大人になってから 映画「劇場版 零」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:5/10
一言感想:怖さが零(美少女度は100億点)
あらすじ
山間部にあるミッション系の女学院。生徒たちの憧れの的であるアヤ(中条あやみ)は突如として部屋に引きこもるようにあった。
そして“女の子だけにかかる呪い”のために、生徒たちがつぎつぎと消えていく。アヤに特別な想いを寄せるミチ(森川葵)は呪いの原因を突き止めようとするが……
プレイステーション2用ソフトとして発売されたホラーゲーム「零~zero~」を“原案”とした実写映画です。
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この“原案”というところがくせ者です。
自分はゲーム版を遊んだことがないのですが、少し調べただけでもこの映画版はゲームとはまったく別物であることがわかりました。
ゲームは射影機と呼ばれるカメラを使って霊とバトルをすることが大きな特徴です。
しかし、映画版ではその要素はほとんどなくなっていて、怖い幽霊ではなくお人形さんのような美少女に迫られるという内容になっています。

ゲームのストーリーは、兄を追っていた少女が閉鎖的な暗い空間に閉じ込められ、脱出を目指すというものです。
しかし、映画版は人里離れた女学園で美少女たちが明るい中でワーキャーと叫んでいる内容です。
ついでに映画版では百合(ガールズラブ要素)が死ぬほどプラスされています。
「思い出のマーニー」が百合映画だと聞いていたのに、騙されたと思っている方は、観てみるといいんじゃないでしょうか。
どうしてこれほどかけ離れた内容になっているの……と思っていたら、戦犯は“原作”小説でした。
すでにAmazonレビューではゲームファンから「『零』とぜんぜん違う!」とプチ炎上コメントが寄せられています。
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小説を書いた大塚英志さんという人がけっこう……どころかなかなかキテいる人(褒め言葉)で、「多重人格探偵サイコ」などの猟奇的な内容の原作を担当するほか、「漫画ブリッコ」というロリコン向けの成人マンガ雑誌の編集長を務めたこともあるのです。
さらに、安里麻里監督も「×ゲーム」、「トワイライト・シンドローム デッドゴーランド」(こっちもゲーム原案)、「ケータイ刑事 銭形零」などで、アイドルを主演に迎えた作品を多く手がけた方です。
つまり、原作者と映画監督ふたりとも美少女が大好きで、「美少女がたくさん出て来る作品をこの世に出したい!」という利害が一致している(?)わけです。
ある意味最強のタッグが作り出した本作は、確かに美少女を愛でる映画として高レベルに仕上がっています。
森川葵さんのアップの画を幾度となく映すことで、その熟れたような唇や、アーモンドのような目が魅力的に見えてきます。
中条あやみさんのモデル体型(実際にモデル業もしている)と美貌、どこか浮世離れしたような雰囲気は本作の役柄にぴったりとハマっていました。
ほかの出演者も山谷花純、美山加恋など美少女ぞろいです。
撮影もかなり高レベルで、窓から漏れる光を活用し、美少女の“透明感”を出すように気を使われていました。
出演者のファン、美少女好きにとってはこれだけで観る価値がある作品でしょう。
さて、ここからが本題なのですが……はっきり言って、本作はホラー作品としてはかなり厳しい作品と言わざるを得ません。ぜんぜん怖くないのですから。
その理由は前述の“襲ってくるのが美少女”というのが80%くらいを占めます。
もうひとつの理由は“明るい”から。
監督自身は“白昼夢”のような雰囲気のために明るい中での撮影をしたとのことですが、やはり“暗い空間”というのはそれだけで恐怖を呼び起こすものであることを実感しました。
いくら明るい中で登場人物が「怖い」と語っても、暗い中での“対象が見えない”恐怖に勝るものはありません。
「回路」は明るい中での恐怖演出が上手かったのになあ……
展開に説得力がないことも、怖くなくなっている理由のひとつ。
前半は、“白昼夢”という言葉にあぐらをかいているのか、唐突に別の場所にワープしたり、前後のつながりが(意図的に)不自然になっているシーンが多々あります。
「ブラックスワン」や「喰女」など、そうした“夢か現実かわからない”描写がプラスに働いている映画もありますが、本作ではただ雑な展開に思えてしかたがありませんでした。
登場人物の説明台詞が多すぎる(関係性を全部ことばだけで説明する)も厳しいですね。
キャラクターの性格づけもうまく行っておらず、主役のふたり以外の美少女がまったく印象に残らないのは、もったいないと言わざるを得ません。
フォローしておくと、美少女の出演以外にもいいところはあります。
ひとつが、「少女から大人への成長」というところに物語のテーマを据えていること。
そのテーマを考えると本作の百合描写にもしっかりとした意味がありましたし、青春映画としては筋が通っていました。
もうひとつが、「謎解き」に重点を置いて話を転がしていることです。
オカルト要素だけでなく、過去の因縁なども組み込まれており、結末はそれなりに驚けるように工夫がされていました。
ジョン・エヴァレット・ミレーの絵画の代表作であり、ハムレットの登場人物であるオフィーリアがモチーフとして用いられているのもおもしろいです。

この“水に浮かぶ少女”というイメージは作中に幾度となく登場します。
本作に登場するオフィーリアの歌と絵画は、“死”の象徴であり、同時に不幸にして死んでいったとある者の魂を浄化させる役割でもあったのでしょう。
残虐描写がほぼ皆無というのも長所です。
そのうえで、ちゃんと怖いと思える工夫があればよかったのですが……
総合的に考えれば、オススメするにはちょっと厳しい内容です。
ゲームファンにとっては激怒もんの改変っぷりですし、ジャンルはもはやホラーではなく百合少女たちの青春映画なのですから。
ちなみに、美保純がミッションスクールの学院長として君臨(笑)していたり、中越典子(34歳)がゴスロリの格好で登場したりするのがけっこう楽しかったりします。
基本は美少女を愛でる映画。そこがあればほかに何もいらないと言う方には大プッシュでおすすめです。
※以下、結末も含めてネタバレです 観賞後にご覧下さい↓
〜美少女みんなが写真にキス!〜
しょっぱなから驚いたのが、学校の美少女たちが“アヤ”の写真に午前0時にキスをするとアヤと両想いになれると思っている→みんなが連鎖的にキスをしまくるというくだり。
ミチの初めのナレーションは「私たちはみんなアヤに恋をしていた」というものでし、この学校には百合少女しかいないようです。<零時ぴったりでないと効きません
笑ったのが、美少女のひとりが「ダメ!」と別の女の子を写真にキスさせないように取り上げるのだけど、取り上げた自分が即効で体をひねりつつ写真にキスをするシーン。
なんていうか、美しいフォームでした。
また、サブキャラの少女たちが
・許嫁がいて「私は好きな人と結婚したいなあ」と言う少女
・ネイルサロンを開きたいから授業なんてムダと宣い、授業をサボる少女
・オーディションに落ち続けているけどアイドルを夢見るポジティブな少女
という雑なキャラづけがされているのはイマイチかな……アイドル志望の少女なんておいしいキャラにできそうなんだから、活躍させてあげればよかったのにね。
地味によくないなあと思ったのが、せっかく世間と隔離されているような女学園を舞台にしたのに、あっさりと女の子たちが外に出ていることですね。
せめて、外界から閉ざされている世界での少女の姿を見せて欲しかったです。
そして少女たち5人が姿を消すと、5人揃って遺体で見つかります。
それまで外出禁止令が出されていたはずなのに、この後ミチはふつーに学園の外に出ています。
いやいやいや、5人も殺されたうえに犯人見つかってないんだから、もっと厳重警戒するべきだろ。
そんなわけで、納得できない展開ばかりの前半はかなり退屈でした。
もう少しだけでも、“ひとりずつ消えていく”という恐怖を演出してほしかったです。
〜美少女に迫られるシーン〜
えーと、本作の前半にある恐怖演出を見ていきましょう。<少女が立っています
<立っています
<近づいてきます
<池の上を歩いています
ね、怖くない(ナウシカ風に)。
この美少女が近づいて来る→「私の呪いを解いて」(作中7〜8回は聞ける)と言うだけ、というワンパターンさもイマイチでした。
ただ中条あやみさんは可愛い。そこは本当にすばらしい。
あと、アヤの写真をスマートフォンに入れてキスをしていた生徒たちが、アヤの亡霊を見てみんな倒れていくくだりも悪い意味で驚きました。<神のごとき所業
スマートフォンで撮った写真だと倒れるだけなの?なんでこっちは失踪しないの?
監督が少女がたちが倒れていく画を撮りたかったのはわかるのですが、そうした“ルール”をあやふやにするのはよくないと思うのです。
〜射影機なんてなかった〜
さて、ゲームでは超重要な要素だった射影機(カメラ)ですが、映画ではそのへんのカメラ小僧が幽霊を撮ろうとしていた写真をスケッチブックに貼っていたというシーンで登場します。自由研究してんの?
中学生たちにいじめられているカメラ小僧は不憫だったうえに、このいじめっ子がまったく再登場しないのも残念ですね。
で、その射影機か何の役にたったかと言えば、写真の女の子がアヤではない別の女の子であることがわかった(カメラ小僧が山で写真を撮ったときに見つけていた)だけです。
いや……確かに話は動かしてんだけどさ……地味すぎるっていうか……<この射影機の造形はすばらしいのに……
〜必然性のあるキスシーン〜
みんなが写真にキスして消えてまくっている間、肝心のアヤはずっと引きこもっていたのですが、ミチが謎解きを始めると急に元気になります。一応「女の子の声が頭から離れなかった」と言い訳していましたが、強引すぎるだろ……あとアヤはシスターが持ってきた食事を食べていなかったけど、大丈夫だったの?
そのへんの威圧的な女生徒は「そいつとキスすると死ぬんだよ」とアヤに訴えます。
そこでミチはすかさずアヤにキス。「死なない」ことを目の前で証明するのです。
このシーンは大好きでした。
ミチの想いが成就するととも、いままで頼りなかったミチが頼もしく感じる瞬間でもありました。
〜必然性のないイタコ〜
中盤、突如としてスキンヘッドの男とイケイケギャルの遺体処理班コンビが登場します。
この作品の雰囲気から乖離しまくっているこいつらは何なの、と思っていたら、原作者の作品「黒鷺死体宅配便」からのゲストキャラだったんですね。
スキンヘッドの“唐津九郎”は使者を呼び寄せるイタコの能力を使って少女の声を発します。
しかし、この能力が使われたことがぜんぜん物語を動かしていません。
けっきょくミチがやったのは、わざと写真にキスをして、呪いの本拠地に赴くということなのですから。
必然性のないゲストキャラはやめてほしいなあ。
〜真犯人〜
殺人を犯していたのは、自閉症の青年と、それをかいがいしく世話をしている姉のシスターでした。
青年は貯水場に少女の死体があったことを知り、貯水場に(呪いのせいで)やって来る少女を水の中に突き落としていたりしていました。
姉は姉で、その弟を守るために少女たちを溺死させていたようです(噂になっていた、とだけ語られています)。
それにしても、青年に突き落とされたアヤがちっともその場から動かずバシャバシャと騒いでいるだけなのはなあ……せめて壁に掴まろうとしようぜ。<貯水場の真ん中でばちゃばちゃ騒いでいるだけのアヤ
けっきょくミチがアヤを救ってくれてハッピーエンド……かと思いきや、ラスボスがいました。
それは学園長(美保純)です。
彼女は恋いこがれていた女生徒とともに心中しようとしていたのですが、自分だけで死ぬことができず、大人になってもずっと苦しんでいました。
学園長は、学園にやってきた当時7歳の双子のアヤとマヤを見て、どちらかを死んだ想い人への“生け贄”にささげようとしました。
けっきょく学園長は姉のほうのマヤを殺し、マヤは“呪い”を吸い取り続け、女の子たちを貯水場へ呼び寄せていたようです。
呪いは、アヤが真実を知り、マヤと再び出会えたことで解けたのでしょう。
※以下の意見をいただきました
幾つかの点で原作ゲームを意識しているような箇所がありました。
>
> まず第一に、ゲームプレイ者なら必ず思い出すであろう「双子」です。
> 実はシリーズ第二作「紅い蝶」の主人公は双子の姉妹で、アヤとマヤが双子と明かされた時、真っ先に紅い蝶を連想しました。
> また、双子の片方が犠牲になるという点もやはり紅い蝶を連想させます(詳しくはネタバレなので省きます)。
> また、クライマックスも零シリーズのエンディングを連想させます。
> 零シリーズは正規ルートのエンディングであっても救われたような救われないような、
> どこか悲哀の残るエンディングであることが多いです(もちろん捉え方は人それぞれですが)。
> アヤの「一緒に残る」と言う言葉を断り、「あなたは生きて」と告げたマヤの流れは、
> これまでの零シリーズに通ずるものを感じました。
> 他にもミチとアヤが赤い糸で体を繋いでいるのは、やはり紅い蝶へのオマージュのようですし、
> 主人公はもちろん呪いをかけている人物(マヤ)や事件の元凶(院長)まで皆、女性で統一されているのも零シリーズの特徴です。
> こういった零シリーズらしい点が散見しているだけに不満点が目立つのが残念です。
えーと、ここから観た人のほぼ全員が憤慨する台詞が登場するのでよく聞いてください。
ゴスロリ姿の“メリーさん”(中越典子)が、この学園長の告白を聞いていたのですが、彼女は話が終わると開口一番「どっちでもいいや、すべての呪いは解けたんだから」とほざきます。
↓このときの自分の気持ち
どっちでもいいわけねえだろ!
何?これは何なの?
「長年苦しんでいたから」という理由を棚に上げて、自分のエゴで7歳の少女を惨殺した悪人がほっぽかれているのは何なの?
ブタ箱にぶちんでも飽き足らねえ畜生(注:あまりにもムカついたので口が悪くなっています)が裁かれないこのラストは、あまりに不愉快でした。
〜少女から大人に〜
そんな胸くそ悪い事実はともかく、ラストはとても爽やかでした。
ミチとアヤは学校を卒業し、これから少女から大人になります。
ミチが最後に“射影機(申し訳程度に登場)”でアヤを撮ろうとすると……ファインダーには死んだ5人の少女が、にこやかな笑顔で映っていました。ずいぶん自己主張の強い幽霊ですね。
ミチはその光景を見て「これは幻?それとも、私の願望?」と疑問に思います。
ミチは「やっぱりいまは写真を撮るのはやめる、いつかまた大人になって、自分のカメラで撮りに戻って来るよ」と決意します。
この映画では、ミチの「アヤ(女の子)が好きなことと」と、「大人になること」、そして「仲間の死から立ち直ること」を同列に扱っています。
「女の子が好きなこと」は世間にはなかなか容認されないように、ずっと少女のままではいられれませんし、好きだった人の死ばかりを悔やんでばかりしているわけにもいれません。
学園長は、序盤に「少女を卒業するには一度死ななければならない」ということを言っていました。
彼女は好きだった人の死に苦しめられるあまり、“少女”を卒業することができなかったのでしょう。
だけどミチは違います。
アヤが好きだったこと、少女のままでいること、仲間がつぎつぎと死んでいって「私も連れていってよ」とまで願ったこと……そうした弱かった自分から、大人へと変わろうと決意しているのです。
ミチの最後のことばは以下のようなものでした。
「私たちはふつうの少女だけになっていく、だけどこれだけは忘れない、私たちは女の子だけにかかる呪いにかかっていた」
この女の子だけが呪いは、作中で描かれた少女たちが失踪するというものだけではありません。
ミチが抱えていたような、少女に普遍的にある悩みをも指しているのでしょう。
最後に、ミチとアヤがあえてキスをしない、という描写も感動しました。
すでにミチは、少女から大人へと変化を始めていたのでしょう。
ミチが大人になり、ふたたびこの場でアヤの写真を撮ったとき……
本当に呪いから解放された、素敵な写真が撮れるに違いありません。
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百合映画(マリア様&1999年の夏休み)零?? - ユーザーレビュー - 劇場版 零~ゼロ~ - 作品 - Yahoo!映画
自分は零シリーズは最新作除いて一通りプレイしているので待望の実写化だったわけですが、
ヒナタカさんのレビュー、既プレイ者の方々の意見同様、自分も少々物足りなさを感じました。
多くの意見にある通り、「零シリーズの実写化としてもホラー映画としても微妙」だと思います。
特にゲームファンの方々の憤りは自分も痛いほど理解できました。
同時に、こうなってしまったのも致し方ないと言う思いもあります。
その原因は「零シリーズが和風ホラーゲームであること」です。
零シリーズもテレビゲームの御多分に洩れず「雑魚を倒しつつ仕掛けを解きボスに至る」と言うものですが、
そもそもの「雑魚を倒す」と言う概念がジトッとした雰囲気と地を這うような恐怖感で
鑑賞者を怖がらせるジャパニーズホラーと最高に食い合わせが悪いと思うのです。
バイオハザードやサイレントヒルは元々が洋風サバイバルホラーのため実写化で違和感が生じないのだと思いますが、
零でゲームに忠実に「雑魚を倒す」シーンを入れてしまうと途端にアクション映画風になってしまい、
ジャパニーズホラー独特の恐怖感を殺してしまうのではないでしょうか。
確かにカメラで除霊すると言うのは銃によるどんぱちに比べれば大人しいですが、
やはりジャパニーズホラーに戦闘シーンは合わない気がします。
(貞子3D?あれはまぁ、えぇ……)
無論、零シリーズの重要なファクターを外したのは大きな失敗であると思うし、
「じゃあ零の映画として観なければ良い」という意見はもはや本末転倒なので擁護にもなんにもなりません。
もっとうまく原作の要素を生かす方法もあったのでは、と感じてしまい、残念でなりませんでした。
あくまで「原作」と言わず「原案」としているのも、苦肉の策のようにも見えてしまいます……
もう一点、非常にショックだったのは、主題歌が天野月さんではない点。
これはもう劇場で唖然としてしまいました。
同氏はシリーズ第二作から最新作に至るまで主題歌を提供してくれたシリーズの立役者だっただけに、
主題歌の采配は失望を通り越して絶望しました……
一方で、幾つかの点で原作ゲームを意識しているような箇所がありました。
まず第一に、ゲームプレイ者なら必ず思い出すであろう「双子」です。
実はシリーズ第二作「紅い蝶」の主人公は双子の姉妹で、アヤとマヤが双子と明かされた時、真っ先に紅い蝶を連想しました。
また、双子の片方が犠牲になるという点もやはり紅い蝶を連想させます(詳しくはネタバレなので省きます)。
また、クライマックスも零シリーズのエンディングを連想させます。
零シリーズは正規ルートのエンディングであっても救われたような救われないような、
どこか悲哀の残るエンディングであることが多いです(もちろん捉え方は人それぞれですが)。
アヤの「一緒に残る」と言う言葉を断り、「あなたは生きて」と告げたマヤの流れは、
これまでの零シリーズに通ずるものを感じました。
他にもミチとアヤが赤い糸で体を繋いでいるのは、やはり紅い蝶へのオマージュのようですし、
主人公はもちろん呪いをかけている人物(マヤ)や事件の元凶(院長)まで皆、女性で統一されているのも零シリーズの特徴です。
こういった零シリーズらしい点が散見しているだけに不満点が目立つのが残念です。
>ついでに映画版では百合(ガールズラブ要素)が死ぬほどプラスされています。
二次創作物では所謂百合ものとして一定の需要がある作品でしたがここまでどストレートに来るとは想定外でした。
「男の子を好きになる気持ちがわからない」と言う台詞やミチとアヤのキスシーンとか割とすごい衝撃です。
>美少女度は100億点
>どこか浮世離れしたような雰囲気は本作の役柄にぴったりとハマっていました。
>お人形さんのような美少女に迫られるという内容
これはある意味原作を踏襲していますね(笑)。
原作でのプレイアブルキャラも一部の敵キャラも人形のように美しく、非常に可愛らしいです。
ちーちゃんとかちーちゃんとかちーちゃんとか。
>地味によくないなあと思ったのが、せっかく世間と隔離されているような女学園を舞台にしたのに、あっさりと女の子たちが外に出ていることですね。
自分もここはマイナスポイントでした。
原作でもなんらかの形で外界と隔離された空間での出来事だったので、普通の風景はかなり違和感がありました。
世間から隔離された女学院なんてホラー映画としてとてもいい題材なのに残念です……
いつも以上に長々と書き連ねてしまいましたが、なんだかんだ言って嫌いな映画ではありません。
主人公を始めとした女の子たちは文句がつけようないくらい可愛らしく、
思春期特有の甘酸っぱい描写やかなり踏み込んだガールズラブ描写はむしろ思い切っていて自分は好きです。
最後のどこか切なさを感じるミチの決意も嫌いじゃありません。
海外での実写化「フェイタルフレーム」の制作も決定しているので、よりゲームらしい内容はそちらに期待でしょうか!
ちなみにゲームはホラー描写さえ耐性があるなら非常に面白いのでオススメします!
そして「紅い蝶 千歳」で画像検索すればさらに幸せになれる気がします。
ブログの更新滞っていて&返信が遅くなって&ゲームやっていなかったのに知った被ってすみません!
> 同時に、こうなってしまったのも致し方ないと言う思いもあります。
> その原因は「零シリーズが和風ホラーゲームであること」です。
> 零シリーズもテレビゲームの御多分に洩れず「雑魚を倒しつつ仕掛けを解きボスに至る」と言うものですが、
> そもそもの「雑魚を倒す」と言う概念がジトッとした雰囲気と地を這うような恐怖感で
> 鑑賞者を怖がらせるジャパニーズホラーと最高に食い合わせが悪いと思うのです。
アクション要素のある作品とは食い合わせが悪そうですね……
> もう一点、非常にショックだったのは、主題歌が天野月さんではない点。
> これはもう劇場で唖然としてしまいました。
> 同氏はシリーズ第二作から最新作に至るまで主題歌を提供してくれたシリーズの立役者だっただけに、
> 主題歌の采配は失望を通り越して絶望しました……
JAMOSAさんの主題歌も悪くなかったのですが、それもあなりゲームファンから言われていました……
> 一方で、幾つかの点で原作ゲームを意識しているような箇所がありました。
>
> まず第一に、ゲームプレイ者なら必ず思い出すであろう「双子」です。
> 実はシリーズ第二作「紅い蝶」の主人公は双子の姉妹で、アヤとマヤが双子と明かされた時、真っ先に紅い蝶を連想しました。
> また、双子の片方が犠牲になるという点もやはり紅い蝶を連想させます(詳しくはネタバレなので省きます)。
>
> また、クライマックスも零シリーズのエンディングを連想させます。
> 零シリーズは正規ルートのエンディングであっても救われたような救われないような、
> どこか悲哀の残るエンディングであることが多いです(もちろん捉え方は人それぞれですが)。
> アヤの「一緒に残る」と言う言葉を断り、「あなたは生きて」と告げたマヤの流れは、
> これまでの零シリーズに通ずるものを感じました。
> 他にもミチとアヤが赤い糸で体を繋いでいるのは、やはり紅い蝶へのオマージュのようですし、
> 主人公はもちろん呪いをかけている人物(マヤ)や事件の元凶(院長)まで皆、女性で統一されているのも零シリーズの特徴です。
> こういった零シリーズらしい点が散見しているだけに不満点が目立つのが残念です。
これはぜひ追記させてください。
> >ついでに映画版では百合(ガールズラブ要素)が死ぬほどプラスされています。
> 二次創作物では所謂百合ものとして一定の需要がある作品でしたがここまでどストレートに来るとは想定外でした。
> 「男の子を好きになる気持ちがわからない」と言う台詞やミチとアヤのキスシーンとか割とすごい衝撃です。
>
> >美少女度は100億点
> >どこか浮世離れしたような雰囲気は本作の役柄にぴったりとハマっていました。
> >お人形さんのような美少女に迫られるという内容
> これはある意味原作を踏襲していますね(笑)。
> 原作でのプレイアブルキャラも一部の敵キャラも人形のように美しく、非常に可愛らしいです。
> ちーちゃんとかちーちゃんとかちーちゃんとか。
あ、ちゃんと美少女に迫られるんですねwゲームやりたくなってきた。
> >地味によくないなあと思ったのが、せっかく世間と隔離されているような女学園を舞台にしたのに、あっさりと女の子たちが外に出ていることですね。
> 自分もここはマイナスポイントでした。
> 原作でもなんらかの形で外界と隔離された空間での出来事だったので、普通の風景はかなり違和感がありました
「エコール」なんかでは徹底されていたんですけどね。
> 海外での実写化「フェイタルフレーム」の制作も決定しているので、よりゲームらしい内容はそちらに期待でしょうか!
ええー!そっちは観てみたいですね。