細田監督が提案する親のカタチ 映画『バケモノの子』ネタバレなし感想+ネタバレレビュー
個人的お気に入り度:8/10
一言感想:意味なんて自分で見つけるんだ!(←作中の台詞)
あらすじ
両親のいない少年の蓮は渋谷の街をさまよい、バケモノの熊徹に出会う。
蓮はバケモノの世界である「渋天街」に迷い込み、熊徹は蓮に九太という名前をつけて、弟子にとろうとするのだが・・・
『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』の細田守監督最新作です。
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細田監督作品は不思議なまでに賛否両論になるもので、本作『バケモノの子』においても例外ではありません。具体的な否定的な意見に多いのは、後半の展開がコレジャナイということでした。
中盤までの物語は、少年とバケモノが出会い、お互いを罵り合いながらも、徐々に信頼し、成長をしていくというものです。
この設定で、名作漫画『うしおととら』を思い出す人も多いのではないでしょうか。
![]() | 藤田 和日郎 1296円 powered by yasuikamo |
ぶっちゃければ、『うしおととら』も『バケモノの子』も主人公ふたりともがツンデレなんです。
口では喧嘩ばっかりしているけど、内心はとても愛おしく思っているっていうね。かわいいなこいつら。
そんなふたりの交流が描かれる『バケモノの子』の前半の描写は、誰もが楽しめているようです。
ただし、後半ではこの流れを断絶するような、ある出来事が起こります。
前半のワクワクはなんだったのかと、ガッカリする人が多いのも無理はないでしょう。
しかし、自分にとっては後半の展開こそが重要な作品であると感じました。
そこには、細田監督の考える(理想的な)「親」の姿があったからです。
細田監督は前作『おおかみこどもの雨と雪』で批判を大いに浴びました。
その理由のひとつが、「勝手すぎて感情移入ができない」「子どもに外界と接触させないようにしている」という母親像です。
監督は、この作品で「大変な想いをしているお母さんの姿を描きたかった」と語っていますが、実際は多くの人がその母親像に拒絶反応を起こした―
これは監督にとって、不本意なことだったと思います。
では、今作『バケモノの子』ではどうかと言うと、男親(父親)はダメ人間でもオーケーだというメッセージを投げかけています。
それだけ言うとまた批判を浴びそうですが、決してそうならないところがミソです。
『バケモノの子』に登場するダメ人間(バケモノ)は、主人公の熊徹です。
掃除をちゃんとしないわ、剣術の教えかたがど下手くそだわ、仕事はもっぱらアルバイトです。
作中でも「子どものようなお前に保護者は務まらんよ」と言われるくらいで、親としてもいろいろとアウトです。
だけど、物語は「それでもいいんだよ」と、最終的な結論を導き出しています。
いやいや、親がダメ人間でいいわけねえだろ、と思う方は、ぜひ映画を観てみてください。
細田監督は『おおかみこども』公開後に子どもが生まれたため、より親としてのありかたを考えたのでしょう。
現代社会において、新たな親のカタチを描いたことに、本作の新たな意義を感じます。
この作品もうひとつ素晴らしいと思えたのは、そんなダメ人間の熊徹に寄り添う、「悪友」ふたりの存在です。
彼らも、「近所のおじさん」「親を手助ける親友」のような人物として、ある意味では親がわりとして子どもと接しているんです。
近年では晩婚化が進み、そもそも結婚をしない、子どもをつくらない家庭も多くなっています。
熊徹のように、子どもへの接しかたが下手くそだったり、安定しない仕事のために経済的に苦しい親もいるでしょう。
でも、本作においては、ダメな親であっても、支えてくれる友だちがいればいいじゃないか!という訴えがある(ように感じられる)のです。
この設定で、自分は(細田監督も影響があったかもと言っている)映画『スリーメン&ベビー』を思い出しました。
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『赤ちゃんに乾杯!』という作品のリメイクで、描かれるのは独身貴族を続けたために育児のことなんて何ひとつ知らない3人の男が、突然現れた赤ん坊の世話をがんばるというものドタバタ劇です。
『バケモノの子』に似ているのは「3人の男が子どもを育てる」という1点くらいなのですが、間違った育児をする男どもがとにかくおかしかったり、間違えて麻薬の運び屋に赤ん坊を渡してしまうシーンなど、かなりおもしろいコメディに仕上がっているので、ぜひ一度観てほしいですね。
(幽霊の少年が映り込んでいるという話題のほうで、有名になってしましたが・・・)
もうひとつ似ているのは、(これも細田監督が影響を認めている)『スネーキーモンキー 蛇拳』です。
![]() | ジャッキー・チェン 1432円 powered by yasuikamo |
こっちは『バケモノの子』との共通点がものごっそい多かったりします。
【『バケモノの子』/『スネーキーモンキー 蛇拳』、それぞれ共通点(一例)】
・弟子(主人公)がひとりぼっち
自分からひとりで生きようとする/親のいない孤児
・師匠がダメ人間
自分勝手で荒っぽい性格/家賃の取立て人をボコるクズじじい
・師匠と弟子が飯をがっついて食べるシーンがある
卵かけご飯/お茶漬け
これでもほんの一部。
中でも、修行シーンではかなりの類似がみられるので、ジャッキー・チェン映画ファンにとっては感涙ものなのではないでしょうか。
そのシーンはネタバレになるので↓に書きます。
細田監督は、本作をひと言で表すと「修行もの」であると答え、近年ではブルース・リーやジャッキー・チェンの映画のような修行をするような作品がないと考えて、本作を製作したそうです。
いきなりスーパーマンになるよりも、修行をして強くなるというのは、子どもの教育にもいいですよね。
さらに、本作はいままでの細田監督作品の要素が全部詰め込まれています。
・家族の物語→『おおかみこどもの雨と雪』
・思春期の少年少女の恋愛→『時をかける少女』『サマーウォーズ』
・抽象的な世界でのバトル→『サマーウォーズ』『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』
・かわいい女の子と思ったら、じつは男の子でショタコン大歓喜(笑)→『サマーウォーズ』


どれだけ細田監督がかわいい男の子に偏愛している
<池沢佳主馬とは (イケザワカズマとは) [単語記事] - ニコニコ大百科>
そんな監督には、実際に犯罪を犯さないショタコンはえらい!という理論を展開させる『ニンフォマニアック Vol.2』を観てほしいですね(大きなお世話)。
また、細田監督の中では比較的観た人が少ないであろう『ワンピース THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』の影響も多分に感じました。
![]() | 田中真弓 3266円 powered by yasuikamo |
この作品は『ワンピース』らしからぬ暗くて重い内容のため、ファンから嫌われまくった問題作です(自分は好きですが)。
後半の「登場人物の気持ちが具現化する」ということには、『バケモノの子』と似ています。
子ども向けとは思えないグロテスクな要素もあるので視聴にはご注意を。ていうかジャケットとタイトルからそんな作品だとは予想できねえよ。
さらにさらに、作中では小説『白鯨』が重要なモチーフとして登場します。
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『白鯨』は文学史上に残る名作と呼ばれる反面、読破するためにはかなり根気が必要な作品として有名です(自分も挫折した経験があります・・・)
なぜ読むためのハードルが高いかは、以下の記事を参考にしてみてください。
<命の恩人・魂の作家ベスト~外国文学編 - 文芸ジャンキー・パラダイス>(2位を参照)
<白鯨の思い出 - 空中キャンプ>
本作には難点もあります。
そのひとつが、↑にあげたように膨大な作品のオマージュや要素がありすぎるために、詰め込みすぎな印象を受けること。
ほかにも、
後半の展開が抽象的すぎたり、
途中で登場するヒロインの設定がいくらなんでも都合がよすぎたり(笑)、
30〜40代くらいのはずの年齢の男が高校生くらいにしか見えない作画がされていたり、
ミスチルの主題歌があまり作品とマッチしていなかったり、
※歌詞もふくめてちゃんとマッチしているよとの意見をいただきました。
わかりやすい説明台詞がある一方で、説明が不足していて観客を置いてけぼりにしたりと、
気になるところは少なくありません。
個人的にあまり好きではなかったのは、前述の『白鯨』が意味していることを、はっきりと劇中で言っちゃうこと。
『白鯨』はさまざまな解釈がある作品ですし、物語の途中で投げかけられる「意味なんか自分で考えろ」というメッセージまでもを、ないがしろにしているように感じました。
それでも・・・アニメーションとしてのおもしろさだけで、そんな不満点はどこかへ消えていってしまえます
序盤での「対決(相撲)」シーンの躍動感(とくにぶつかった剣が震える描写は必見)、修行をしていく強くなっていく過程、「映画らしさ」を重視した構図や演出などなど・・・退屈なシーンがひとつもないように、エンターテインメントに徹している作風だけで、多くの方に受け入れられるのではないでしょうか。
俳優による声もほぼ文句なし。
役所広司演じる熊徹は、声までもが「愚直で不器用なバカ」に思えるキャラになっています。
リリー・フランキー演じる「やさしいおじさん」の役も大好きでした。
ちなみに細田監督自身、悪友のふたりに、リリー・フランキーと大泉洋を配役したのは、顔が似ている(笑)というのが理由のひとつと語っています。
『おおかみこども』に続いて、高木正勝による音楽も素晴らしかったですね。
![]() | 音楽:高木正勝 3240円 powered by yasuikamo |
高木さんの作品で、ぜひ聞いてほしいのが、アルバム『COIEDA』でに収録されている「girls」。ゲーム『ルミネスII』でこの曲がラストに流れたときには感動したものです。
本作は、作中で「意味なんか自分で考えろ」という台詞があるように、いろいろなシーンに「意味」を考えていけば、奥深さが味わえる秀作であると感じました。
本作は批判意見が溢れかえっているので、観ることを躊躇する人は少なくないでしょう。
だけど、おもしろいか、おもしろくないか、はたまたその作品に意味を見いだすのは、観る人それぞれによって違います。
ぜひ、本作で細田監督が提言する「意味」を考えてみてください。そうすれば、きっと忘れられない作品になると思います。
以下、結末も含めてネタバレです 鑑賞後にご覧ください↓
〜いただいたコメントからの不満点〜
※いただいたコメントの抜粋です。毎度ありがとうございます。
一郎彦の扱いが正直雑じゃないかと感じました。
何よりも一郎彦が今回暴れるだけ暴れてスッキリして後は何も覚えてないと言うのがいくらなんでもそりゃないだろ…と思いましたね。
「心の闇が全部悪いんだ!」と言うのも、一郎彦は自分のプライドの高さと生い立ちから歪んでいったわけですし
罪を憎んで人を憎まずと言うのを分かっていても
やっぱり一郎彦は最低限自分の犯した罪を反省して欲しかったです。
また猪王山も熊徹が刺されてるのに叫ぶだけで殴ってでも止めようとしなかったのはどうかと思いました。
後のフォローにしたって寝てる一郎彦看病してるだけかい!と突っ込んじゃいましたし
せめて九太についていくくらいの男気は欲しかったですね。
この辺が主人公コンビを好きになればなるほど余計にうーん…と思ってしまいました。
・ツッコミどころ1
9年間行方不明だった九太が役所に行って、学校に行く方法を模索する場面。
急にリアリティを放り込んでくるのは構わないですが、9年間行方不明になっていた人間が出てきたら、もうちょっと大事になってもいいような…。
そっちのリアリティは無視なのかなぁ。
・ツッコミどころ2
闇に飲み込まれた一郎彦がバケモノ界から人間界へ行って九太を襲う場面。
監督としては渋谷で戦わせたかったから、一郎彦を人間界に行かせたのでしょうが、流れが不自然です。九太を憎んでいる一郎彦がバケモノ界にいる九太を残して、人間界で待っているのは行動としておかしいです。
お前の方からかかってこんかい。
・ツッコミどころ3
一郎彦が『白鯨』を読んで、「クジラ」になる場面。
赤ん坊の時からバケモノの世界で育った一郎彦がどうやって人間界の文字を読めたのでしょうか?九太と違って、一郎彦はひらがなも読めないはずです。
「初見の本を読んでクジラになり、九太達を襲う」という流れも理解に苦しみます。もしカフカの「変身」を手にしたら虫になって襲ってくるのでしょうか?
・ツッコミどころ4
九太「そうか!一郎彦はクジラになって襲ってくる前に一瞬姿を現すんだ!」
一郎彦さんはTVゲームのボスみたいな隙を与えてくれますね。親切。
・ツッコミどころ5
九太「俺が一郎彦の闇を吸い込んでやる!」
え!?その胸の穴って、他の人の闇を吸い込めるの!?ダイソンなの!?てか何で使い方知ってんの!?
〜スネーキーモンキー 蛇拳っぽいところ〜
まあ何より、九太が熊徹の足取りを地面に描いて、それを真似するというシーンがめっちゃ『スネーキーモンキー 蛇拳』っぽいです。
『蛇拳』では、師匠が描いてくれたマークを、主人公の弟子が修行するようになっていました。
ほかにも、熊轍が、猪王山と戦ったときに誰も応援してくれないということも、『蛇拳』の主人公が道場でいじめられていた(八百長の道具として使われていた)ことを彷彿とさせます。
どちらも「社会的につまはじきにされた人」の物語になっています。
〜九太の考え〜
九太は「自分の生きかた」について悩んでいました。
熊鉄の弟子になるという提案にもはじめは乗り気ではなかったですし、
各地の宗師の言葉(強さについての価値)には興味を持ち、
成長して渋谷に戻ったときは、楓と出会い、そこでの生きかたを探します。
このとき、九太は「俺もふつうになれるかな」と言っています。
九太はバケモノの世界でずっと生きてきて強くはなったけど、小学校にも行っておらず、本当の親と過ごすこともできませんでした。
そして九田はあっさり見つけた本当の父親と過ごそうとするのだけど・・・「いままでの辛いことは忘れてしまえばいいさ」という父親に「あんたに何がわかるっていうんだ」と激昂し、去ってしまいます。
九太は、「ふつうの人間として生きたい」と思う一方で、バケモノの熊徹と過ごした時間も大切だと思っていたのでしょう。
どちらの生きかたを選べばいいのかわからない、その自分の優柔不断さに、九太は苛立ちを隠せなかったのです。
余談ですが、この後に九太が楓に壁ドンをするシーンが怖いものとして描かれているのがよかったですね。
そのドキドキはぜったいに恋愛感情じゃないよね。
〜熊徹の決断力〜
熊徹は人の意見をなかなか聞こうとしない荒くれ者でした。
百秋坊は熊徹のことを「あいつは親を亡くしてずっとひとりで生きてきて、ひとりで強くなった。それがあいつの強さであり、あいつの不幸だ」と九太に語っていました。
多々良は熊轍に「ガキのころの自分がどうしてほしかったか、頭から思い出してみろよ」とも言っていました。
要は、ふたりの悪友が「親子として仲良くすればいいのに」と思っているんです。
だけど、熊徹はけっきょく九太にデレる態度など見せず、九太が17歳になっても態度もまったく変えません。
果ては「俺はこうだと決めたら、ぜってえに曲げない主義なんだ!」と言います。
そのことは・・・熊徹が九太を助けるために、付喪神に転生することにおいても同じでした。<迷いなんて一切ない表情
宗師様は「決断力の神に転生する」と言っていましたが、けっきょく決断力の神になったのは熊徹のほうだったようです。
そして、熊徹は神に転生することで、「俺のことなんていいから、自分が思う通りに生きろ!」と九太にエールを送っているようにも思えます(それこそ、熊徹の言う「意味なんて自分で考えろ!」です)。
けっきょく熊徹は、甘いことばのひとつも九太に告げません。「メソメソしているやつは嫌いだ!」くらいしか言えていません。
でも、それでいいんです。
愚直で、ぶっきらぼうで、自分を変えないことが、熊徹の魅力なんですから。
そして、師匠としてはダメダメに思えた熊徹が、決断をすることにおいて九太に父親らしさを見せられたことが大好きなんです。
〜誇らしいな〜
終盤、あんなにやさしかった多々良が、暴走した一郎彦を倒しに向かう九太を怒ります。
九太は「ありがとう、叱ってくれて。おかげで背筋がしゃんと伸びた」「いまの俺がいるのは、たくさんの育てた人がいるからだと思った」と答えます。
そして・・・百秋坊と多々良が、九太の成長を感じて、「誇らしいな」「誇らしいぜ」とつぶやくシーンが大好きでした。<あんなに生意気だったのに・・・
たとえ自分の子どもでなくとも・・・そばにいる人がこうして身近にいる人が、こうして子どもの成長を感じることもあるんですね。
こうした関係性が、現代社会においてもあってほしいものです。
また、子どもにとっても「まわりの人の支えがある」ということはなかなか感じにくいものです。
ときどきは、親代わりになっている人物に、「ありがとう」の言葉をかけてもいいのかもしれません。
〜父のようになりたかった〜
一郎彦は、子どものころに父の猪王山になりたいと語り、九太をいじめようとしている次郎丸を止めようとするなど、正義感と信念に溢れていました。
しかし、じつは一郎彦の正体は、渋谷に捨てられていた人間でした。
猪王山は彼を自分の息子として育てる一方で、「気にするな、いつか牙は生える」とずっとごまかしていました。
猪王山はしっかりした親のように思えて、子どもと真正面から向き合えずにいたのです。
その子どもの教育に迷っていた猪王山の姿があったからこそ・・・
自分の信念を曲げず九太と向き合った熊徹が、
そして次郎丸の「俺は頭が悪いから難しいことはわからないけれど、俺にとって一郎彦兄ちゃんは、兄ちゃんだよ」という言葉が、
「家族のありかた」として伝わってきます。
不器用でも、頭が悪くても、いいんです。
きちんと、子どもと向き合うことができれば・・・それこそが、家族にとっていちばん重要なのではないでしょうか。
〜なぜクジラになるのか〜
終盤に一郎彦は、『白鯨』に出てくるような、巨大なクジラに変身します。
原作の『白鯨』において、戦いの相手であるクジラは「運命」や「神」との象徴とされることが多いようですが、本作では楓が「たぶん、船長は自分自身(クジラ)と戦っているんだよ」と答えていました。
クジラになった一郎彦は、九太が「そうなっていたかもしれない」人物です。
一郎彦は「自分が人間なのか」「バケモノなのか」という矛盾に耐えられずに暴走し、復讐に囚われました。
九太もまた、人間の世界で生きるべきかと、迷っていました。
九太にとって、一郎彦は自分そのもの。だから「自分自身」を表すクジラに変化したのでしょう。
九太には、表裏なしに接してくれる熊轍がいたおかげで、一郎彦のように暴走することはありませんでした、
それこそ、「心の中の剣」として、ずっとそばにいる存在として・・・
一郎彦もまた、九太から譲り受けた「本のしおりのお守り」を身につけたたため、これ以上道を誤ることはないのでしょう。
ベッドのそばには、ずっと見舞ってくれていた家族がいたようですしね。
また、ラストバトルが、「防戦一方」でワクワクできないという否定意見も少なからずや目にしました。
それもわかるのですが・・・細田監督は「渋谷という慣れ親しんだ場所での冒険を感じてほしい」という思いがあったために、地下鉄にのって移動をする(冒険する)シーンを入れたのだと思います。
〜主題歌の意味〜
※以下の意見をいただきました。
ミスチルの主題歌は作品にもの凄くマッチしているなと感じましたよ。
『バケモノの子』の公開前からアルバムで聴いていました。作品を観る前と観た後では曲の印象が変わります。
モンスターを撃ち殺す内容の歌詞ですが、歌詞の「モンスター」は熊徹などの「バケモノ」ではなく、九太や一郎彦が抱えた「心の闇」を指していますし、「何かが終わり、また何かが始まるんだ」という歌詞も作品の言いたいことをうまく伝えていて素敵です。
〜親子の成長〜
細田守監督の作品には、その多くに「入道雲」というモチーフが登場します。
これについて、細田監督は「主人公がささやかな一歩かもしれないけれど、少しずつ成長するので、そのテーマを象徴的に入道雲に託しています」と答えています。
本作『バケモノの子』においては、九太が勉強を始めて「俺のやることを黙って見てろ!」と言い、「ああ、見てやるよ」と熊轍が答えるシーンにおいて、入道雲が登場します。
九太は熊轍の言葉に否定をしまくっていました。
しかし、ここでは・・・優柔不断だった九太が、決断をして行動をしようとしているところを熊轍に見せようとしているんです。それこそ、自分の考えを変えなかった熊轍のように。
熊轍は、他人の意見を聞かない、自分の意見ばかりを押し通す猪突猛進な性格でした。
しかし、ここでは・・・熊轍は九太の意見をしっかり聞き、それを見守ると言っているんです。それこそ、「正しさ」を考えていた九太のように。
子どもが親に育てられるように、親も子に教えられることがあるんですね(中盤の修行シーンでは、宗師様が熊轍の技も洗練されてきていると話していました)。
子どもと親がいっしょに成長する・・・それが細田監督の考える、あるべき親の姿なのです。
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#218 バケモノの子/きっと自分も誰かから影響をもらい育ったんだ | Tunagu.
(C) 2015 THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERS
正直前作の「おおかみこどもの雨と雪」でかなりの失望を味わったので期待値はかなり低かったのですが
面白いとこはハッキリと面白かったですね。特に熊徹のキャラは「渇き。」のダメ親父にも通ずるような
ある種の駄目だけどなんかやりそうな雰囲気が出てましたし
役所広司氏は流石の上手さだなと感じました。リリーフランキー氏と大泉洋氏の冷やかし2人組もある種の説明役と言うか解説役として機能してましたし
九太のこまっしゃくれたクソガキ感も良かったですね。
この映画の一番良かったところってやっぱ熊徹と九太のクソガキ同士の絆だと思うので
そこを丁寧に描いてくれるだけで素直に楽しめました。
あとヒロインの楓の存在、唐突でいらんって人もいますけど僕は必要なキャラだと思いましたね。
少年期の九太の心の穴を補完するのが熊徹なら青年期の蓮の心の闇を埋めるのが楓だと思うので。
ただここま主要キャラの面々が好きになればなるほど、一応悪役サイドになる猪王山一家にどうしても違和感を感じると言うか
もっと言うなら一郎彦の扱いが正直雑じゃないかと感じました。
何よりも一郎彦が今回暴れるだけ暴れてスッキリして後は何も覚えてないと言うのがいくらなんでもそりゃないだろ…と思いましたね。
「心の闇が全部悪いんだ!」と言うのも、一郎彦は自分のプライドの高さと生い立ちから歪んでいったわけですし
罪を憎んで人を憎まずと言うのを分かっていても
やっぱり一郎彦は最低限自分の犯した罪を反省して欲しかったです。
また猪王山も熊徹が刺されてるのに叫ぶだけで殴ってでも止めようとしなかったのはどうかと思いました。
後のフォローにしたって寝てる一郎彦看病してるだけかい!と突っ込んじゃいましたし
せめて九太についていくくらいの男気は欲しかったですね。
この辺が主人公コンビを好きになればなるほど余計にうーん…と思ってしまいました。
次郎丸は良かったですけどね。良い意味でジャイアンキャラでしたし
「例え人間だって兄ちゃんは兄ちゃんだ」って台詞は良かったです。
正直突っ込みたいとこももっとありましたけど、自分としてはおおかみこどもで味わった失望は取り返せたかなと思いました。
ただ猪王山一家の扱いを改善できたらもっと良い作品になっただけに惜しいなあ…と言うのが本音です。
ちなみに、本作>サマーウォーズ>おおかみこども>時かけ、です。
>男親(父親)はダメ人間でもオーケーだというメッセージを投げかけています。
公衆便所に産み捨てられたり、保険金かけて殺されかけたり、山田孝之似の借金取りが毎日やってきたり、○○エンジェルに売り飛ばされそうになった人からしたら毒親育ちイージーモードの身で言わせてもらいますと、熊徹はちゃんとお父さんしていたと思います。
(むしろダメ人間が子を得て真人間に近付いたと言うべきか・・・)
>掃除をちゃんとしないわ、剣術の教えかたがど下手くそだわ、
それでも一緒に暮らしているだけ・・・
>仕事はもっぱらアルバイトです。
労働して生活費を稼いでいるだけ立派です。まして経団連様の為に年収二百万円以下でも産めよ!増やせよ!な人が総理大臣努めている現代では・・・。
親に取って大事というかまず無ければダメなのは子の親で在ろうとする意志、この子と一緒に居たいと思う愛情だと思います。
猪王山も結果的に失敗だったかもしれませんが、それは一郎彦の父で在り続けたい想いからでしたし、連の父も結果的に妻の親族の圧力に屈していましたが必死に連の父で在ろうとしていました。総じて本作にダメな父はいません。細田監督も俳優陣もそれを良く表現してくれました。
>「近所のおじさん」「親を手助ける親友」
6才の私を母に押し付けた父に別居された私に「父性」を与えてくれたのはこんな人達でした。なので「スリーメン&ベビー」や「フルハウス」とかも大好きです!ありがとう!おじさんたち!!
>百秋坊と多々良が、九太の成長を感じて、「誇らしいな」「誇らしいぜ」
なのでこのシーンでボロ泣きです・・・。
>『スネーキーモンキー 蛇拳』
アニメ版「ドラゴンボール」のあからさまな時間稼ぎにイライラした思い出がありますが、本作の修行シーンはカンフー映画や「ベストキッド」のようで、また各地の宗師を巡る旅も「個人情報」とか言い出す生意気な現代ッ子だと思った九太の子どもらしい素直な感性が見えたのも可愛かったです。
>一郎彦
「アベンジャーズ2」に何か足りないと思ってた物を満たしてくれました。
冗談はさておき、あんなに真っ直ぐな正義感に満ちた良い子だった彼が歪んでいく描写は辛かったです。
反面、糞餓鬼だった弟の次郎丸が小さな頃からのお兄ちゃんを背を追いかけ更生し、好青年となって行ったのがまた・・・。
>猪王山
既に自分が一郎彦を育てているのに、熊徹が九太を育てる事に反対していた意味が未だに解らないです。
自分なら大丈夫だけど熊徹では・・・な驕りからだったかのでしょうか。
>『白鯨』
自分はコミック版だけしか・・・。
>俳優による声もほぼ文句なし。
熊徹一家のスリーメンは文句どころかまた吹替えの演技を魅せて欲しいと思えるくらいの出来でした!
私はヒナタカさんが仰るような「後半コレジャナイ派」の人間です。
バケモノ界パートは良かったですが、人間界パートはのれませんでした。
・前半(少年時代)
最高でした。
バケモノ界に迷い込んで逃げ惑う場面は『千と千尋の神隠し』みたいでワクワクしました。
また、教える者と教えられる者を丁寧に描いていて感動しました。「教えているはずが教えられていた」みたいな。
修行や旅するシーンも観ていて楽しかったです。
これは「細田監督最高傑作になるのでは…!?」と思いきや…
・後半(青年時代)
なんすか、コレ。
・チコ
謎の白い生き物。久太が母親の影を見るとき、その影が見えた位置にいます。母親の遺影の横にもいました。
九太の母親(生まれ変わり?)みたいな雰囲気を出しておいて、最後まではっきりさせない(観客に解釈をゆだねる)のは大好きです。
ただもう少し、話とか活躍とか与えても良いのではと感じました。
・ミスチルの主題歌
>ミスチルの主題歌があまり作品とマッチしていなかったり、
え、そうですか!?私は作品にもの凄くマッチしているなと感じましたよ。
『バケモノの子』の公開前からアルバムで聴いていました。作品を観る前と観た後では曲の印象が変わります。
モンスターを撃ち殺す内容の歌詞ですが、歌詞の「モンスター」は熊徹などの「バケモノ」ではなく、九太や一郎彦が抱えた「心の闇」を指していますし、「何かが終わり、また何かが始まるんだ」という歌詞も作品の言いたいことをうまく伝えていて素敵です。
・ツッコミどころ1
9年間行方不明だった九太が役所に行って、学校に行く方法を模索する場面。
急にリアリティを放り込んでくるのは構わないですが、9年間行方不明になっていた人間が出てきたら、もうちょっと大事になってもいいような…。
そっちのリアリティは無視なのかなぁ。
・ツッコミどころ2
闇に飲み込まれた一郎彦がバケモノ界から人間界へ行って九太を襲う場面。
監督としては渋谷で戦わせたかったから、一郎彦を人間界に行かせたのでしょうが、流れが不自然です。九太を憎んでいる一郎彦がバケモノ界にいる九太を残して、人間界で待っているのは行動としておかしいです。
お前の方からかかってこんかい。
・ツッコミどころ3
一郎彦が『白鯨』を読んで、「クジラ」になる場面。
赤ん坊の時からバケモノの世界で育った一郎彦がどうやって人間界の文字を読めたのでしょうか?九太と違って、一郎彦はひらがなも読めないはずです。
「初見の本を読んでクジラになり、九太達を襲う」という流れも理解に苦しみます。もしカフカの「変身」を手にしたら虫になって襲ってくるのでしょうか?
・ツッコミどころ4
九太「そうか!一郎彦はクジラになって襲ってくる前に一瞬姿を現すんだ!」
一郎彦さんはTVゲームのボスみたいな隙を与えてくれますね。親切。
・ツッコミどころ5
九太「俺が一郎彦の闇を吸い込んでやる!」
え!?その胸の穴って、他の人の闇を吸い込めるの!?ダイソンなの!?てか何で使い方知ってんの!?
ツッコミどころはほとんどが後半ですね。
ただ、後半も「つまらない」わけではなく「面白い」です。話として不自然な所が目立つだけです。他の方も仰るように「誇らしいぜ」とか何気ない会話が心にしみますね。
・『ワンピース THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』
これ確かに怖いですよね。一緒に観た弟と「なぜ後半ホラーなのか」を小一時間議論したことがあります。
今回自分はあまり具体的な否定的なポイントをあげなかったので、みなさんの不満点をネタバレに抜粋しました。ありがとうございます。
たしかに、一郎彦がバケモノの国でなく、わざわざ人間界でバトルをするのはおかしいですね。気づかなかった・・・
>チコ
記憶にすら残ってませんでした!最初に見た時はどうせ・・・
細田さん!何か小さくてかわいいの出してくださいよ!そうじゃないと子ども達「ポケモン」いっちゃうじゃないっスか!
あ、それ前売り券の特典ストラップにしましょう!
うぃ~ね~!爆売れまちがいなし!
な、トレンディ会議の産物程度にしか思ってましたが、思い出せばけっこう活躍してましたね。
>・ミスチルの主題歌
>、歌詞の「モンスター」は熊徹などの「バケモノ」ではなく、九太や一郎彦が抱えた「心の闇」を指しています
なるほど!この説、周囲の大物歌手を担ぎ出したいだけで主題歌がミスマッチ過ぎる派の人にも説明してみます!
>・ツッコミどころ1
行政的には実際そんなもんじゃないかな・・・と思いつつ、あのお母さんの腐れ実家が放って置くとも思えませんしね。
でもお役所の対応、最初のおじさんが×で、追いかけてきたお姉さんが○だと思わないで欲しいです。おじさんは蓮の現状を考えて現実的な対処法を教えているだけに過ぎません。蓮の現在の学力や偏差値がどの程度かも知らずかなりハードモードな道を奨めているお姉さんを自分はどうかと思います。
>・ツッコミどころ2
自分は偉大なバケモノの宗師たる猪王山の子!→九太!人間のくせに!→九太を人間として人間の世界で葬ってやる!という歪んだ拘りではないかと分析してみました。
>・ツッコミどころ3
挿絵を見たのではないでしょうか。
>・ツッコミどころ4
あ!言われてみれば無敵のクジラモードが解除されてますね!一郎彦の中に残っていた良心と迷いの仕業でしょうか・・・。
>・ツッコミどころ5
たしかに・・・セーラームーンとかの必殺技じゃないんだから・・・。「インシディアス」とかでもありますが、精神医学的には外部や他者から与えられた被害の悪い記憶は封印してしまうのも一つの対処法として良いですけど、これは本人の歪みが原因なのですから本人が罪悪として受け止め改心し克服しないと根本的な解決にならないような・・・。
クジラって蛭子と称されることもあり、蛭子様ってマレビト信仰とも係りがあるんですよね。異世界から流れてきた、異界のモノ、と。
バケモノ世界にとって、人間はマレビトですから。
「ユメミーワールド」との比較になっちゃうんですが
あちらはしんちゃんやカスカベ防衛隊、みさえの助けこそあったものの
最終的には自分自身の力で心の闇を打破するのではなく受け入れる…
だからこそあれだけ感動的であり、本当に心の底からスッキリしたんですが
それを考えると本作は、結局他人様に心の闇を打破してもらった一郎彦はもちろん
心の闇を熊鉄に補ってもらった九太でさえ「甘えてんな…」と感じざるを得ませんでした。
後「ユメミーワールド」のサキちゃんと比べると、やっぱり一郎彦はどう考えてもプライド高いだけのクズにしか見えません。
サキちゃんのように親を自分のせいで死なせてしまった…と言う自責の念とかではなく
単なるコンプレックスからの妬み、恨みからくる浅ましい闇だな…と言わざるを得ません。
「ズートピア」のベルウェザー副市長のように彼もまた偏見とコンプレックスから闇を増大させた悪役ですが
ベルウェザー副市長牢にぶちこまれたのとは違い彼は裁かれません。もっと言うならハッキリ人一人半殺しにしておいてです。
やっぱあの話は一郎彦が九太にきちんと懺悔させなきゃいけなかったですよ。
「ズートピア」と「ユメミーワールド」と言う傑作2本見て改めて本作の欠点が浮き彫りになった次第です。