お断りします」という意味にもなるのです。いろいろとことばの“裏”を読まなければいけないから、お客さんも大変ですね。
高嶋政宏のウザさは確かに断りたくもなるよなあ……
言語学者・京野は京ことばについて、こう言っていました。
「京都のことばは、やさしい風のように吹いて来る。それを伝えられるのは、舞妓さん、芸妓さんだけかもしれない」
京都に住んでいる人でも、京ことばを日常生活で使うことはありません。
それを伝えいくためにも、舞妓さんは必要とされるのかもしれませんね。
余談ですが、自分は京野が呼ばれていた「ごきぶりはん」も京ことばだと勘違いしていたのですが、どうもこの映画のものだけのようですね。
その意味は「台所でただ酒を飲んでいく人」。最後に春子が「ごきぶりはんにならんといてや」と言ったように、京野はいい反面教師でもあったようです(笑)。
〜舞妓さんのいやなところ〜
京野のところで学ぶ大学院生の青年はこう言っていました。
「本物の舞妓さんは、12、13歳で出てきたんだ。人気があった舞妓さんは芸妓さんの見習いになるけれど、ベテランの芸妓さんよりも17、18歳の舞妓さんのほうがちやほやされることもある。何が正解なのかわからないよ」
「舞妓さんは、お客の前でお酒を飲む、水商売だよ。はっきり言って僕はこの世界が好きじゃない」
「水商売」ということばには、ギクリとしました。
確かに、お客とお酒を飲んで楽しませるという点では、“キャバクラ”と違いはありません。
どれだけ技を磨いても、若いほうがちやほやされる……それも致し方のないことなのかもしれませんが、何とも切なくなりました。
〜声が出なくなって……〜
この映画ではそうした耳に入れたくない事実を提示しながらも、舞妓さんの“舞”や“所作”を大事に描きます。
がんばって、がんばってこれに臨む春子でしたが……持っていく傘を間違えてしまい、怒られてから心因性の失声症になってしまいます。
こうなった春子を、京野が「なまり」全開のしゃべりかたで励ましてくれるのがうれしかったですね。
「自分のことば」なら、しゃべるのは怖くない、というように……
春子の声が出るようになったのは、厳しい稽古にまたも叱られて、ようやく泣いたときのことでした。
これまで彼女は舞妓さんになりたいと強く願い、弱みを言うこともほとんどありました。
ここで自分の気持ちに素直になって泣いたからこそ、春子はことばを取り戻せたのでしょう。
そういえば、女将の千春はこうも言っていました。
「みんな、よそもんのことばはニセモノ扱いをしたがるんや。自分のことばを、ほんまもんのことばやと思って、自信持ってしゃべらなあかんで」
京ことばを使えるようになったとしても、大切なのは自信を持って自分のことばを伝えることなのかもしれません。
最後に、声を取り戻し、自信もつけた春子が「また声が出なくなったふり」をして、京野と大学院生を騙してくれるのもよかったです。これにはすっかり騙されてしまいました。
〜野暮な不満点〜
ちょっと残念だったのは、春子の母が舞妓さんであり、それが周りに知れたときのうれしさが感じられなかったことです。
その事実は主人公の成長にほとんど関与していなかったですし、そもそも観客にはいちばん初めに知らされていました。
何より、京野が「母親が舞妓さんであったことを秘密にしておこう、ここにいられなくなる」と提案する理由がよくわかりません。言ってしまっても問題はないのでは?
春子のしゃべることばがなまりすぎていて、そのために「母親が舞妓だった」という事実を知っているのが京野だけだった、というのはおもしろいのですけどね。
あと、豪華キャストの中でパンツェッタ・ジローラモと加瀬亮はかなりどうでもよさげな配役でしたね。
前者は酒の席に出てくるだけ、後者は遺影でしか登場しないのですから。まあいいけどさ。
〜一生懸命〜
女将の千春は、こう言ってくれました。
「一生懸命の若さが、人生の春を見るんや。
一生懸命が、ほんまの舞妓はんやで」
これは大学院生のことばと正反対ですね。
年齢が若い人がちやほやされるのではなく、舞妓さんが一生懸命であることこそが賞賛されてほしいと……
そんな周防監督のやさしさを感じました。
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