映画『イントゥ・ザ・ウッズ』の疑問を解決してみる【ミュージカル版との違い】【ネタバレ感想】
……いや、ちまたの評価では賛否両論なんですけどね、
自分はもとのミュージカルを観ていなかったので、映画だけでは「なんでそうなるの?」というツッコミどころばかりが思い浮かびました。
しかし、A La Carteの柳下修平さん主催の「映画ファンの集い」でミュージカル版を観た方と話すことができ、いくつかの疑問が解決できたのでここにまとめてみます。
なお、話してくださった方にも本記事を確認していただいています。
ミュージカル版は海外版のソフトが販売されているほか、YouTubeで観ることができますので、映画との違いを確かめたい人は実際に観てみるのもよいでしょう。
![]() | Bernadette Peters 3201円 powered by yasuikamo |
日本語字幕はありませんが、英語はそれほど難しい内容ではありませんよ(TOEIC500点台前半の自分でもなんとかわかるくらい)。
ちなみにミュージカル版を観た方の評価は、映画は展開を省略しすぎで、映画よりミュージカル版のほうがはるかよいというものでした。
↓以下は『イントゥ・ザ・ウッズ』のミュージカル版および映画版の内容、『シンデレラ』の原作の内容がネタバレです。ご注意ください。
<Q1:なんで王子は何回もシンデレラを取り逃すの? バカなの?>
A:原作では、王子はシンデレラにさらに危険なことをしていた
映画版では、王子は
(1夜目)シンデレラと踊る→逃げるシンデレラを取り逃す
(2夜目)シンデレラと踊る→逃げるシンデレラを取り逃す
(3夜目)シンデレラと踊る→逃げるシンデレラを止めるために階段にコールタールを塗ったくる
という、2度もシンデレラを取り逃す王子はバカだろ!と誰もが思うシーンがありました。
ミュージカル版でも、この場面は同様です。
しかし、グリム童話の原作は違うのです。
原作は
(1夜目)シンデレラと踊る→木を倒してシンデレラを足止めする
(2夜目)シンデレラと踊る→納屋に逃げたシンデレラをいぶりだすために納屋に火をつける
(3夜目)シンデレラと踊る→逃げるシンデレラを止めるために階段にコールタールを塗ったくる
映画では王子は何にも対策をしておらず2回も取り逃すのだけど、原作では1夜目も2夜目も罠をしかけていたのです。一歩間違えばシンデレラが死ぬ罠を!
映画でも王子はクズだと思っていたけど、原作ではより一層クズでした。
※記事の初出時、この原作の展開がミュージカル版にもあったと記載していましたが、ミュージカル版は映画版と同様の描き方でした。すみません。
<Q2:なんで王子はパン屋の妻と浮気をしたの?>
A:シンデレラを手に入れた時点で満足してしまったから。
映画版で多くの人が「ハァ?」とキレかけた、王子の森の中での突然の浮気(キスを迫る)。
じつはこれ、王子はシンデレラを手に入れようと努力しすぎて、その目的を果たしてしまったがために彼女に興味がなくなったのです。
例えるなら、東大に入るために勉強しまくったけど、いつしか合格することがゴールになってその後の人生がどうでもよくなった東大生みたいなもんでしょうか(大変失礼な例え)。
結論としては、王子は超絶ドクズということで。
ちなみに、ラプンツェルのほうの王子(弟)にも、ミュージカル版ではさらにクズエピソードがあるそうです(ひでえ)。
<Q3:なんでふたりの王子は歌いながら胸をバッと見せるの?>
A:ただのファンサービスです。
ミュージカル版には胸をはだけさせることなんてありませんし、滝のそばで歌っていません(ふたりの王子が歌うシーン自体はある)。
クリス・パインとビリー・マグヌッセンの胸元が観れたらそれでいいんです。
<Q4:なんで魔女は最後に沼に消えていったの?>
A:魔法の豆をすべてばらまいたことで、魔女の母親からの呪いが解けた
魔女は、魔法の豆を作った張本人です。
彼女は魔法の豆が盗まれた罰として、魔女の母親から呪いをかけられ、醜い姿に変えられてしまいました。
映画のクライマックスで、魔女が豆を撒き散らすと、木がなるのではなく、なぜか沼ができて魔女は消えてしまいました。
これは魔女が魔法の豆をすべて使い切ってしまった=母親からの呪いから逃れた=同時にパン屋が成しえた呪いを解く効力(若々しさを保つ魔法)が消えてしまった(?)から、消えるしかなかったと考えるべきなのでしょうか。
……いまいちしっくりこないところがあるので、ご意見をお待ちしています。
※以下の意見をいただきました。
魔女の所は豆を棄てまくった結果、母親の呪いで老婆どころか沼になってしまったのだと思ってました。
※もうひとつの意見もどうぞ
魔女が沼に飲み込まれたのは豆を失ったことによる母親からの罰だと思います。魔女が最後にクランチ!と言っているので母親(地球?悪魔?)に噛み砕かれたイメージではないでしょうか。
<Q5:なんで牛は唐突に死んでしまったの?>
A:理由は不明(そういうギャグシーンだった)
ミュージカル版では(映画でもだけど)、ジャックの牛は唐突に死んでしまい、「あれ?死んじゃった?」みたいな空気になります。そういうギャグシーンなんです。とくに死んだ理由などはミュージカル版では描かれていません。
生き物が唐突に死ぬことで笑うというのは、なかなかハードルが高いよなあ。
※以下からは、賛否両論激しい本作について少しだけフォローします。
<そもそも日本人向けじゃない?>
『イントゥ・ザ・ウッズ』はミュージカル版でも映画版でも、唐突に牛だけでなく人が死んでしまいます。
しかも強引な展開だらけです。
本作は、そうした「おとぎ話とは全然違う」ということ自体をギャグにしていると思うのです。
だけど、これは日本人には受け入れられないと思います。
作中で動物や人が死んでしまうことは悲しいことです。
前後にどれだけ笑えるシーンがあろうとも、ひとたび「死」というものが登場すると神妙な面持ちになってしまうのは仕方がないと思います。
この映画に必要なのは、動物や人が死んでもゲラゲラ笑い、ありえない展開をも楽しむアメリカンな鋼の心だと思うのです
実際にミュージカル版を観ると、観客は「ひどい」シーンで大いに笑っています。
でも、人が死んでいるのに笑うなんて、やはり教育上悪い映画かもなあ……
<もともとはグリム童話です!>
『イントゥ・ザ・ウッズ』に登場するおとぎ話の原作はディズニー映画ではなく、グリム童話です(ジャックと豆の木はイギリスの童話)。
※以下の意見をいただきました。
ディズニー映画の『塔の上のラプンツェル』が作られられたのはイントゥ・ザ・ウッズのミュージカルが上演された後です。 だから魔女が若さを求めるという設定はグリム童話からでなくイントゥ・ザ・ウッズからのパク・・・インスパイアですね。
だから、シンデレラはガラスの靴ではなく金の靴を履くし、フェアリーゴッドマザーやカボチャの馬車なんてものも登場しません。
シンデレラの義姉たちがかかとをそぎ落としたり、鳥に目をつつかれるという残酷なシーンもあります。
ディズニー映画しか知らない日本人が観たら、その展開をショックに思うことはしかたがないのかもしれませんね。
<じつは教育的?>
さっきは教育上悪い映画だな!と書いてしまったけど、教育上によさそうな要素もあります。
それはジャックの豆の木のパート。ジャックは自分の願いをかなえるために巨人を殺し、その妻から復讐されようとしているのです。
ジャックははっきり言って強盗殺人者です。
本作ではその落とし前がつけられること、悲劇の連鎖が生まれることを描いています。
それこそ、巨人の妻という「被害者」の立場になって……
最近は昔話で残酷描写が避けられていたりするけど、こっれはかえって子どもによくないと思います。
攻撃をすると相手は傷つく、その傷は一生消えないほど深いものかもしれない。
傷つけた相手には家族がいて、そのことで悲しむ人が増えるかもしれない。
残酷描写や「傷」を描かないことによって、そうしたことが伝えられなくなってしまうことも考えられます。
『イントゥ・ザ・ウッズ』では復讐してきた巨人の妻をも殺すという平和的解決から程遠い手段を選ぶのだけど、「選択のために誰かがそばにいてくれるはず」というメッセージを残してくれます。
子どもを正しい道に導くのは、大人です。
本作は、大人がこそが子どもの教育について考えられる作品なのかもしれません。
私が『ウッズ』を酷評した最大の理由は、脚本的な破綻です。
こと、伏線主義者なので、明かな端折りがあると大きく点数をマイナスします。
過去には、多くの人が高く評価している『レ・ミゼラブル』を酷評したこともありました。音楽的な出来は素晴らしいのですが、物語が余りにも判らなすぎる。ジャンの窃盗シーンも無ければ、姉の家族に到っては登場すらしない。これではジャンが何故に投獄されたのか、まるで共感できない。
『ウッズ』も同様。「お前ら、原作童話なんか知ってるだろ、だからその辺は飛ばすぜ」という作りは幾らなんでも乱暴過ぎる。もし中途半端にそれを描くくらいならば、冒頭でさらっとプロローグ的に流し、本編では必要に応じて軽く回想として描く程度に割り切ってしまったほうが、むしろすっきりしたと思うのです。
『寄生獣』を思い出してほしいです。
あれは脚本に於ける物語の取捨選択がうまかった。そして、物語を引っ張る必要がある場面ではミギーにその役をやらせる事で展開速度を上げることに成功していた。だから原作を知らなくても話が判るし、「寄生生物って何さ?」という疑問なんてマクガフィンとして流せていたんです。(まぁ原作の段階でマクガフィンではありましたけれども)
最近、私は『ファイナル・ジャッジメント』を引き合いに出して『仮面ライダー3号』を評価しましたが、両作ともプロットに通ずるところがある(何かいつの間にか悪しき者達に占領されているとか、市民が弾圧を受けているとか、カーチェイスがあるとか)にも関わらず、描く場面の取捨選択が全く違ったのです。前者は占領に到る経緯もその理由もまったくすっ飛ばした反面、説法だけは矢鱈と尺を掛けた。後者はジャンルがジャンルなので「正義がどうの」という話はあっても、それよりも面白いバトルやカーレースに重点を置き、しかも占領に到る歴史や複線を(子ども向け程度ではあるものの)きちんと描いていた。
かように、何を描き、何を省くか、そのバランス次第で面白くもつまらなくもなるのだと、私は思うのです。
(古参ディズニーファンの皆様にはごめんなさい)
>でも、人が死んでいるのに笑うなんて、やはり教育上悪い映画かもなあ……
自分の観た劇場は親子連れも多かったのですが「人」が死ぬシーンで笑っている子はいませんでしたけど、狼が毛皮頭巾にされるシーンでは老若男女問わずの爆笑が起こりました・・・。
>ジャックははっきり言って強盗殺人者です。
保護してくれた巨人の奥さんに対しては完全に恩を仇で返していますよね・・・。
その怒りを買った所為で、母を亡くしたのも自業自得だと、対話して和解するとかのラストに出来なかったのかな、ディズニーなら。と毒ディズニー大好き邪道ファンらしからぬ事も考えてしまいます・・・。
>選択のために誰かがそばにいてくれるはず
これだけは本当に良かったです。「クロニクル」にも通じますね。
昨年、妙な犯罪起こした人も孤独な人が多かったような・・・。別に「リア充」を目指さなくても、たまに隣人と話すくらいは必要なのかもしれません。
ありがとうございます。追記しました
> 私が『ウッズ』を酷評した最大の理由は、脚本的な破綻です。
> こと、伏線主義者なので、明かな端折りがあると大きく点数をマイナスします。
> 過去には、多くの人が高く評価している『レ・ミゼラブル』を酷評したこともありました。音楽的な出来は素晴らしいのですが、物語が余りにも判らなすぎる。ジャンの窃盗シーンも無ければ、姉の家族に到っては登場すらしない。これではジャンが何故に投獄されたのか、まるで共感できない。
確かにそのあたりは省略されていましたね。自分はレ・ミゼラブルの原作を知らなくても、内容は十分にわかったので問題なかったのですが。
> これだけは本当に良かったです。「クロニクル」にも通じますね。
> 昨年、妙な犯罪起こした人も孤独な人が多かったような・・・。別に「リア充」を目指さなくても、たまに隣人と話すくらいは必要なのかもしれません。
いいメッセージですよね。本当にそのとおりだと思います。
だから魔女が若さを求めるという設定はグリム童話からでなくイントゥ・ザ・ウッズからのパク・・・インスパイアですね。
魔女が沼に飲み込まれたのは豆を失ったことによる母親からの罰だと思います。魔女が最後にクランチ!と言っているので母親(地球?悪魔?)に噛み砕かれたイメージではないでしょうか。
> だから魔女が若さを求めるという設定はグリム童話からでなくイントゥ・ザ・ウッズからのパク・・・インスパイアですね。
> 魔女が沼に飲み込まれたのは豆を失ったことによる母親からの罰だと思います。魔女が最後にクランチ!と言っているので母親(地球?悪魔?)に噛み砕かれたイメージではないでしょうか。
なるほど、ありがとうございます。追記させてください。