映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』管理社会と社畜を否定的に描くファミリー映画だった!(ネタバレなし感想+ネタバレレビュー)
※今回は否定的な意見もいただきました。いちばん下のコメント欄もご覧ください。
個人的お気に入り度:8/10
一言感想:「大人になる」ことを考えさせるファンタジー
あらすじ
よい学校に入るために勉強漬けの毎日を送る9歳の女の子は、名門校の学区内に引っ越してきた。
隣住んでいたおじいさんは、「小さな王子」の物語が描かれた紙飛行機を女の子に贈った。
女の子とおじいさんは、やがてかけがえのない友だちになっていく。
サン=テグジュペリによる世界的ベストセラー『星の王子さま』のアニメ映画化作品です。
本作は『星の王子さま』のストーリーをなぞると同時に、女の子とおじいさんの友情物語が描かれるという内容になっています。
いやーしかし、びっくりしました。
本作は管理社会と社畜を思いっきり否定的に描く映画だったのですから。
たとえば、主人公の女の子は幼い頃から英才教育を施され、お受験で失敗しないように「模範的な回答」を刷り込まされます。
そのうえ「完璧な人生プラン」を勝手にお母さんに掲げられ、友だちも作らずにずーっとそのスケジュールをこなさくなてはならなくなるのです。

また、お母さんは仕事の愚痴を(何も伝わらないのに)女の子に言って、大人の社会がある街は幾何学的で無機質なものとなっており、ラジオからは「数字がもっとも大切だ!」みたいな言葉が流れます。
徹底的に、大人の社会が管理されたものとして描かれています。
そんなとき、隣に住むおじいさんから、女の子は「小さな王子さま」の話を聞くことになります。
おじいさんは自由気ままで、それでいて「夢」に対して純粋であるかのように思えます。
やがて女の子は、お母さんの言いなりになってスケジュールをこなすよりも、おじいさんとの友情を大切にするようになるのでした。

まとめると、本作は子どもには「ママの言いなりになんかならない!」、大人には「こんな会社辞めてやる!」な素敵なメッセージを贈っている作品なのです。
いやあ素晴らしい。おじいさんのようなフーテン(死語)のような生活でもいいんだ!と肯定しているとも取れます。これ教育上悪くねえか?でもこれでいーんです!
原作の『星の王子さま』でも、大人の社会を、それぞれ「うぬぼれ屋」「権威ばかりを大事にする王様」「お金ばかりを気にするビジネスマン」などの星の住人として描くことで、批判(皮肉)しているところがありました。
原作でもこの映画でも、そうした大人の社会で忘れがちな「本当に大切なこと」を教えてくれます。
本当に大切なこととは何か?というのはネタバレになるので後に書きますが、これは子どもはもちろん、大人にも響く言葉でしょう。
映像もほぼ文句なしのクオリティーです。
もっとも特徴的なのは、CGアニメだけでなく、王子さまの物語がストップモーションアニメで描かれることでしょう。


これは、ストップモーションのパートが「お話」ということを印象付けるだけでなく、原作の雰囲気をそのまま再現するということにおいて、確かな意義が感じられました。
さらに終盤には大感動できる画があるのだけど・・・これは意外な展開も含めてネタバレになるので書けません。後に書くことにしましょう。
吹き替え版には声優でない有名人が起用されているので気に入らない方もいるかもしれませんが、実際に聞いてみるとまったくもって問題はありませんでした。
津川雅彦はやさしいおじいさんを好演。伊勢谷友介演じるキツネ、竹野内豊演じるヘビはかわいい外見とギャップのあるイケメンボイスを披露。ビビる大木演じるうぬぼれ屋が
わがままなバラ役が滝川クリステルというのは狙いすぎでちょっと笑ってしました。でも「お・も・て・な・し」とかは言いませんので大丈夫(?)です。
ちなみに字幕版での声優は、おじいさん役がジェフ・ブリッジス、女の子役がマッケンジー・フォイ、ヘビ役がベニチオ・デル・トロと、めっちゃ豪華。大人は数少ない字幕版を狙ってみるのもいいでしょう。
そして、大御所中の大御所、ハンス・ジマー(今回はリチャード・ハーヴェイとの共作)による音楽が最高なのです。
『ダークナイト』や『インセプション』などのゴリゴリのタフな音楽だけでなく、ここまでファンタジー作品に合った楽しい楽曲を手がけられるとは・・・。
しかも、今回はカミーユ(・ダルメ)というフランスのシンガーソングライターともコラボをしています。
ハンス・ジマーのファンであれば観なければならない1本でしょう。
また、『トト・ザ・ヒーロー』でもおなじみのシャルル・トレネの「BOUM!」も流れたりしています。
86歳のおじいさんと、9歳の女の子のふたりを主人公としていることにも、原作者へのリスペクトがみえます。
原作の『星の王子さま』の冒頭では「レオン・ヴェルトに」と献辞が捧げられており、サン=テグジュペリは彼のことを「この世でいちばんの僕の親友」と呼んでいます。
レオン・ヴェルトはサン=テグジュペリよりも22歳も年上でした。
レオンは熱烈な平和主義者のうえにユダヤ人であったため、ナチスによる当時の弾圧を避けて山荘に隠れ住まなければならなくなったそうです。
映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』では、おじいさんはレオンと同じように世間から疎まれている存在になっており、年齢のまったく違うふたりの友情が描かれています。
これは、レオンとサン=テグジェペリの関係そのままのように思えるのです。
なお、作中に登場する主要人物は、「女の子」「おじいさん」「お母さん」となっており、名前がついていません。
これは、「物語の主人公は、観客であるあなたたち」というメッセージなのではないでしょうか。
これはおすすめです。
子どもにとっては王子さまの物語とワクワクする冒険に心踊ります。
大人にとっては「本当に大切なこと」を思い出し、社畜である自分がちょっとだけ嫌になります(笑)。
※(追記)ちょっと話が観念的すぎ、アクションンシーンになるのが遅すぎで、飽きてしまう子どもも多いそうです。
大人には極端な描写と原作からの改変がちょっと嫌われているみたい。
このあたりにはわりと好き嫌いが分かれるかもしれません。
※以下のご意見をいただきました。
私も観ている間は、「社会の描き方が極端な作品だな……」と思ってました。
誰一人として楽しそうに仕事をせず(と言うよりおじいさん以外の大人は殆ど笑うシーンがない、嘲笑はありますが)、生活区域は社会主義の様に幾何学的に区切られ、あらゆるものに個性がなく、規則正しく生きている……。
最も端的に表れているのがお母さんが、主人公の少女の為に作っているスケジュール表ですね。確か10分刻みのスケジュールだったと思いますが、当たり前の通りあんなタイトなスケジュールで行動できるのは大統領くらいしかいないし、全然現実のお話しに見えない。
結局は原作『星の王子さま』と同様に、寓話的な世界観だと認識して観ていました。児童文学では、批判すべきものが極端なものとして描かれることが往々にしてあることですよね。例えば、大人の時間・物質的に支配された世界を批判的に描くミヒャエル・エンデの『モモ』、夢の意義を問うパウロ・コエーリョの『アルケミスト』、大人世界の価値観を真っ向から否定するエンリケ・バリオスの『アミ 小さな宇宙人』、そしてサン=テクジュペリの『星の王子さま』。どれもハッキリ言って極端な大人社会を描いています。(だから主人公、というか書き手が上から目線だと感じる人が多い、結果嫌う人も多い、と思っています)
本作についても、あらゆる極端な世界観、人物描写は「あくまで寓話的なんだ」と考えるべきかなぁと思います。後半で、少女が飛行機に乗って別の星にたどり着くというファンタジックな世界観に移りますが、その前からファンタジーと言えるのではないでしょうか。だって、原作『星の王子さま』がそうですから。
反面、おすすめできないのは厳格な教育をされている親御さん(の子ども)でしょうか。
これを子どもが観ると、マジで反抗期に突入しかねないと思うのでお気をつけください。
でも、子どもを教育に縛り付けるよりも、もっと大切なことを知れるかもしれませんよ。
3Dもなかなかに効果的なので、料金を上乗せする価値は十分でしょう。
『星の王子さま』ファンはもちろん、(省略された部分もありますが)丁寧に原作のエピソードをなぞってくれるので「『星の王子さま』ってどんな話?」と思っている方へもおすすめできます。
原作『星の王子さま』の雰囲気を壊さずに、新たな感動を届けてくれることに感動しました。
親子でもデートでも、ちょっと世間に疲れた大人も、ぜひ劇場へ。
↓以下、結末も含めてネタバレです。鑑賞後にご覧ください。
〜野暮な不満点〜
わがままなバラの描写と、本作の結末にはちょっとだけモヤっとするところもあります。
原作では王子さまは、バラのことをわかってあげられなかったことを後悔し、プライドの高いバラは強がりながらも王子を見送ったことが描かれています。
しかし、映画では王子さまは勝手にバラを置いて行ってしまううえ、最後に枯れてしまったバラを見つけたときは「大切なものは心に残っていればいい」と肯定する・・・。
原作のバラは未熟なカップルのメタファーみたいなもの。ちょっと原作のメッセージ性と異なり、あまりいい気はしなかったのです。
また、女の子がその辺の男の子からパクった自転車を返す様子がなかったり、ボーリングの球を作業員にぶつけたりとわりとバイオレンスなのもいかがなものかと。
後者はお話の中の話だからいいけど、前者は現実で起こった話なんですからね。
〜価値を一元化してしまうブラック企業〜
原作にあった「ガス灯の星」は、映画では登場しませんでした。
代わりに王子さまがブラック企業で掃除屋さんとして働かされていました。
原作のガス灯の話は、どちらかといえば「地味な仕事でも尊い」「仕事も見かたを変えればいいものになる」という教訓を伝えてくれるものでした。
でも映画ではガチでこんな仕事辞めてやる!自由が正義だ!という方向に大肯定しちゃっています。
この話の展開はいくらなんでも極端すぎないか、職業差別っぽくないかともちょっと思ったのですが、よくよく考えれば大納得できました。
この王子さまがいたのは、それぞれの星の価値観を「利益」として一元化してしまう世界だったんですよね。<星が集められている
ビジネスマンは星を集めてジャイアンよろしく「すべて俺のもの!」としていたために、会社の人間は社畜のようなうつろな顔になって会社に行かざるを得なくなってしまいました。
キツネが「きみのバラを大切なものにしたのは、きみの費やした時間だ」「いちばん大切なものは目に見えない」などと言ったように、大切なものはそれぞれ違うもの。それを同じ人がすべて掌握するなんてもってのほかです。
この過程があるからでこそ、星々が自由になっていく画が感動的になっています。
〜おじいさんがいてよかった〜
女の子がなぜおじいさんに続きの物語を伝えることができたのか、お母さんがなぜおじいさんに「ありがとう」と言うことができたのか。
それは大人になるために大切なことを見つけられたから、ですよね。
うぬぼれ屋のようにうぬぼれたり、ビジネスマンのように利益を追求したりするのは、お母さんや女の子がそうなっていたかもしれない姿です。
でも星の王子さまの物語は、そうした寓話的な登場人物を描くことで、「本当に大切なこと」を教えてくれたのです。
さらに女の子は、「王子さまはちゃんと星に帰ることができた」とハッピーエンドのお話を作り上げ、女の子のために親身に接してくれたおじいさんに恩返しができた―
おそらく、おじいさんの命はもう長くないのでしょう(おじいさんは、ひとりで旅立たなくてはならないと言っていました)。
だけど、王子さまがバラに何もできずに去ってしまったこととは違い、女の子は大切な人がいるときに大切なことができたんですね。
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「読書」は一夜にして世界を変えるーー『リトルプリンス 星の王子さまと私』のメッセージ|Real Sound|リアルサウンド 映画部
『星の王子さま』が大人に及ぼす情緒不安定を谷口菜津子が語る - 映画インタビュー : CINRA.NET(ネタバレを含む内容になっているので要注意!)
(C) 2015 LPPTV - LITTLE PRINCESS - ON ENT - ORANGE STUDIO - M6 FILMS - LUCKY RED
結論から言うと「面白いんだけどどこか…」と言えばいいんですかね。
この作品を見る上でやっぱり否が応でも避けられないのは、テーマも似ている「インサイド・ヘッド」と比較になっちゃうんですけど
僕はインサイド・ヘッドの提示した「大切なものはやがて忘れられていく。そうして大人になっていくけど、たまには思い出してね」と言うテーマに物凄く心打たれたので
本作で唱われている「背伸びして大人にならず、大人になっても大切なものは常に覚えていよう」と言うテーマはどうなのかな?と思いました。
僕は教育パパ&ママと言う人種が世界一大嫌いなので(子供を正真正銘自分のステータスとしか思っていないク◯みたいな人種)このテーマ自体は大いに大賛成なんですが
それと「大人になる」って言うのはまた全然違うと思うんですよ。当たり前ですけど詰め込み強制と言う絶対悪があるのと同時に
自由奔放にさせすぎるのもまた悪なわけで…人間と言うのはどこかで妥協すると言うのも勿論必要ですし
理想ばかり追いかけてあの飛行士のようになるのが理想なのかと言われると…
確かにアニメーションは素晴らしかったですし真摯に作られてる作品だと思うだけに
喉の奥に引っ掛かった魚の骨のようなところがどうしても目立ってしまいました。
尤もこれは単なる好き嫌いの部類なんで、こんな無知な駄意見もあると笑っていただければ幸いです。
>本作は管理社会と社畜を思いっきり否定的に描く映画だったのですから。
ここが極端過ぎるように感じてしまいました。
もともとコドモキレイ、オトナキタナイ、こういうステレオタイプのお話が嫌いな性質なのですが、ちょっと大人の世界を悪し様に描き過ぎではないかと。
冒頭の面接は「そして父になる」の、あの私立小学校のお受験をするような子が送れそうもない夏休み体験を「模範解答」にする欺瞞に吐き気がしたのを思い出してしまいました。
>反面、おすすめできないのは厳格な教育をされている親御さん(の子ども)でしょうか。
親御さんへの教訓になれば良いかな・・・と思いますが、あの狂気染みた「夏休み予定表」を作るような親御さんはお子さんとアニメ映画なんか観に行かないかな・・・と悲しくもなったり。
>飛行士のおじいさん
前日に観た『帰ってきたMr.ダマー バカMAX!』の不謹慎ギャグが全く笑えない所かムカつくだけだったのが後を引いていた所為もあったかもしれませんが、ちょっと奇行が酷過ぎで笑えなかったです。
決して悪気は無いのは解りますし、中盤で数々の失敗と年甲斐も無くハシャイだ結果「私」まで巻き込んだ事を反省して酷く落ち込む様子も見せているので、責めたくもないのですが・・・、冒頭のプロペラ事故とかカンベンしてくれ・・・ヘタすりゃ怪我人どころか死人出ますよ!自分がやられたらと思うと、怒りのままに怒鳴りこんで一発殴ってしまいそうです。
あと無免許運転と免許執行の理由も、最近現実に高齢ドライバーの事故が増えていますし、呆れるにも程が・・・。
>お母さん
「夏休みの予定表」は予告で見た時は狂気すら感じてゾッとしましたが、シングルマザーで頑張っている所や、本当に娘の事を想って行き過ぎているだけの母でホッとしました。
この人が「暗殺教室」の渚くんを股から出した人(母親と呼びたくないです)のような、己の見栄と我が子への愛情を履き違えているような人だったら椅子蹴って帰って居たかもしれません。
・・・そういえばお父さんは?あ・・・「ぜんぶ、おまえのせいじゃないか・・・」とか聞こえてきそうなので考えないようにします。
>〜おじいさんがいてよかった〜
これだけは本当に!おじいさんとの出会いと星の王子の物語がなかったら、お母さんと私の関係は悲劇的な破綻を迎えていたかもしれませんし!
私のような否定的な観客に途中モヤモヤさせてもシッカリと納得行くハッピーエンドに落としてくれるマーク・・オズボーン監督は流石です!
・・・次は心に余裕が有る時に観てみよう。
誰一人として楽しそうに仕事をせず(と言うよりおじいさん以外の大人は殆ど笑うシーンがない、嘲笑はありますが)、生活区域は社会主義の様に幾何学的に区切られ、あらゆるものに個性がなく、規則正しく生きている……。
最も端的に表れているのがお母さんが、主人公の少女の為に作っているスケジュール表ですね。確か10分刻みのスケジュールだったと思いますが、当たり前の通りあんなタイトなスケジュールで行動できるのは大統領くらいしかいないし、全然現実のお話しに見えない。
結局は原作『星の王子さま』と同様に、寓話的な世界観だと認識して観ていました。児童文学では、批判すべきものが極端なものとして描かれることが往々にしてあることですよね。例えば、大人の時間・物質的に支配された世界を批判的に描くミヒャエル・エンデの『モモ』、夢の意義を問うパウロ・コエーリョの『アルケミスト』、大人世界の価値観を真っ向から否定するエンリケ・バリオスの『アミ 小さな宇宙人』、そしてサン=テクジュペリの『星の王子さま』。どれもハッキリ言って極端な大人社会を描いています。(だから主人公、というか書き手が上から目線だと感じる人が多い、結果嫌う人も多い、と思っています)
本作についても、あらゆる極端な世界観、人物描写は「あくまで寓話的なんだ」と考えるべきかなぁと思います。後半で、少女が飛行機に乗って別の星にたどり着くというファンタジックな世界観に移りますが、その前からファンタジーと言えるのではないでしょうか。だって、原作『星の王子さま』がそうですから。
個人的に気になったのは登場人物が感情を爆発させるシーンで、登場人物に怒りをそのまま叫ばせる場面でした。「こんな話聞かなきゃ良かった!」とか、叫ばなくてもあの大切な絵本を捨てるだけに伝わるのに……。「目に見えないものが最も大切なんだ」という原作のエッセンスを、あまりにも有名とは言え、劇中で何度もセリフとして繰り返すのも、正直好きじゃなかったです。
パクった自転車で走るシーン等、アクションをしている筈なのに、単純に横からノペーと撮っていて、動きに躍動感が余り感じられなかった点も気になりました。
おっしゃる通り、ところどこでモニョるところがある作品ですよね。
> 結局は原作『星の王子さま』と同様に、寓話的な世界観だと認識して観ていました。児童文学では、批判すべきものが極端なものとして描かれることが往々にしてあることですよね。例えば、大人の時間・物質的に支配された世界を批判的に描くミヒャエル・エンデの『モモ』、夢の意義を問うパウロ・コエーリョの『アルケミスト』、大人世界の価値観を真っ向から否定するエンリケ・バリオスの『アミ 小さな宇宙人』、そしてサン=テクジュペリの『星の王子さま』。どれもハッキリ言って極端な大人社会を描いています。(だから主人公、というか書き手が上から目線だと感じる人が多い、結果嫌う人も多い、と思っています)
> 本作についても、あらゆる極端な世界観、人物描写は「あくまで寓話的なんだ」と考えるべきかなぁと思います。後半で、少女が飛行機に乗って別の星にたどり着くというファンタジックな世界観に移りますが、その前からファンタジーと言えるのではないでしょうか。だって、原作『星の王子さま』がそうですから。
さすがのご意見。極端に見えて、大人の社会を批判的に描いているのは原作といっしょですよね。追記させてください。
あとヒロインに関しては嘘をつくようになったことと状況が状況とはいえ相手にぶつかっても謝らず(後で謝罪したのかもしれないですが)自転車を勝手に取って車線の真ん中を走って交通阻害してるのは流石にまずい気がします(とはいえ嘘をついたことに関してはあの親じゃ半ば無理もない気はしますが。当の子供がよしとしてるなら兎も角この場合の英才教育はそうじゃないだけにいくら娘を思う母心とはいえあまり肯定的に観られなかったですし)。
>インサイド・ヘッドの提示した「大切なものはやがて忘れられていく。そうして大人になっていくけど、たまには思い出してね」と言うテーマに物凄く心打たれたので 本作で唱われている「背伸びして大人にならず、大人になっても大切なものは常に覚えていよう」と言うテーマはどうなのかな?と思いました。
自分もあの作品が頭に浮かびましたが言われてみれば確かに「たまに思い出す」程度でもいいよなあ、って思います(そもそも人間自体是非はともかくとして忘れる生き物ですし)。まあ思い出さずにああいう大人になってしまうぐらいならずっと忘れずにいる方が、とも思いますが。
>冒頭の面接は「そして父になる」の、あの私立小学校のお受験をするような子が送れそうもない夏休み体験を「模範解答」にする欺瞞に吐き気がしたのを思い出してしまいました。
あのシーンを見た時「人生なんて模範解答通りに行くわけないのにそれに固執するからああいう悲劇が起きてしまうんだろうなあ」って思ってしまいます。
>毒親育ちさんによる老飛行士評
「人の目を気にして生きるだなんてくだらないことさ」と忌野清志郎氏が生前仰ってましたが他人に迷惑をかけてしまうのは意味合いが違いますしアウトですからねえ。
>「夏休みの予定表」は予告で見た時は狂気すら感じてゾッとしましたが、シングルマザーで頑張っている所や、本当に娘の事を想って行き過ぎているだけの母でホッとしました。
それだけに「から回っちゃったけどまだマシなケースだな」って思いました。
てか渚の母親ってそういう人だったのですか…。知らなかった。
>確か10分刻みのスケジュールだったと思いますが、当たり前の通りあんなタイトなスケジュールで行動できるのは大統領くらいしかいないし、全然現実のお話しに見えない。
「案外こういうの現実にもいるのかもなあ」と思って観てましたがやっぱそうなんでしょうねえ…。
また思い出したら書くかもしれないですがこの辺で。
意見がいつもと比べて否定的な感じになってますがいろいろなことを見つめ直すことができたこともあってこれでも自分は肯定的にとらえてたりします。