価値観のすれ違い 映画『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:5/10
一言感想:まっくろくろすけ出現(ボカシ的な意味で)
あらすじ
奥手な女子大生のアナ(ダコタ・ジョンソン)は学生新聞の取材のため、巨大企業の若きCEOのグレイ(ジェイミー・ドーナン)を訪ねる。
グレイはアナに興味を持ち、ある「契約」をしたいと彼女に告げるのだが……
内容うんぬんの前に、まずは日本版にある映像規制のヒドさについて触れておきたいです。
本作は過激なセックスがたっぷり登場するポルノ映画と言ってもよい作品なのですが、観客がもっとも期待しているであろうそのシーンにまっくろくろすけかと見間違うほどの巨大で真っ黒なボカシが登場するのです。

中盤には、なんとこのまっくろくろすけが画面の半分以上を埋め尽くすシーンがありました。
いやこれは本当にない。『ドラゴン・タトゥーの女』のモザイクなんかかわいいものに思えてきました。
自分はこのボカシのせいで笑いをこらえるのに必死だったんですが、終盤のアレにはさすがに吹き出すしかありませんでした。
こんな規制のしかたになったのは、何とかR15+指定どまりにしてより多くの観客を呼び込もうとした判断によるものなのでしょうが、修正するにしてももっとやりようがあっただろうと思わずにはいられません。
また、ずっと黒いボカシばかりが出てくると思いきや、たまにふつうの透明のボカシになるシーンもあったりします。せめて統一しろ。手抜きしか見えないぞ(たぶん手抜きだろうな)。
えーと、言いたいこと言ってすっきりしたので本題。本作は全世界で1億部も売れたという同名の大ベストセラーを原作としています。
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内容は男性経験のない女性が、若くてイケメンの大金持ちにあんなこともこんなことも要求されちゃうという女子の妄想大全開な内容です。
もともと『トワイライト』の二次創作として書かれた内容だったそうですし、日本のくだらないほうの少女漫画(例:快感・フレーズ)のようでもあります。
女子の「イケメンにメチャクチャにされたい!」という夢に応えた作品に需要は確かにあるようなので、そこに突き詰めまくった内容にしたのは正解でしょう。
男子にとってはゲンナリしそうな物語ですが、男女を入れ替えてみると納得できるのではないでしょうか。
こんなふうに↓
・童貞の大学生が、若くて美人な女社長に気に入られる
・女社長は童貞を支配しようとする
・あんなプレイもこんなプレイも要求してくる
うん、けっこう観たいな。誰か本気でパロディAVを作ってくれることを期待しています。
自分が今回の映画版で気にいったのは、笑えるシーンがけっこう多いこと。
たとえば、イケメンはヒロインに興味津々のはずなのに、「僕に近づいちゃだめだ」などともほざいており、仲良くなりたいのか突っぱねたいのかどっちやねんとツッコミたくなるシーンがあるのですが、本作ではそのことを思い切り茶化してコメディーにしてしまっています。
序盤に、今後の展開に関わる伏線を張り巡らせていることも好きでした。
本作を観る人は、ヒロインがイケメンに(性的な意味で)支配される内容だと知っているので、「あ、これが後こうつながるんだな」といい意味で予測できるワクワク感(?)がありました。
主演ふたりの存在感についても語らずにはいられません。
ダコタ・ジョンソンは映画初主演ながら表情ひとつで微妙な心の変化を見事に表現していますし、ジェイミー・ドーナンジェイミー・ドーナンも完璧でありながらも威圧感のあるキャラクターにぴったりとハマっていました。
物語で描かれているのは、「愛すること」「セックス」「支配欲」の価値観に揺れる主人公ふたりの心変わりです。
ヒロインは純粋にイケメンに愛されることを望んでいる。
しかしイケメンは愛することができず、過激なセックスしか求めることができない……
過激な性描写が取りざたされがちな作品はありますが、物語の本質は「切ない心のすれ違い」にあるのかもしれません。
難点は、後半にヒロインとイケメンがくっついたり離れたり、うじうじ悩むシーンがとにかく続くため、わりと観ていて飽きてしまうこと。
心理描写がこと細かに描かれている小説ならよいのですが、映画としてそのまま描くとかなり単調な印象を持ってしまいました。
もうひとつは単なる好みの問題なのですが……自分はイケメン大富豪の苦悩に何の興味もないことに気づきました(身も蓋もない発言)。
男性経験のなかった純粋なヒロインは応援できるものの、自分勝手にヒロインを支配しようとするイケメンのことはどうしても好きになれない(嫌い)のは当然です。
イケメンの「なぜそのようなことをするのか?」「隠された過去とは?」ということに興味がなければ、本作はひどく退屈な内容に思えてしまうのかもしれません。
そんなわけで不満はそれなりにあるものの、主人公ふたりの葛藤や心理描写はちゃんとしているので人間ドラマとしてはまずまず楽しめる内容です。
本国では公開間もないにも関わらず、IMDbで3.8点、Rotten Tomatoesで27%とかなりの低評価になっていますが、そこまで悪い作品とも思えませんでした。ボカシを除けば。
一応内容はエロエロなのでデートにはあまりおすすめしませんが、イケメンにめちゃくちゃにされたい女性がひとりで観るのにはもってこいの内容です。
男子は、自分をイケメンに投影して、ウブな少女を支配していくストーリーと思えば楽しめるかもしれませんよ。
↓以下、結末も含めてネタバレです。観賞後にご覧ください。
~ヒドいボカシワースト3~
全編において「まっくろくろすけ出ておいで~出ないと(修正した奴の)目玉をほじくるぞ~」なボカシの数々でしたが、そのワースト3をお届けしましょう。
3位 チラッとヒロインのヘアーが写ったシーンでも、すかさずまっくろくろすけ登場
裸体をカメラでトラックしてゆっくりと見せていくかと思いきや、肝心なところでまっくろくろすけが登場。どけ。
2位 ヒロインの初体験で、画面右の3/5くらいが真っ暗に
『となりのトトロ』でもこのくらいまっくろくろすけがぶわっと出てききたよね。
1位 終盤のプレイルームでは、ヒロインにまたがるイケメンの体全体がまっくろくろすけに包まれる
局部といっしょに顔まで隠してんじゃねえよ! このほかにもジェイミー・ドーナンの肉体を隠すシーンが多すぎます。
~野暮な不満点~
終盤の展開は、お尻とをスパーンと叩いたりするSMプレイ→ヒロインかイケメンのどちらかがうじうじ悩む→たまにヘリコプターや曳航機に乗ってセレブ生活を堪能、というパターンばかりでした。
その間も主人公ふたりの心の揺れ動きはしっかり描かれていましたし、SMプレイもお尻を叩く→ムチ→つるすなどとステップアップしていったのですが、やはりやや単調ですね。
それと、アナ(ヒロイン)に片想いをしていた報われないカメラマンのホセが後半にぜんぜん出てこなくなったのも残念。
彼が最後に登場したのは、アナにキスを迫ったものの拒否されたうえにイケメン大富豪にどつかれたうえにアナにゲロを吐かれるというかわいそうすぎるシーンでした。続編では彼を幸せにしてやってください。
どうでもいいですが、クリスチャン(イケメン)は大企業の社長のクセに暇そうでしたね。メールの返信はいつも迅速丁寧(笑)です。
アナの取材中に会議を断ったり、自宅でも作業をしているなど、一応仕事をしているそぶりがあったのはよかったですけどね。
あとは3部作の1作目の映画化なので、とても後味が悪いところで映画が終わってしまっています。
苦しく重い作風でもあったので、もう少しだけでも救いがほしかったと思う方は少なくないでしょう。
~笑ったシーン~
酔っぱらったアナが電話越しに、クリスチャンに「あなたは『家に帰れ』『近づくな』『来い』『あっち行け』、そんなのばっかり~」と茶化すのには笑いました。本当だよ。
クリスチャンはアナのバイト先にもやってきて、結束ひも、バンド、ロープという明らかにSMプレイに使いそうな品々を買っていきましたが、そのときのアナが「殺人鬼みたい」と言うのもおもしろかったですね。
アナは「ほかに必要なのは(日曜大工のための)作業着かしら?」と言うのですが、クリスチャンが「服は着ないよ」とボケ倒すのには大笑い。確かにこいつに近づいちゃだめだ。
ヘリコプターに乗る前にシートベルトをしっかり締めるという演出が、後のSMプレイの伏線になっているのも秀逸でした。
アナはクリスチャンに「プレイルーム(SM用の部屋)」を紹介すると言われて、「テレビゲームをするの?」と答えていました。まあふつうの反応ですね。
ちなみに字幕では「ゲーム」だけでしたが、原語では思い切り「Xbox」と言っていました。いままでMac book Airばかり登場していたのに、ここでマイクロソフト製品が出てくるのはなんでなんでしょうかね。
契約書に「フィスト(拳)ア○ル」「フィストヴァ○ナ」「膣クランク」という項目があったのにも笑いました。マニアックだな。
いくらアナが処女だからって、そんなことやりたくないのはわかかるよね(でも人工ペ○スはオーケーらしい)
個人的にいちばんの爆笑ポイントは、セックス後のクリスチャンがピアノを弾いている→アナが座っているクリスチャンにまたがる→クリスチャンがアナを駅弁したまま平然と歩くというシーンでした。
駅弁の意味を知らない人はお母さんかお父さんにでも聞いてください。
~アナの想い~
アナは純粋な女性で、クリスチャンの「真意」を探ろうとしていました。
クリスチャンがアフリカの農業事業について「ビジネスだ」と答えると「あなたはもっと心の広い男性なのでは?」と聞き返したり、なぜクリスチャンが愛することができないかを問いただそうとしたり……
アナは、セックス(支配)にしか興味がないようなクリスチャンの心を、どうにしか解きほどきたかったのでしょう。
アナが取材の代理を安請け合いしたり、作ったサンドイッチをルームメイトに食べられても文句のひとつも言わないのは、彼女の誰かのために行動するやさしさと、弱さが垣間見えたようでした。
アナは4人目の夫とともに住む母親のことも大好きだったようですが、ベッドでそのふたりの楽しそうなやりとりを聞いた後には、少し微笑んでから寂しそうな表情を浮かべていました。
アナが求めていたのは、そのような楽しい男女の関係だったのでしょう。
アナにとっては、クリスチャンは人生で初めて身体を捧げた男性でもあります。
その彼を愛せない、愛させてくれない、それどころか愛されてもいない……彼女の苦悩はとても大きかったでしょう。
~支配~
興味深かったのは、アナがクリスチャンを見るたびに息をのむほどに驚いていること。
気になる男が唐突に登場するのですからそれも当然なのですが、この驚きは「恐怖」も伴っているようにも思えました。
それは「いつでも監視されている」という支配下に置かれたような恐怖なのではないでしょうか。
それを裏付けるように、クリスチャンはアナの母が住んでいるジョージアにもわざわざやってきて、「またおかわりかい?」というそばで見ていなければわからないメールを送ったりしていました。
クリスチャンはインタビューをしにきたときのアナには「支配力をすべてに使う」とも答えており、支配することに価値を見出していました。
それがそのまま、SMプレイにおいて「する」側になることとシンクロしています。
クリスチャンは4歳のころに母が死に、飢えに苦しみ、15歳のときから「される」側として調教されてきたという過去はありましたが、肝心の「なぜ支配するのか」は、映画の最後まで明かされることはありませんでした。
わかるのは、クリスチャンが快楽のためにアナを支配しようとしていること、アナは純粋にクリスチャンの愛を求めているということです。
理解し合えないふたりのすれ違い―
本作の悲劇は、そこにあります。
~ハーディの『テス』~
クリスチャンがアナに送った(アナの愛読書でもある)小説『テス』は、純粋な少女テスが、金持ちの家に奉公に行くというところから始まる物語です。
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その作風は「出来事はあらかじめそうなるように定められていて、人間の努力ではそれを変えることはできない」という宿命論を思わせるもので、クリスチャンの支配したいという欲望にもシンクロしています。
しかし、アナは支配されるだけではなく、何とかしてクリスチャンの想いを読み取ろうとしています。
本作の物語は、主人公が運命を変えようとしている点で、『テス』のアンチテーゼと言えるのかもしれません。
~価値観の違い~
アナは「なぜ(自分を)傷つけるのか」を教えてくれないクリスチャンに、再度SMプレイを頼みます。
アナはクリスチャンに愛されたいのだけど、クリスチャンはSMプレイしかしてくれない、いっしょにベッドで眠ることすら、触れることすらしていくれない……
アナは、せめて彼の「快楽」のためにSMプレイをされることを望んだのでしょう。
アナはプレイが終わった後に「これが快楽なの?」とクリスチャンに問いただします。
それは、クリスチャンの「支配」そのものへの価値観を否定しているようでした。
また、アナは古い車を大切に乗り続けていましたが、クリスチャンは自家用車をたくさん持っているうえに、アナの車を勝手に処分して新しい車をプレゼントしたりもしていました。
最後にアナが「私の車を返して」と言ったのは、支配をするクリスチャンへの必至の抵抗に思えました。
~50の面~
クリスチャンは、ただ性の快楽のためにアナを利用しているようにも、そうでないようにも見えます(ベッドで熱い夜を過ごしたのもアナただひとりだけだと言っています)。
クリスチャンは自分の性格について「50通り(Fifty Shades)に歪んでいるんだ」と嘆いていました。
彼はアナに対して支配欲以外の感情もあるのでしょうが、いままでに形成された人格がそれを簡単には表に出さない……極端に言えば、クリスチャンは多重人格のような障害を持っていると言えるのかもしれません。
また、最後のプレイでクリスチャンに叩かれる回数を数えていたアナでしたが、最後の1回だけクリスチャンは叩きませんでした。
これは、彼の違った面(人格、感情)が現れたシーンなのかもしれません。
~名前で呼び合う~
映画のラストシーンは、それぞれがエレベーターが閉まる前に「アナ」「クリスチャン」と呼び合うというシーンでした。
序盤で初めて出会ったときのふたりも、名前で呼び合っていましたが、それはこれからの再会が期待できそうなシーンでした。
しかし、ラストシーンの少し前にはクリスチャンが「どこかに行ってしまうのかも」とアナを心配するシーンがあり、アナもけっきょく理解できなかったクリスチャンに「近寄らないで」と言い放ってしまいます。
ふたりの関係は、容易には修復できるものはないでしょう。
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https://twitter.com/ShionSolt/status/566605193911877632
今から10年以上も前の韓国製PCゲーム(の日本語版)で、生首を育てて恋愛するというものです。
じつはこれ、韓国のゲームに対する倫理規定が厳し過ぎることへの皮肉を込めた作品でして、端的に言えば「男女の接触でことあるごとに修整が入るならば、そもそも修整なぞ入らぬものにしてしまえ」というものなんですね。
身体が無ければそもそもセックス的なものは入り込む余地が無い。
人間どころか動物ですら無いから獣姦にもならない。
この生首は斬首などによるものではないから残虐にもあたらない。(そもそも人間の首ではない)
『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』は観ていないのですが、むしろ作品へのレイプだろうと言わんばかりのありえへんくらいの修正は、もしかすると倫理規定等に対する皮肉が込められているのでは、と、ふと感じたのでした。
そんな訳ないのだろうけれども。
精神的な映画ですね…