みんなの悩み 映画『くちびるに歌を』ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:9/10
一言感想:超・ド直球の青春日本映画
あらすじ
元ピアニストの柏木ユリ(新垣結衣)は、生まれ故郷である五島列島の中学校に、臨時教師としてやって来る。
柏木は合唱部の顧問になるのだが、その態度はそっけなく、合唱部のリーダーである仲村ナズナ(恒松祐里)から嫌われてしまう。
合唱部に憧れを抱いている桑原サトル(下田翔大)は、自閉症の兄・アキオ(渡辺大知)の送り迎えを毎日続けていたのだが……
※少しだけ後で思ったことを追記しました(3月10日)
『ホットロード』『アオハライド』の三木孝浩監督最新作であり、中田永一(乙一の別名義)の小説を原作とした映画です。
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島にやってきた臨時教師が児童(生徒)と交流をしていくという物語を聞いて、『二十四の瞳』や『北のカナリアたち』を思い浮かべる人は多いことでしょう。
自分がこの映画で思い出したのは、意外にも『レインマン』『ギルバート・グレイプ』『チョコレートドーナツ』『八日目』といった、障がい者を描いた作品でした。
本作には、自閉症のきょうだいを持つ少年が登場するのです。
映画では(原作からなのですが)、障がい者のきょうだいを持つ少年の心を丹念に描写していきます。
そこには、強がりだけでなく、障がい者を「うとましく思う」という描写も少なからずありました。
障がい者が身内にいるというのは、とても大変なことです。
障がい者を「純粋」と語るだけではすまされない、精神論だけではどうにもできない悩みがたくさんあります。
きれいごとだけでは、やりきれないこともあるー
本作で、障がい者を家族に持つ人の、そうした「後ろめたさ」「弱さ」を描いたことに、とてつもないやさしさを感じました。
また、自閉症の特徴をとてもよく捉えているのも素晴らしかったです。
『レインマン』などを観ているとわかるのですが、自閉症者には独自の「こだわり」があり、決まりきった時間に行動したり(親もその時間に行動させるようにする)、ことばをおうむ返しにしたり、何かに執着してずっとひとつのものをやり続けていたりもします。
その自閉症者の特徴をしっかり作品に取り入れ、自閉症の性質を完ぺきと言っていいほどに渡辺大知さんは演じ切っていました。
本作で描かれているのは、人が持つ「悩み」です。
作品のモチーフとなっている、アンジェラ・アキの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」の歌詞の内容も、15才の少年少女の深刻な悩みと、大人になってから15才の自分に宛てたメッセージが読まれるというような内容になっています。
映画で描かれているのは、前述の自閉症のきょうだいを持っているがゆえの悩み、父親に対する悩み、部活がうまくいかない悩み、過去のトラウマから逃れらない悩みだったりします。
それを「手紙」という楽曲と絶妙にシンクロをさせることで、歌詞がより理解できるという内容になっています。
たとえ人によく知られている名曲であっても、その歌詞の内容を咀嚼する機会はあまりありません。
この映画では、物語を通じて楽曲のメッセージをダイレクトに伝えてくれます。
作中の「何がきっかけでも、音楽に出会えたんだったらそれでいいじゃない」ということばには音楽への愛、「歌詞の意味を知らずに歌うなんて10年早いわ」には、音楽への真摯な想いも伝わってきました。
とりあえず名曲をモチーフに適当に展開作っときゃいいだろーという印象しかなかった『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』とは月とスッポンほどの違いです。
そうした本作ならではの特徴がありつつも、基本的にド直球の青春映画になっていたのが何よりも大好きでした。
登場人物たちは、中学生ならではの、なんでもなさそうだけど大切な日常を過ごしています。
合唱に青春のエネルギーを捧げ、ちょっとした挫折がありつつも、仲間が絆を深めていき、やがて大団円を迎えるのです。
悪く言えばベタですが、よく言えば王道でまったく嫌味がありません。
こうした奇をてらわない日本映画が、いまの「映画が飽和状態になっている」と言われる時代に公開されることだけも、本作を支持したくなるのです。
また、合唱の練習がつまらなくてサボるという描写があったのもよかったです。
自分も合唱の経験があったのでわかるのですが、「合唱大好き!」という感情だけではどうにもモチベーションが続かないことだってあります(どんな競技でもそうだとは思いますし、人によりますが)。
スポ根がすべてではなく、ちゃんと人間の良い面や悪い面もしっかり描いてくれるのです。
さらに福江島(五島列島)の風景の美しいこと!
青い海、日本家屋、教会、緑の映える丘などなど、三木監督がその風景を大切にしたいという想いが伝わってきました。
欠点がないわけではありません。
ストレートな感動ドラマであるために、ほんのちょっぴりの都合のよさや「クサさ」を感じてしまうことは否めません。
先生が抱えているトラウマは手垢のついた設定ですし、あまり普遍的ではない悩みや葛藤に違和感を覚える人も少なからずやいるでしょう。
しかし、本作にある感動は決して「泣かせ」に走っているものではありません。
描かれるのは、あくまで人が持つ弱さや愛しさです。
些細な欠点をはねのけるほど、脚本、撮影、役者、すべてが日本映画の最高峰と言うほどに揃った作品でした。
新垣結衣のファンだけに独占させておくのはもったないです。
老若男女を問わず、古き良き日本映画、青春映画を求めるすべての人におすすめします。
↓以下、結末も含めてネタバレです。観賞後にご覧ください。
~サトルの生きる理由~
柏木先生から「未来の自分に宛てる手紙」の宿題を提出したのは、自閉症の兄を持つサトルだけでした。
そこには、このようなことが書かれていました。
「15年後の僕は、兄といっしょにいますか。もちろんいるでしょうね。
僕は兄に人一倍感謝しています。なぜなら、兄が自閉症じゃなかったら、僕は生まれてこなかったでしょうから。
両親は、兄がひとりで生きていけないから、弟か妹が必要だと思ったのでしょう。
兄がいなかったら、僕はこの世にいませんでした。
僕は自分の生きる理由がはっきりしています。
でも、ほんの少し、少しだけ、兄を疎ましく思うときがあります。
それでも、きっと僕は兄のそばにいるでしょう。
それが、僕が生きる意味なのですから」
サトルは兄の送り迎えをするために、合唱部にいることもあきらめようとしていました。
兄がどこかに行ってしまったとき、島を駆け巡って探さなければいけませんでした。
サトルは兄がいたことに感謝し、自分の生まれた意味がはっきりしていることを踏まえたうえで、そのような「疎ましく思う」ということを正直に告げるー
その内容は、とても愛おしいものでした。
サトルに変わってたまに兄を送り迎えしてくれると言ったお母さんが「そういうときには、ありがとうって言うんよ」と諭してくれるのもうれしかったです。
大切なのは、そうした感謝なのですね。
~生きる意味がなかったナズナ~
生きる意味を見出していたサトルに対し、ナズナは自分が生まれてこなければよかったと思っていました。
ナズナの父親は、ナズナと死んだ母を捨てて女と逃げ、帰ってきたと思ったらつぎの日にはお金を盗んでまた逃げるというとんでもない男でした。
ナズナの一家はクリスチャンではあったようですが、父はいっしょに行くと約束した教会にもいませんでした。
ナズナは「たまに神様なんていないって思う」と柏木先生に告げ、「お母さんが私を妊娠しなければ、あんなお父さんと結婚をせずに済んだのに」と、自分が「いた」ことまでも疎ましく思っていました。
ナズナが合唱にのめりこんだのも、生きる理由がほしかったからなののかもしれません(柏木先生には、合唱をする理由を「好きだから」と答えていました)。
ナズナは、コンクールの後に父親に似たアロハ服の男を見かけますが、それは他人の親(見間違い)でした。
彼女は会場にあったピアノで、「汽笛」と同じドの音階を鳴らします。
そこにいたのは、かつて教会でナズナとその母親のやりとりを聞いていた、自閉症のアキラでした。
アキラは、母親の言葉を借りて、こう言ってくれました。
「あんたがいてくれて、よかった」
父に愛されず、自己否定を続けてきたナズナ、にとって、これはどれほどのうれしい言葉だったでしょうか。
同時に、これはサトルにほんの少しだけ「疎ましい」と思われていたアキラへの言葉でもあります。
さらに、これはおうむ返しを続けていたアキラの自閉症の特徴がナズナの心を救ったということでもあります。
おうむ返しを続けるという、一見ネガティブにしか取られないはずのことが、人の心を救ったのです。
悩みを持つ人がどこかで関わり、救われるこの物語の、なんとやさしいことでしょうか。
~逃げない柏木先生~
柏木先生は、自分のコンサートを観に来るはずだった恋人が事故死してしまったことを自分のせいだと思い込み、そのためにピアノが弾けなくなってしまいました。
彼女がピアノを弾けるようになったのは、悩みを告白ししたナズナのためであり、戦うため、友人が危険な出産を抱えているという事実からも逃げないためでした。
コンクールで「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」が歌われたとき、その歌詞の内容と合わせた、いままでの映画のワンシーンが映し出されました(映像の中に、サトルが女子のパンツが見える秘密の場所を教えてもらうシーンがあったのにはちょっと笑ってしまいました)。
その歌詞には「誰にも話せない悩みの種がある」とあります。
サトル、ナズナ、柏木先生は、この曲を通じて、悩みを打ち明けることができた……
そして、これからの希望が見えたかのようでした
映画の最後に、柏木先生はこう手紙にしたためます(ナレーションで語ります)。
「わかったことがひとつあります。あなたたちはひとりじゃない。とても簡単で、大切なことです」
ひとりで抱え込まず、誰かに話したり、手紙に書くことで救われることだってあるのでしょう。
~これから~
ナズナがコンクール後に鳴らしたドの音階は、アキラが好きだった汽笛の音であり、柏木先生が再びピアノを弾き始めたときの音でもありました。
その意味するところは「一歩ずつ、前向きに」。
悩みはたくさんあっても、前に進むことはできるはずです。
柏木先生は、「笑って」と言い、コンクールの舞台を始めました。
最後に柏木先生は、お別れのときに、笑顔を生徒たちに見せました。
「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」の歌詞には「笑顔を見せて」という言葉もあります。
さらなる、これからの希望が見えた素晴らしいラストシーンでした。
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くちびるに歌を - みんなのシネマレビュー
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第69回映画批評 『くちびるに歌を』 誰がために歌うのか: ホラーショー!民朗の観たまま映画批評
> 個人的お気に入り度:9/10
鑑賞中、ヒナタカさん的にめっさ共感できたのだろうなぁ…と、つくづく。
> 新垣ファンだけに独占はもったない
翔大かわいいよ翔大。(ぁ