夜のおしごと大肯定 映画『新宿スワン』ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:3/10
一言感想:原作ファンとしては許し難い
あらすじ
一文なしの青年・タツヒコ(綾野剛)は、ある日スカウトマンであるマコ(伊勢谷友介)に出会う。
マコはタツヒコを気に入り、いきなりスカウトの仕事を任せようとする。タツヒコはそのときは知らなかったが、スカウトの仕事とはヘルスやアダルトビデオなど、いわゆる水商売だったのだ。
※否定的なことを多く書いているので、映画が好きな人にはごめんなさい。
※いただいた意見をネタバレに追記しています(6月1日)
同名のコミックを原作とした映画です。
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映画で描かれているのは、単行本で4巻くらいまでの内容です。
原作者の和久井健さんは元・新宿のスカウトマンなので業界にめっぽう詳しく、スカウトだけでなく闇金融やアダルトビデオや果てはホストまで、水商売にまつわるありとあらゆる「裏事情」をみることができることが作品の魅力のひとつでした。
映画では残念ながら細かな情報は基本的に割愛。まあ、これは時間が制限されている映画ではしかたがないと諦めがつきます。
しかし、自分はこの映画版の脚本が許せません。
その理由のひとつが、水商売における精神性が原作とは異なっているからです。
例えば、マコ(大物スカウトマン)がタツヒコ(主人公)に、スカウトの仕事を教え、女の子が水商売に手を出すシーンからしてぜんぜん違います。
原作のマコは、「俺この仕事向いていないっすよ、俺は女を騙すようなマネは許せねえんです」と言うタツヒコにこう返しています。
「もしあの子にたくさん借金があって、いやいや働いているとして、お前が助けてやるのか?
いいか?テレビの前で『かわいそう』とか「許せねぇ』とか言っているのはわけが違うぞ。それなりのリスクがあるんだ」
ところが、映画ではこうです。
「あのなあ、水商売で働く女がみんな不幸だと思ったら大間違いなんだよ。ここで欲しいもんを手に入れた女は買いたいものが買えて、家にも住めるんだ」
さらには、映画のタツヒコは「関わった女を全員幸せにしてみせます!」と宣言していました。
つまり、水商売で働くことを(全員ではないにしても)幸せであると肯定しているというわけです。
違う……違うよ……マコはそんなふうにスカウトの仕事を語っていなかったよ。
原作を読んでいない人に説明すると、原作のタツヒコはスカウトの仕事をしながらも、水商売の仕事に「落ちていく」女の子を見て、自身の正義感との矛盾を感じているんです。
原作ではタツヒコがおっぱ◯パブで奉仕をする女子たちを見て心底ゾッとし、自身にも「明るい未来はない」と覚悟を決め、それでいて「人として、正義でありたい」と宣言するのです。
この複雑なタツヒコの想いが表れていることが大好きだったのに、映画では「風俗に行った女性を幸せにします!」という宣言になっている……これにはがっかりしていました。
ただ、映画でも、人一倍やさしいタツヒコが女の子が幸せになるとは思えないスカウトの仕事に身を置き、それでも誰かの幸せのために行動するという根本の部分は変わっていません。
はじめに女の子を面接をするシーンでは、タツヒコは水商売の「汚い部分」を見ているので、ある程度は納得できる部分もあります。
だけど、水商売を(否定するよりはましですが)さも「いいもの」として肯定するのは、原作で水商売の「裏」のを徹底的に描いていたこととは異なるので、してほしくなかったのです。
原作のマコが言ったように「お涙頂戴な世界ではない」「リスクがある」世界なのですから……。
もうひとつ許せなかったのは、中盤にあったとあるタツヒコのセリフです。
タツヒコが原作の2倍くらい「愚直なバカ」になっているのは許容できても、原作のスピリットをないがしろにするこの発言はないでしょう。
さらに敵となるヒデヨシの描写もまったく異なっており、原作の重要なセリフすら拾えていません。
果ては、その決着のつけかたは原作を読んでいなくても納得できないという有様でした。
ちなみに本作の監督は『冷たい熱帯魚』や『地獄でなぜ悪い』などの映画ファンが熱狂する傑作を手がけてきた園子温なのですが、これっぽちもその個性が発揮されていないのも悲しくなりました。
映画全体のノリは三池崇史監督の『クローズZERO』シリーズとほぼ同じで、音楽やカット割りや演出に至るまで「園監督らしさ」がみられません。
園監督作品の冒頭にいつも表示される「SONO SION'S FILM」のロゴすら存在していません。
これは山本又一朗(水島力也名義で本作の脚本も兼任)プロデューサーと組んだためなのか、それとも商業用映画の製作のためいつもとスタッフの体制と違ったためなのか、理由は定かではありませんが園監督は「今までの自分を全部捨て去って、新しい監督となって挑んだ」と語っています。何かしら大人の事情が絡んでいるのでしょう。
園監督好きな方にも、映画はおすすめしづらいです。
また、本作は水商売を題材としながらPG12指定止まりです。
どうせなら園監督らしくエログロ満載、R15+かR18+指定で公開してほしかったと願う方は少なくないでしょう。
※以下の意見をいただきました。
本作は、園監督が脚本を手掛けてないほぼ初めての作品みたいです。確か情熱大陸に出演した際に「一度こういう商業映画もやってみたい」と言ってた気がします。近々公開の「ラブ&ピース」「リアル鬼ごっこ」に期待ですね。あ、でも数回鳴った太鼓の音は園監督ぽかったです。
ここまで残念な点ばかりあげましたが、もちろんよかったところもあります。
まずは役者の存在感。綾野剛は愚直だけど人を惹きつける力を持つタツヒコを好演し、伊勢谷友介は
話がどうであろうと、役者のファンにとっては大満足できる作品かもしれません。
また基本的に脚本はとっちらかっていて、ご都合主義満載なのですが、一部ではタツヒコの気持ちを表したシーンをしっかり入れています。
そこよりも、ちゃんと原作の精神性を引き継いでほしかったのですが……。
誤解のないように言っておきますと、原作を読んでいない人にはとっては楽しめる作品だと思うんです。
撮影や編集は洗練されており、組織の抗争やキャラクターの個性などは十二分に描かれています。
だけど、原作のおもしろさ、感動はこんなものではありません(最終巻の38巻(←レビュワー大絶賛)を読んだ時には泣きました)。
これほどの巻数がありながらも中だるみをせず、しっかり伏線を回収し、これ以上のないラストを迎える……「水商売もの」という枠を超えた、珠玉の人間ドラマがそこにはありました。
原作を読んだのは、映画の公開がきっかけでした。
それだけでも、本作に感謝をしています。
以下、結末も含めてネタバレです 鑑賞後にご覧ください↓
〜スカウトの仕事をなめるな〜
映画のタツヒコに「ホストの仕事やっててけっこう楽しいですよ!」と言わせていたことには、ふざけんなと言いたいです。
原作でのタツヒコは(単行本の4巻で)部下が「スカウト楽しいっすよ」とほざいたことに、むしろイライラを募らせています。
なぜなら、このときのタツヒコは、スカウトの仕事のためにヒデヨシを失い、不幸であった女の子を見てきたから。彼はスカウトという後ろめたい想いもある仕事を「楽しい」と思うこと自体に「そういうんじゃねえだろ!」と憤っているんです。
映画のタツヒコは、このときスカウトを始めて間もないため、「楽しい」という感情があったこともわかるし、スカウトをしながら女の子を幸せにしたいという気持ちがあるため、シーンを切り取って判断するだけなら問題はありません。
しかし、スカウトに対して重い過去を持ちながらその仕事に身を置いていたタツヒコというキャラクターに、この「楽しい」なんてセリフを言わせてしまうこと自体が、原作に失礼だと思うのです。
さらに、タツヒコが同僚のヨウスケをバカにするのは、原作ではタツヒコの部下がやっていたことです。
正義感が強くて、基本的に真面目な(はずの)タツヒコにあんなことをやらせる意図がわかりません。綾野剛の変顔は見事でしたけどね。
※以下の意見をいただきました。
私は、ハーレムに仕掛けるシーンで、マコさんがタツヒコのことを関さんとの会話で、タツヒコは俺の手下だと、言った台詞がどうしても許せませんでした。
マコさんは絶対タツヒコのことを手下だなんて言わない。
〜普通の女の子をシャ◯付けにした男に「また喧嘩しよう!」〜
もうクライマックスが本当にひどい。
タツヒコはビルの屋上で、「アゲハ」に覚せい剤を渡したヒデヨシとボッコボコのケンカをします。
そんなにっくき相手のはずのヒデヨシに、タツヒコが言ったのは「てめえはこれからダチ(友だち)だ! また喧嘩しような!」でした。
ようし、いまならこの脚本を書いたやつにビンタできる。
原作ではぜんぜん違います。
ヒデヨシはアゲハに直接覚せい剤を渡していないし、
ヒデヨシはタツヒコに「俺もお前もやっていることはたいして変わらねえだろ?」とその正義感に揺さぶりをかけていたし、
ヒデヨシの過去の描写までもが違います(原作のヒデヨシは母に捨てられた過去を持ち、何よりも「強くなりたいと思ったからドラッグの仕事までに手を染めていました)。
原作のタツヒコは、ヒデヨシのことを気づけず、助けになってやれなかったことを悔やんでいました。
それでいて、タツヒコに「逃げるか」「捕まるか」の選択肢を与えています。
その後、タツヒコが涙ながらに「今日はこれ以上、つらい思いをしたくないんだ」と語るのは名シーンのひとつです。
タツヒコは決して覚せい剤をばらまくヒデヨシを許していない、だけど、ヒデヨシのことを信じて選択肢を与えていたのです。
で、映画でもそのクライマックスを期待していたら……そこは完全にすっ飛ばして、殴り合ってなぜか「あはは」と笑いあっていました(大切な女性が覚せい剤づけにされたのに)。
あはは(阿修羅像のような顔で)、原作読み返せ。
これは、序盤でマコがタツヒコの喧嘩を仲裁して「いまから俺はこいつのダチになるんだよ」と言ったこととの対比なのでしょうが、これは変だよ(原作のマコはそんなこと言わないし)
ちなみに、原作ではビルを隔ててふたりが立っていることを、ヒデヨシが「オレは超えちゃいけない一線を越えてしまった。この一線はビルの谷間みてえなもんだ。もう戻りかたもわかんねえ」と呟くシーンがあります。
この後にタツヒコが、ヒデヨシのためにその「一線」を軽々とジャンプして助けに来てくれるから感動できるのですが、映画ではこのセリフも全カットでした。もう本当……(言葉もない)。
〜ほかにも微妙なところ〜
原作では、会社の合併吸収の策略のためにタツヒコがハメられたことについて、マコが「何も知らない新人に責任を負わすのはおかしいでしょう」と提言するシーンがあります。
しかし、映画のタツヒコは顔を自ら床や消化器にぶつけまくって「死んでやる~」とほざき、マコに「バカかお前、掃除が大変だろうが!」と説教されるシーンしかありません。なんだよそれ。
ちなみに、アゲハが持っていた絵本「まぼろしの王子様」も映画オリジナルです。
それはいいけど、別のスカウト中の女の子をほっぽいて、アゲハと逃げ出すタツヒコもどうかと思った。ちゃんと仕事しろ。
〜脚本のよかったところを探そう〜
リストカットの痕があった女の子の「リンコ」が、クレーンゲームでタツヒコにぬいぐるみをプレゼントするシーンはよかったです。
この後にリンコは自殺をしてしまい、タツヒコはリンコの傷の事を避けて会話をしていたこと、気付いてやれなかったことを悔やみます。
一方で、アゲハには、タツヒコのほうがぬいぐるみをプレゼントしてあげます。
これは「愛(気付いてあげる気持ち)の方向性」を示しているのでしょう。
タツヒコはリンコのことを気づけなかったから、アゲハのことをわかろうと、愛情を持って気付いてあげようと接していたのでしょうね。
また、アゲハの持っていたナイフが「逮捕されるきっかけ」になり、ヒデヨシがその昔に振るったナイフが「転落のきっかけ」になるという対比もよかったです。
やはり、暴力というものは肯定できるものではないのでしょう。
ラストでは、タツヒコが「スカウトでなかったころの昔の自分」に戻り、「いままでに歌舞伎町で出会った人たちを見る」というシーンがあります。
これはタツヒコが、スカウトではない「ふつうの人」として見た、いままで出会った人たちの姿なのでしょう。
タツヒコはスカウトという仕事に疑問を抱いていたので、「ふつうの人」として、いままでに会った女の子やヒデヨシが「幸せであったか」を想像したかったのだと思います。
※以下の意見をいただきました。
個人的に驚かされたのがシャブ編の段階で裕香さんではなく、金主の卯月を匂わせるキャラが登場していたことと、最後のシーンで真虎さんのあのライターが再現されていたことには驚きでしたっ!
※最後にタツヒコが女の子に声をかける前に見たのが「アゲハ(沢尻エリカ)」だったのか、ちょっと自信がありません。ご意見をお待ちしています。
→以下の意見をいただきました。
ラストのタツヒコが見た子はたしかにアゲハの沢尻エリカでした。
個人的にあれは似てる人風な演出で(だけど沢尻本人)タツヒコが思い描いた普通の女の子だったらあんな感じで幸せだったんだろうなというメッセージがあったんでしょうかね
※あとエンドロールに関根勤の名前がしれっとあったんですが、どこにいたんでしょうか(笑)。
→以下の意見をいただきました
中盤のキャバクラの店長役でした。ポマード&オールバックだったので雰囲気変わってましたが、劇場で結構笑いが起きてました。
原作の大ファンで普段漫画も読まない自分が
唯一全巻揃えた漫画が新宿スワンでした。
公開初日に劇場に観に行きました!
正直自分が思っているものではなく
あれはあれで原作を知らない人であれば
面白いのであろうが・・・という
モヤモヤがずっとありましたが、
この記事を読んでそれが解消されました!
記事にあった事以外で、個人的に驚かされたのが
シャブ編の段階で裕香さんではなく、
金主の卯月を匂わせるキャラが登場していたことと、
最後のシーンで真虎さんのあのライターが
再現されていたことには驚きでしたっ!
あと、関根勤の件ですが、リストカット跡がある子が
勤めることになったキャバクラのオーナー(店長?)の
役で出ていましたよー!
長文失礼致しました。
これからも頑張ってください。
突っ込みどころ満載でしたね。
私も脚本については、本当に残念な感想です。
でも確かに、役者さんは皆素敵でした。役柄については置いとして、山田孝之は最高にクレイジーでかっこよかったです。
私は、ハーレムに仕掛けるシーンで、マコさんがタツヒコのことを関さんとの会話で、タツヒコは俺の手下だと、言った台詞がどうしても許せませんでした。
マコさんは絶対タツヒコのことを手下だなんて言わない。
> マコさんは絶対タツヒコのことを手下だなんて言わない。
そうですよね・・・ていうか出会った時にはダチだって言っていたのに。追記させてください。
> この記事を読んでそれが解消されました!
ありがとうございます。
> 記事にあった事以外で、個人的に驚かされたのが
> シャブ編の段階で裕香さんではなく、
> 金主の卯月を匂わせるキャラが登場していたことと、
> 最後のシーンで真虎さんのあのライターが
> 再現されていたことには驚きでしたっ!
> あと、関根勤の件ですが、リストカット跡がある子が
> 勤めることになったキャバクラのオーナー(店長?)の
> 役で出ていましたよー!
こちらも追記させてください。しっかり原作を読み込んだファンの方に意見をいただけてうれしいです。
個人的にあれは似てる人風な演出で(だけど沢尻本人)タツヒコが思い描いた普通の女の子だったらあんな感じで幸せだったんだろうなというメッセージがあったんでしょうかね
> 個人的にあれは似てる人風な演出で(だけど沢尻本人)タツヒコが思い描いた普通の女の子だったらあんな感じで幸せだったんだろうなというメッセージがあったんでしょうかね
ありがとうございます。追記します。
やはり!原作とは肝心な部分が相当違っていたのですね!これで色々腑に落ちました。
ドロドロの中に見える一筋の光、とか、屈性しながらも、それでもこの街で生きていくのだ、という決意に圧倒的に欠けていて残念なできだと思っていたのです。
けっこう楽しめましたよ。登場するキャラもそれぞれ立っていて良かったと思いました。
原作と違うと指摘があった点も、映画を観て感じ取れました。
それよりも、気になったのは今まで見た映画やTVドラマが頭を駆け巡ったことです。その分、相乗効果で面白くはありましたが。
山田孝之+綾野剛→「闇金ウシジマくん」
山田孝之→ヒデヨシ→「信長協奏曲」
新宿のストリートシーン→「TOKYO TRIBE」
全体的なノリ+山田優→実写版「ルパン三世」
中学生(?)の乱闘シーン→「クローズ ZERO」
伊勢谷友介→青年に教える→「花燃ゆ」
ボーリング場の対決シーン→「パッチギ」
では、失礼します。
『ダチだバカヤロー!』
は、元々脚本には無く、綾野剛のアドリブだったと、パンフのインタビューに書いてありました